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……爽やかな朝だった。ついさっきまでは。

 今は、ゴフゴフと生臭い鼻息を吐き出す4頭の巨人族ギガントに囲まれている。

 そのスライムは迷っていた。

(右に逃げるか、左に逃げるか……)

 軽く2メートルはあるギガントを前にして、『戦う』という選択肢はありえない……スライムだから。

 スライムとしては大きい彼ではあったが、せいぜいが人間の大人程度の大きさ。それも、ずるりと地面に張り付いた横幅が、である。戦闘力の差は歴然だ。

(大体、ぶつかってきたのはソッチだろうがよ……)

 のんびりと朝の散策をしていた彼は、飛び出してきたギガントと出会い頭にぶつかった。 スライムが肉体的に最弱だとしたら、ギガントはオツム的に最弱な種族。

 ずるりとした体に足を取られて転んだギガントはいきり立ち、あっという間にスライムを取り囲んだのだった。

(まあ、俺だけなら逃げられないことも無いだろうけど……)

 スライムがもう一つ迷っているのは、一番後ろのギガントの腕にすっぽりと抱えられた、あるものに対してだった。

(どう見ても幼女ロリータってやつだろうよ。)

 年のころは15にも満たないだろう。魔力の高さを表す銀の髪を二つに結い上げたその少女は……

(普通に見たら、どっかの高貴なお嬢様を誘拐中、って感じなんだけど?)

 だが、彼女の表情は涼しげで、冷たさすら感じるほどの無表情だった。

(知り合いに抱っこされてお散歩? いやいや、あんな乱暴な抱え方でお散歩ってのはないわな。どうするよ、俺?)

 最弱ではあっても、その良心までもが最弱な訳ではない。もし、彼女が助けを求めているのであれば、逃げ出して人を呼んでくるとか、逃げ出してしかるべき機関に駆け込むとか……逃げ出した後の行動が変わってくるのだが、目の前の少女には表情と呼べるものはおよそ、ない。

 可愛いと言うよりはむしろ『美しい』その顔は、絵画のように一つの崩れもなく、そこから彼女の真意を知ることは出来なかった。

 悩むスライムの体を、先頭にいたギガントがわしづかみにする。

「おい、どうする?」

 ゴフ、と鼻を鳴らすような声が、生暖かい呼気となってスライムにかかる。

「どうするって……どうするモンなんだ?」

「聞いてみるか?」

 ギガントは、小さな少女を振り見た。

「なあ、誘拐中をうっかり見られてしまった。ほら、あれだ。アレ……」

 少女は、顔の産毛の一つすら動かさなかった。

「目撃者。」

 抑揚に乏しい可憐な声だけが、スライムに己の立場を知らしめる。

「こういうとき、その何とかシャってのは、どう始末するんだ?」

 少女の眉がほんの僅か、1ミリほど動いたように見えた。

「口を封じるために殺……一緒に攫って、自分の手元で監視する。」

 ギガントたちが歓声をあげた。

「おお、それなら簡単だ。一緒に来てもらうぜ。」

「ええ? 勘弁してくれえええええええ……」

 有無を言わさず締め上げる太い腕に、スライムは悲痛な叫びを上げた。

 だが、人里はなれた森の奥では、その声に救いを与えるものは、一人としていなかった。


 スライムと少女が連れてこられたのは、驚いたことに街中の民家だった。

 人気の無い裏口から運び込まれ、薄暗い地下室にドサリと下ろされる。

「ギガントの浅知恵ってやつだな! こんな目立つところ、すぐに見つかるぞ!」

 スライムの反撃の言葉にも、ギガントは一つも動じることはなかった。

「心配ない。オレタチのボスは頭が切れる。ギガントの誘拐は、人気の無いところから捜索が始まる。街は最後……と言っていた。」

「黒幕の存在を明かしちゃう辺り、お前は全く切れないがな!」

「うう?」

 嫌味は愚鈍な脳には届かなかった。

 上げぶたが下ろされ、薄暗くなった地下室には格子のはまった明り取り窓から、光が差し込む。その光は微かに茜色を含んで、夜が近いことを匂わせていた。

「ったくよぉ……面倒ごとに巻き込んでくれたな。」

 振り向いたスライムは、改めてその少女を見た。

 茜色の光に照らされた彼女は本当に美しい。

 僅かに幼さを残すふっくらとした両頬は形良くなだらかに流れ、はかなげな桃色の唇を引き立たせている。上弦の月のように涼しげな眉の下にある瞳は、髪と同じように魔力の銀に染まり、その身のうちに秘められた力の強大さを物語っていた。

 ただ、惜しいことに、その美しい顔は一切の感情を写さない。

 この状況にありながら、その表情は描かれたように完璧むひょうじょうであった。

「あんた、何モンだ。」

 スライムの問いに、会話のための口周りの筋肉だけが動く。

「ユリ=レヲ=ソスターセ。」

「婚姻外の子!」

 この国の王族は、より深い友好関係を結ぶために、位の高い魔族と一夜限りの婚姻を結ぶことがある。

 と、言っても、いやいやって訳ではない。

 その子が、国に繁栄をもたらす『長命と力』を持つ聖王として選ばれれば、その生家には権力と財が約束される。

 だからむしろ、王族の中でも末席の、若い娘のいる家は喜んで娘を差し出すぐらいだ。

「俺の聞いた噂が本当なら、あんたは、その婚姻外の子の中でも特別……」

「父は魔王。」

「やっぱりかあああああ! とんっでもないのに関わっちまったあああああ!」

 スライムはずるりと音を立てて、明り取りの窓へと向かった。

 変幻自在のスライムの体なら、その格子を抜けるのも簡単そうだ。

「面倒にもほどがある。おれは降りるぞ。」

「ど……」

「ど? 『どこに』って聞きたいのか?」

 振り向いたスライムの目には、少女の眉尻が二ミリほど下がっているように見えた。

「なに不安そうな顔してるんだよ。あんたほどの魔力がありゃあ、俺の助けなんていらないだろ?」

「ふ……あん?」

「あれ、違うのか?」

 少女の瞳が僅かに開き、驚きを表した。

「なぜ? 皆、気づかない。」

「……のに、ってか? そりゃあ皆、恐れ多くてご尊顔を見ないから、だろうよ。」

 ずり、と振り返ってスライムは、頼りなげで美しいその顔を見た。

「ほら、また眉が動いた。安心しな。俺は何もしない。」

 美しい眉が微か……ほんの一ミリほど下がる。

「言葉も足りないんだよ。伝わらないときは、声に出して言えばいい。」

「一人、不安……だ。」

「よし、それでいい。あんた……じゃ失礼なのか。えっと、ユリさま?」

「ユリ、でいい。」

 驚きで、スライムの体液がゴボリと揺らいだ。

「いくらなんでも、そんな気安い……」

「お前は、名前?」

「あ、そんなモンねえよ。」

 ひっそりこっそり生きていた彼は、長いこと名前を呼んでくれるものすら居なかった。

 本当の名前など、当の昔に……

 ユリは額に薄く、困ったようなしわを寄せている。

「好きなように呼べばいいさ。」

「じゃあ、スラリン……」

「ちょい待ち! それ、どっかで聞いたような……」

「じゃあ、スラスラ?」

「それもありがちな……まあいいか。」

 彼はゴボリと溜息をついた。

「それで? ユリは自分でここから出られるだけの魔力があるんだろ?」

「無理、鍵は、ヤヲ。」

 少女は、首にかけられた金細工のチョーカーを押さえる。

 まるで戒めのような鎖のモチーフ……それが幼い首に巻きついている様に、スラスラは哀れみのような感情を覚えた。

「それで魔力を抑制しているって訳か。で、そのヤヲってのは? まさか探しにくるんだろ。」

「ヤヲは、護衛長。」

「じゃあ今頃、真っ青になってあんたを探してるな。いい気味だ。」

……こんな倒錯的なアイテムで、このいとけない存在を縛ろうとするやつは、滅してしまえばいい……

 そんな黒い気持ちは、彼女には伝わらなかったようだ。

「……?」

 ユリはほんの僅かに首をかしげた。

 そのかわいらしく、幼いしぐさが、ぶよぶよとした生き物の庇護欲を強く刺激する。

「まあ、お前みたいなガキをひとりにするほど、俺も非道じゃないさ。その代わり、戦いの役には全く、全然、本当に立たないからな。」

 頷くユリの顔には、小さな喜びが浮かんだ。 


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