12
それから数日は実に平和な日が続いた。
石版の暗号は着々と解読されてゆく。ヤヲ隊の面々は旅の垢をすっかり落とし、来るべきケウィとの戦いに向けて城の兵団として編成を組みなおされた。ヤヲは相も変わらずユリの護衛隊長ではあるが、その下につくのはミョネをはじめとする数人の兵士だけ、まさに少数精鋭である。
そしてスライムは……ユリを避けるように仕事に没頭していた。
もちろん、彼の本来の仕事はユリの『寝台』だ。夜半には必ず帰ってきてその責を果たすが、日中は魔王の片腕として傍らにつき、時にはその代わりとして兵達に策と激励を与え、軍備や兵糧の調達にいそしんでいる。
今日も就寝の準備を整えてスライムの帰りを待っていたユリは、部屋に入ってきたスライムが子連れであることに僅かに眉を動かした。
「ユリ、これは……」
「これはウチのお父ちゃんや。一緒に寝ても文句はあらへんやろっ!」
しゃあしゃあと言ってのける子バンシーをきゅうっと睨みつけて、ユリは掛け布団をソファまでひきずった。
「貸与」
「へ? ベッド、貸してくれるんか」
「ユリ、ソファ」
「う……うん、一緒には寝えへんの……か?」
「スラスラ、ロリコン、違う。心配、無用」
不安を言い当てられた子バンシーがぱたぱたと両手を振る。
「な、なんもそんな心配はしとらんでぇ」
「就寝」
ユリはぷいっと背中を向けてソファにもぐりこんだ。あの温かいカレシの腹の上でしか眠れないことはわかっているのに……いじましく偽の寝息など立ててみる。
ムキクはおずおずとスライムを振り見た。
「……ユリが言ってただろ、俺はロリコンじゃねぇ。もし色仕掛けとか考えてんなら……」
「そんなんやあらへん!」
少女の身体がぼふっと音を立てて弾力に飛び込む。
「ウチのお父ちゃんもスライムだったんやろ? やっぱり、こないに温くて、柔らかかったんやろうか?」
「……ああ、従兄弟だからな。俺は特にお前の親父の小さいころにそっくりだって言われてた」
「お父ちゃんはどんな人だったん?」
「そうだな、勉強が好きな変わり者だったよ。お前の母ちゃんと付き合うことになったのも、大学の授業に内緒でもぐりこんだのがばれて、だったらしい」
ぽつぽつと話しながら、スライムは少女を自分の上に抱きあげた。おそらく彼女の父ならそうしたであろう優しい動きで。
「ちょっとぼんやりしていて、心底優しくて、本当は争いごと向きじゃなかったんだ。それでもツンニークとして戦っていたのは……」
……そうか、今ならはっきりと解る。あいつが愛していたのは目の前にあるものだけじゃなかったんだ。
「俺や、お前が生きる未来を愛していたからだ」
「ウチの?」
「そうだ。お前が生まれてきて、世界は美しいと思えるように……少しでも、争いの少ない世界を……俺たちに……」
「くうっ! お父……ちゃん!」
ムキクの眦にぷっくりと涙の珠が膨らむ。それはバンシーに相応しい、血色の珠だった。
「あああ、泣くんじゃねぇよ。戦いを控えてるのに泣き女が泣くなんて、縁起でもねぇや」
スライムは自分の体の下からシーツを引きずりあげてその涙を拭ってやる。
「泣いとらん! 泣いとらんで!」
また一つ、こぼれた涙がシーツに赤く咲いた。
「湿っぽい話はこのぐらいにして、笑える話を教えてやるよ。あれは俺がまだ本当に小さくて、お前の親父もガキだったころの話だ……」
優しいスライムの声に背中を向けたまま、ユリは寝息に似せた深い呼吸が途切れないように、静かに涙をこぼしていた。




