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 そのころ、ユリは古いページをめくりながら初恋の『彼』に思いをはせていた。

……彼はどうやら忘れてしまっているようだ。無理もない、あんなに幼かったのだから。

 中表紙に書かれたヘタクソなサインを指でなぞれば、実に子供らしいたどたどしい筆跡に微かな笑息が漏れる。

 彼女の初恋の相手は……小さなスライムの男の子だった。


 ユリは頑固だが、決してわがままではない。過去にたった一度言ったわがままといえば、まだ母も生きていたころのこと。建国の『英雄』に会うことだった。

 お忍びでその家を訪れたユリが戸を叩くと、開けてくれたのは小さな子供スライム。ユリよりは年上だが、さほど歳が離れているとは思えない。

「誰だよ、お前」

 乱暴で不機嫌そうな言い回しにユリは少しひるむ。

 王族として大切に育てられているユリにそんなハスな口をきくものなど、今まで一人としていなかった。

「イカケ……ハ=ツンニーク……?」

 口ごもりながらもしょもしょ呟くと、彼はぼりっと頭液を掻く仕草を見せる。

「ああ、じいさんか。ちょっと用事で出かけちまってるけど……中で待てよ」

 ユリを狭い食堂へと通したスライムは実に手際よくお茶を用意した。カップと共に少しばかりの焼き菓子を盛った皿を並べる。

「俺のおやつ用だから、あんたみたいなオジョウサマの口に合うかどうか知らねぇけどな」

 ユリがびくりと顔を上げる。

 市井の子にまぎれるため、わざわざ衣装選びにまで気を使ったのに!

「そんな驚いた顔をすんなよ。いくら洒落気のない俺でも、そんな小じゃれた流行のスカートがこの辺じゃ売ってないことぐらいは知っている。おまけにそうとう上物だ。それに……」

 スライムは自分の影を映さないように気を使いながら窓辺に寄る。

「あの木の影に居る、いかにもな男達、お前の護衛だろ? あの鎧についている紋章は、王族直属の印だな?」

 いかめしい鎧をつけた男達が伝令用の小さなウィプスを放つのが見えた。

(ふん、裏切りか)

 スライムの隣に並んだ小さな少女が震える。

「……帰る」

「バカか。あいつらはお前を狙っているんだろ」

 窓際からユリを引き剥がしたスライムは焼き菓子の一枚を取り上げた。

「良いから菓子でも食え。甘いものは気持ちが落ち着くんだ」

「迷惑、かける」

「いいから食えよ。それとも、貧乏人の食い物は口にあわねぇか?」

 強情な声に促されて、ユリは仕方なくそれをほおばる。唇の端が二ミリほど上がった。

「……おいしい」

 甘味はやや強めだが、こんがりと焼けた香ばしさにはむしろ好ましい。

「ふん、ちびっ子はそうやって笑ってりゃぁいいんだよ」

「ちびっこ、同じ」

「うるせえな。俺のほうが年上だろ! それに俺は男だからな、困っている女がいたら助けてやれって、じいさんに言われてる」

 ユリが皿の上に残った菓子を取り上げて、スライムの前に差し出した。

「……なんだよ」

「食べる、落ち着く」

「俺が落ち着いてないって言うのか? 俺は名高き『建国の英雄』、イカケ=ハ=ツンニークの名を継ぐ者だぜ、落ち着きまくってるっつーの」

 小さな掌が弾力ある身体に押し当てられる。小刻みに震えている振動がその指先に伝わった。

「くっそ~、せっかくかっこよく決めようとしたのに」

「落ち着く」

「お前は強情な女だなぁ」

 しぶしぶ口にした焼き菓子を口唇液の中でかみ締めながら、スライムは小さな脳液をこぽりと揺らした。

(おそらくあいつらは、ここにじいさんが居ないことを知らない)

 そうでなければ幼子二人、さっさとひねりつぶされていることだろう。

 だが、伝令を飛ばしたということは……

(考えろ、ここで黒幕が泥をかぶらず、世間的に言い訳が立つやり方といえば?)

 おそらく頭数を集め、この家に突入するつもりだろう。『英雄』の首を狙った争いに『巻き込まれた』ことにすれば、世間の目はごまかせる。

「ここに居ねぇほうがいいな」

 ユリの手を引いたスライムは、テーブルの隅に無造作に置いておいた一冊の本に目を留めた。

「そういえばお前、じいさんに会いに来たんだったな」

 『ノーニウィヨ建国記』と書かれたその本を幼い少女に押し付ける。

「じいさんが帰ってきたら、サインでもしてもらえ。インジ=ハシ=ユチイのショハンボンってだけでも価値があるらしい。そこに英雄サマのサインでも入ってりゃぁ、愛好家マニアにとっちゃあオタカラだろうよ」

「ショハンボン? まにあ?」

「なんでもいいよ。お守り代わりってやつだ」

 ユリを裏口へと導きながら、彼は心強い声を出した。

「心配すんな、俺は『イカケ=ハ=ツンニークⅢ』だぞ。ガキの一人や二人、守ってみせるって」


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