『父親』と書いて揺り篭
でれっとした話が書きたかったんです。それだけです。
『聖王』となることを選んだユリは、ノーニウィヨの城で女児を出産した。
父親であるスライムはいまや『魔王』だ。激務に追われてわが子の顔を見ることも、愛する妻に触れることも出来ずに、さぞ寂しい思いをしていることだろう
……と、思いきや……
まだ首も据わらぬわが子を抱いたユリは、居城の中庭に降り立つ乗用魔物を出迎えた。
その背中から、スライムが転げ落ちる。ぽん、ぽよんと弾んだ彼はユリの足元まで転がり揺れて止まった。
「おう……久しぶりだな」
「会う、希望、してた……」
二人は視線を交わす。再会を喜んで、ユリの無表情も心なしか弾んで見える。
「俺も会いたかった」
何用だろうか、通りかかったミョネがその感動の場面に足を止め……呆れたように首を振った。
「あんた、また来てるのかい」
「今日はちゃんと国務だ。ユリに親書を届けにだなぁ……」
「そう言って、一昨日も来てなかったかい?」
この魔王、何かにつけ用向きをひねり出しては妻に会いに来る。この『感動の再会』も、もはやノーニウィヨ城の名物と化しつつあった。
「そんなに大事なら、さっさと姫サンを迎えに来てやんな」
「簡単に言うなよ。国をそっくり乗っ取ろうって言うんだ。それなりの準備ってもんがあるだろうよ」
それも遠くは無いだろう。少なくとも、ここで無用心な会話を交わせるほどに根回しは済んでいる。
「邪魔しねぇで、どっか行ってろよ」
もとより親子水入らずの幸せを邪魔するつもりなど無い。ミョネは首をすくめて立ち去った。
後に残されたスライムは、外皮に小さなくぼみを作る。
「赤ん坊、抱かせてくれよ」
ユリはそっと手を離して、小さな子供を父親の弾力の上に乗せてやった。
残念ながらユリの望んだスライム型の子供ではなかったが、ユリにそっくりな娘を、この父親は溺愛している。
ぷっくりと愛くるしい頬は色の白い肌を透かしてばら色に染まり、握り締めた掌はふくふくと膨れて細く小さな五指が時折開く。それは意味も無く触れてみたくなる魔性の愛嬌。
ぷにっと頬をつついただけでは飽き足らず、スライムは頬液を寄せて愛しいわが子に軽くキスを降らせた。
「ほんっとに可愛いな。コジカは」
それは『笑った顔』を意味する古代語。愛する妻がツンニーク姓を強く望んだために、スライムが辞書と首っ引きでつけた名前だ。
その名を表すように、父親の外皮で揺すられた赤ん坊は口元と眦をへらりと大きく崩す。
「うお、笑ってるぞ! なあ、ユリ、笑ってるよ!」
振り向けば妻は、両の人差し指で口角を持ち上げている。
「何してんだよ」
「笑う、可愛い」
「赤ん坊にヤキモチやいてどうするよ」
スライムは妻の手にわが子を滑り込ませ、二人まとめてを外皮でくるむように抱きしめた。
「どっちが可愛いかなんて、バカなことを聞くなよ。『可愛い』の質が違うんだからよお」
もはや大人の姿だというのに、信頼しきった瞳で見上げるユリの表情は強い庇護欲をそそる。
対するもみじの掌がもにょもにょと動くのは赤ん坊特有の反応ではある。だが、掴まろうとするかのように外皮を掻く頼りない力が、父性本能を揺さぶり起こす。
「やべえ、死ぬかも……」
「死ぬ、不許可」
「本当に死ぬわけじゃねぇよ。幸せすぎて死にそうだってことだ」
口腔液がぷるりとユリの唇を撫でる。
「お前は、幸せだと思ってくれねぇのか?」
ユリは自分の腕の中でもそもそと動く小さな赤ん坊を見る。
「コジカ、可愛い。スラスラ、居る。幸福」
「だろ? 俺もだよ」
「迎え、遅い。不幸」
「それは……国家を統合しようって大事業だ。そう簡単にはいかねぇよ」
「ユリ、行く、そっち」
「待て待て待て! それはやばい!」
「浮気?」
「馬鹿か。一番大事な女を失うのが解っているのに、遊べるほど大胆じゃねぇよ」
スライムが一番心配しているのは、この妻が直情的で時には大胆な行動に出ることである。
魔族と人間の完全な統合が国力に与える影響は大きい。近隣の国家が動向を隙無くうかがっている今、うかつな行動など控えさせるべきだろう。
「良く聞けよ、ユリ。俺はこの先ずっと、それこそ死ぬまでの何百年をお前と一緒に居ようと決めている。だから一日や二日の我慢は出来るんだ」
「理解」
「だが、俺もそんなにこらえ性のあるクチじゃないんでな。もしこの話がポシャるようなら、王位なんか捨ててもいいか?」
「許可」
「そん時は、お前達も連れて行くからな」
「当然」
二人の真ん中で、幼子がへらりと微笑む。
「ま、お前達さえ居てくれるなら、王だろうが庶民だろうが、俺は構わねぇんだがな」
ユリも口の端をあげている。
そして二人を包み込む父親も、外皮の下に柔らかな愛を満たして、微笑んでいた。




