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紅葉に彩られた森を抜ければ、明るい日差しを浴びて黄金色にうねる麦の畑が視界に広がる。
ここは魔王領ヒザリ。人間とは異なる国境をもって暮らす魔族の、地図上の王都である。これから『自分の』国となるこの地を見せようとユリ【幼児型】を抱いてわざわざ騎馬に乗り換えたスライムは、村総出で刈り入れに精を出すその光景にため息を漏らした。
「平和だな」
風邪が波立たせる実りのじゅうたんの中を大人も子供も笑顔で働きまわっている。器用な人間が丁寧に刈り上げた麦の束を運ぶのは、体力に優れた魔族たち。
雲ひとつ無い秋晴れの下、穏やかに時間が流れている。
「お前がここの王になれば、この風景も全部お前のもんだ」
耳元で優しく囁く声にユリは小首を傾げた。
「ユリの?」
「これが自分のもんだと思うと、大事にしたくなるだろ? あの明るい笑顔も、この美しい風景もよく焼き付けておけよ、王座に就いた後でいつでも思い出せるように」
素直なユリは銀色の髪を振って辺りを見回す。
「王が支配する『国』ってのはただの形骸的なものじゃねぇ。生活する国民たちがいて初めて成り立つものだ。民草を守り、その生活を保障することによって……」
「難しい」
「うん? まあ、王としての仕事をするときは、こういう普通の生活が美しいことを忘れるなってことだ。それを忘れてただ国を治めるような愚王になってもらっては困る」
「理解」
「まあ心配するな。俺が、だな……」
小さな咳払いと共に、ぶよぶよと柔らかい腕液が小さな肩に回された。
「ずっとそばに居るんだ。お前が王としての務めを立派に果たせるよう、一生サポートしてやる」
「一生?」
見上げた銀の瞳が物欲しげに潤んでいる。馬上の距離感が腕の中の温もりを熱いほどに伝えた。
(ぐうううううう! 俺はっ! ロリじゃ……)
だが、絡み合った視線は外すことが出来ない。
(キス……ぐらいなら? 減るもんじゃねぇんだし……)
幼い肩をぐっと引き寄せて口唇液を寄せれば、口から流れ出しそうなほどに打つ自分の心臓液の音がファンファーレのようだ。
「ユリ、解ってンのか。一生ってのは……」
愛のささやきを遮ったのはユリの声だった。
「父」
「はぁ?」
反射的に目を開けてしまったスライムは、農夫達にまぎれて手を振っているドロだらけの老人の姿に呆れきって、こぽりと体を揺らす。
「魔王ってのは本当に暇なんだな」
老人を取り囲む農夫達が弾けるように笑った。
「爺さんが魔王さま? そりゃあ、ありえないよ」
「魔王さまってのはえらいでかくて、そりゃあ恐ろしいドラゴンなんだとよ!」
「この爺さんは魔王さまのところの庭師だ」
「あれ? 俺は料理番って聞いたぞ」
明るい喧騒の中でスライムは、ほんのりと痛み始めるこめかみ液を抱えた。




