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結局、兄ドラゴンに対するスライムの小言は小一時間も続いただろうか。
疲れを訴えるユリの言葉を聞き入れてこの城での居室に引き上げたスライムではあったが、怒りは治まりきらないらしい。運び込まれた荷物の箱を改めながら、こぽこぽと不平を呟いている。
部屋に作り付けの大きな本棚を覗き込んだユリは、僅かに上気した声を上げた。
「スラスラ」
「んん?」
肩越しに覗き込んだスライムは、そこに並べられた背表紙をざっと見渡して呆れた声を出す。
「あのじじい、娘にあまいな」
原色鮮やかな絵草子の数々……ユリの大好きなV・バスターズは裏にどうにかして手を回したのであろう、発売前の最新刊までもが並んでいる。
ユリは荷物の箱に駆け寄って、ややぼろけた数冊の絵草子本を取り出した。
「おいおい、そんな小汚ねぇのは捨てちまえよ」
「宝物」
それはもちろんスライムが初めてユリに贈ったものではあるが、旅路の折々に広げられたせいで薄汚れ、背表紙も頼りなくなっている。
「新しく買いなおしてやるから」
「不許可。記念品」
「そうか」
……なんだか、二人が出会った記念だと言われたようだ……
僅かに外皮を赤らめながら所在無く書棚に視線をくれたスライムは、真新しい書籍の間に並べられた背表紙が壊れた本を見つけた。
「おお、これもそうとうに年季が入ってんなぁ」
引っ張り出してみれば少しぶあつめの児童書だ。
「『ノーニウィヨ建国記』か、懐かしいな」
この国の子供なら一度は目を通したことがある昔話、そして彼の祖父がいかに活躍したかが描かれている英雄譚だ。
「そういえば俺も持ってたっけ。あれは、どこにやっちまったのかなぁ?」
小さいころのことだ。成長にともなって手放したか、どこかに忘れてきたか……さしたる感慨もなく開こうとした角の擦り切れた書籍を、ユリがひったくるように取り上げた。
その声は珍しいほど明らかに上ずっている。
「記念品、もう一つ!」
「ん? お前の本なのか?」
「もらい物。記念品!」
古書特有のぱりっと儚い音を立てて開かれる表紙に、スライムの体液の温度が僅かに上がる。
「誰にもらったんだよ?」
「記憶、無い?」
「はあ? 何が」
表紙を開いたままの姿勢で固まったユリの頬が、ふんわりと薄紅に色づく。色白なユリが控えめに恥らう様は男の本能すら狂わせるほどに愛くるしく、スライムは部屋の空気さえもが温度を上げたように感じた。
「ユリ、初恋」
周りが熱くなった分だけ、自分の声が冷たく沈んでいることを自覚する。
「初恋はうちの爺さんじゃないのか?」
こくんと首肯する姿をみれば、醜い嫉妬心が吹き上がる。
「さぞやイケメンだったんだろうな、そいつは」
「かっこいい。強い。優しい。思慮深い……」
「もういいよ、解ったよ!」
「初恋、名前……」
「だぁからっ! もういいって!」
耳朶液をふさいで後退さったスライムは、少し泣きそうな声を出した。
「少し、頭液を冷やしてくる。荷物は後で手伝うから……」
「スラスラ」
……俺の名前を呼ぶその唇で、他の男の名前など語ってくれるな……
スライムは後も見ずにその部屋を飛び出した。




