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無防備と鷹揚には、大きな違いがある。
大きな街道をまたぎ、背後に森を擁するこの街は、一見無防備にも見える。が、それは表向きのこと。この街はひとたびその大通りを閉ざせば、入り組んだ細い小路が敵の戦力を細断し、迷わせ、疲弊しきった兵達を小さな広場へ誘い込む。
それこそが『キスンナーの迷宮』。
夜の闇に沈む細い路地は、旅人を飲み込む暗い河のように揚々と横たわり、昼間の平和な風景がいかに鷹揚であったかをまざまざと知らしめていた。
そこに、今宵も護衛隊の酒宴の喧騒が響く。
宴の席から離れた廊下で、ミョネは情け無く揺れるスライムを叱責していた。
「やり方が雑なんだよ!」
「女を黙らせるには、抱いちまったほうが手っ取り早いだろ。」
「あんな子供に! あんた、鬼畜だね。」
「……中身は子供じゃねぇし。」
「まあ、なんにしろ、追い出されなくて良かったじゃないか。」
一連のコトは、わがままとも言えるほど頑ななユリの否定で、皆に知られることは無かった。
(むしろ、追い出されるまでが俺の計画だったんだがな。)
自嘲はスライムの表面に現れることは無い。
たぷりと胸張ったミョネは、得意げに笑った。
「あんたの利用価値は、ますますあがったって事だね。」
「なぁ、もうニ、三日泳がせたほうがいいんじゃないか?」
「誰のせいで計画が早まったと思ってんのっ!」
「はぁ、面倒くせぇ。」
「そう言わないっ! 見張りはボクが何とかするから、さっさと姫サンを連れてきて!」
ミョネは両腕をすっと差し出し、スライムに見せ付けた。集まる魔力が褐色の肌を鋼色に染め替える。
「そうか、お前、生体剣か!」
剣に変化した両腕は、研ぎ澄まされた名刀特有の、匂い立つような輝きを放つ。
……リビングウエポン、それは禁断の術式によって鍛え上げた人間の剣。
千年程前に、この国をも巻き込む世界的な大戦があった。その折に錬金術によって幾振りかのリビングウエポンが鍛えられたことは、童話にもなっている。ただし、描かれる錬金術師はいつも悪人。泣き叫ぶ人間を大きな錬金釜にぶち込んで、ぐつぐつと煮ている挿絵が添えられる。
もちろん、本当にそんな非道なやり方だった訳ではない。錬金術はいわゆる科学。人間の体に大量の魔力を流し込み、その形質を別のものへと変化させる『技術』だ。
「腕だけなのか?」
「完全剣化すれば、本物の剣の姿になれるよ。でもね、剣化したボクを使いこなせる男なんていないよ?」
ちろりとした舌先で刃紋をなぞる艶めかしさは、まさしく魔剣と呼ぶにふさわしい。
……どんな職人の腕をも凌駕する、美しさと力を持った剣を鍛つ技法……それは絶えて久しいものだ。
最前線へと送り込まれた作品たちは、戦いに刀身を折られ散った。
その剣を鍛えた錬金術師たちは、禁断の術を操る忌むべき存在として糾弾され、滅ぼされ、その術は失われた。
「まさか、錬金術の生き残りがいるとはな。ってことは、見た目よりも年……」
「そういうことは考えないのが、長生きするコツだよっ?」
月光切り裂く薄刃の切っ先が、柔らかい外皮に押し当てられた。
「軽い冗談じゃねぇか。いいから遊んでないで、さっさといけよ。」
「了解っ!」
「殺したりするなよ。死体の後始末なんて面倒なこと、俺は嫌だからな。」
「ま、それなりに手加減するよっ!」
ミョネが廊下の曲がり角に飛び込むと同時に、声の一つすらなく、ドサリ、ドサリと重たい音がした。
(二人だけ……もっと警戒してくれよ……)
融通の利かない護衛隊長を思うと、脳液がずきずきと痛む。
そう、あの会食の日……全ての計画は既に彼の中にあった。




