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先ほどの喧騒は急を告げる伝令を迎えてのものだ。
王座の間ではその伝令が王の前に跪いていた。ヤヲとミョネ、ユリの兄龍たち、それに泣き女親子も緊張の面持ちで控えている。
「おい、どうなっているっ!」
ユリを連れたスライムが飛び込むと座の空気はさらに緊迫したように感じられた。
「敵はこのヒザリに向けて侵攻中。こちらは森林戦を展開中。森内で食い止めております!」
「ケウィはっ?」
「まだ確認できておりません」
魔王がなだめるような声を出す。
「森には『番人』をおいてある。『魔王の三臣』のあの男をじゃ。敵がどれほどの数であろうと、知られずに森を抜けることなど出来ぬであろう」
「俺が心配しているのはそんなことじゃねぇ。相手は数に物を言わせて挟み撃ちにする気だ。森で暴れてんのはこの城の戦力を削ぐための威嚇で、本人は少数精鋭で後ろから来る気だろうよ」
「あのな、わしだってそのくらいは解っておるぞ? だからこちらも少数精鋭じゃ」
そういえば城の中はひどく静かだ。
「兵達は森に向かわせた。これはユリたちを脱出させる隙を作るための足止め戦、じゃろう?」
「……そうだな」
魔王も併せて都合三匹のドラゴン、それに巨人斬の使い手であるヤヲが居れば、下手な一個師団にも匹敵するだろう。その上、スライムはユリの姿を借りて影武者を務めることが決まっている。
「そういうことじゃから、無理をする必要はない。例え王城や街が崩されようとも民が無事である限り『国』は滅びぬと、皆に伝えてくれ」
王に促されて走り去る伝令を見送りながら、スライムはしゃきっと姿勢を正す。
「よし、ここからは俺の作戦通りに動いてもらうぞ。まずはムキク! 『福音』は持っているな? それをしっかり抱えて、母ちゃんにしがみついていろ! よし。それからユリ! 絶対にミョネから離れるな。」
小さな手が外皮をきゅっと掴む。
「痛っ! 何やってんだよ、さっさと準備しろよ」
「会う、再び、約束」
「んな不安そうな顔すんな」
スライムはユリの手をそっと掌液に収め、額と額液をこつんとあわせた。
「約束なんかいらねぇよ。お前は俺の心の全てを持っていっちまってるんだ。だからお前が俺を想ってくれれば、俺はいつでもお前の近くにいられるさ」
ヒセは寄り添いあう恋人達をぼんやりと眺める。なぜだろう、遠い昔に聞いたことのある言葉だ。そう、二度と取り戻せない過去の中で誰かが捧げてくれた言葉……
(あの濡れ雑巾、ホンマあの人にそっくりやな)
気ばっかり強くて素直な愛情表現など出来なかった若いころを思い出す。それでも本当は寂しがりで愛情深い本質を見抜いてくれた男が一人だけ、居た。
その彼が戦場へ出向く前に捧げてくれた言葉……
(まあ、口が悪いところは似てぇへんけどな)
ヒセは二人の傍らにがっと両足を踏ん張って、スライムを見下ろす。
「あんた一人が幸せになるのは許さん言うたよな?」
「あ? ああ、解っている……俺は……」
スライムの言葉尻を飲み込んだ彼女の台詞は冷たく、刃のように鋭かった。
「ほしたらセキニンとって、ムキクのお父ちゃんになったってや?」
座の空気が一時に凍りつく。
「死んで償おうなんて大甘すぎるんや。生きて、一生をかけて償ってもらうでぇ?」
スライムはユリを真っ直ぐに見た。その瞳液が戸惑い、揺れていることを小さな恋人だけは知っているだろう……だが、彼女は何も言おうとはしなかった。
「……解った。それが償いだというなら、この戦いに生き残った暁には……」
決意を込めて見上げるスライムを、ヒセがあざ笑う。
「なんでプロポーズみたいなこと言っとるん? ウチはいややで、あんたみたいな不っ細工」
「はあ? だって、父親になれって……」
「ああ、それはな、こういうこっちゃ」
ユリの兄達が両からスライムを抱え込む。
「餞別でありますぞっ!」
押し付けられた小さな鍵にスライムが戸惑う。
「おい、これはユリの……?」
「いいから持って行け。これから子供だって作るんだろ?」
「一体、何を……」
王座から立ち上がった魔王が叫んだ。
「ヤヲ、ここじゃ!」
白金造りの重たい椅子をヤヲが引き倒すと隠し通路がぽっかりと口を開く。湿った土の香りを含んだ風が王間に吹き込んだ。




