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◆◆◆

 財務大臣であるカシホの屋敷に魔王である彼が直々に出向いたのは、忠心にあふれる真面目な彼を中傷する噂がどうしても信じられなかったからだ。だが最小の兵のみを引き連れてカシホ邸の門戸を打ち開いた彼は己の軽率さを思い知らされた。

 戦場でよく嗅ぐ、災いを含んだ酸味の強い悪臭。

(ゾンチセ!)

 麻薬効果の高い木の実は魔王領には持ち込みさえ禁じられているものである。それが邸内に匂いがこもるほどにあるというのは、それだけで魔王への『反意』を示す。

「カシホ! おらぬのか、カシホ!」

 それでも邸主を呼んだのは右腕としてよく仕え、時に友人として心赦しあった彼に一縷の望みを残してのことだったのだが……ふらりと現れたその男は足元もおぼつかないほどに酩酊した様子だった。膝がもつれるままにだらしなく体を揺すり、口の端からは泡混じりの涎が垂れ落ちている。相当量のゾンチセを経口摂取したのは明らかだ。

 どろりと濁りきった眼で魔王を見下ろす男の唇がモクモクと言葉を噛む。弁明の言かと耳を澄ました魔王が聞いたのは古代より伝わる禍言の一節だった。

「テ=モーノ=ハクスヤ=ハフム=ネ=ラ=ケヒキハマ=ツハラケフ(全ての生き物に必要なあの星のように)……」

 万が一のためにと術式だけは聞かされていた。

(よもやこのような日がこようとは)

 酒を酌み交わしながらガンコナーの魅力魔法チャームが如何にしつこくて危険なものであるかを説いたあのときの友情は紛い物などではない。その証拠に、彼は唯一の対処法を教えてくれたではないか。

「カシホ、最後のチャンスだ。申し開きは無いか?」

……もし、僅かにでも正気があるのなら……

 その祈りが彼に届くことは無かった。血色を失った唇はぶちぶちと術詞を続ける。

 魔王は腰の剣をすらりと引き抜き、刃紋の上にかの男の姿を映しこんだ。

「ゾンチセの領内持込、および不当使用をわが国に対する反逆の意、ありとみなすっ!」

 白金の光が閃き、断ち切られた呪文と共にごとり、と首が床に落ちる。

 飛び散った赤い雫の中にたった一滴、透き通った涙の粒が混じっていたことを知っているのは友を自らの手にかけたその涙の主、ただ一人だけだった。

◆◆◆


 その後の調べで国庫にいくばくかの使途不明金が見つかった。それでもゾンチセを買い込むには十分な額だ。

「もっと上手いやりようもあっただろうに、わしはあの男の名誉さえ守ってはやれなんだ……」

 苦い思い出を飲み下そうとするように口元を歪めて、老竜は宙から見下ろす銀髪の男に今一度問いただした。

「わしを恨んでおるか?」

「関係ないよ。僕がその女を望んでいるのは優生学ユージェニクス的な理由さ。どうせ種を撒くなら、より優秀な畑の方がよい作物が実るだろう?」

 三毛ドラゴンに抱えられたスライムが怒鳴る。

「ふざけるな! 俺達は作物だの畑だのじゃねぇんだぞっ!」

「黙っておれ、ツンニークっ!」

 老成された恫喝は低く、強く、あたりの空気をビリビリと震わせた。

「ふむ、別にわしが憎いというわけではないのだな」

「むしろ感謝しているよ、僕はあの男が嫌いだったんだ。ボクのことなんか放っておいてくれればいいものを、時々父親面して現れちゃあ、小うるさい小言ばかり言うからね」

「父親面じゃない、あいつはちゃんと『父親』だった。いつだってお前のことを気にかけて、病気などしていないか、危ない目になどあってはいないか、そればっかりじゃった」

 ケウィが不機嫌そうに鼻先に皺を寄せる。

「それがうっとおしいんだよ。そのくせ、あいつの人を殺すほどの魅力魔法チャームは僕には遺伝しなかった。だからといって『聖王』を名乗れるほどの魔力があるわけじゃない。僕がこんな中途半端な生き物に生まれたのは全部あいつのせいだ!」

 次の瞬間に彼が浮かべたのは悪鬼の微笑。鬼畜の悦楽。この世の悪意の全てを内包するようなさもしい笑顔……

「だから死んでもらったのさ」

「ほう?」

「だって、おかしいだろ? 横領ってのはもっとこっそりやるもんだ。あんな早くに証拠があがってくるなんて!」

「確かに、な」

「それにゾンチセの実! アレは僕があの男に飲ませたんだ」

「面白いことを言うのう?」

「信じてないの? 本当さ。僕は誕生日のプレゼントを届けるフリをしてゾンチセの実を持ち込んだ。そして僕のチャームを使ってあの男を操った、その実を飲むようにね。まさか幼い子供がそんなことを考えているということにすら思い至らなかったんだろう。僕は飛びぬけて賢かったのにね! 僕をただの子供と侮ったあの男のミスさ」

「……全てを……覚悟の上でだったのじゃな」

「は?」

「愚か者が! カシホは我が臣下の中でも最も思慮深い男、そんな浅はかな策が見抜けぬわけが無いわっ!」

 老竜がぐうっと首を起こし、真っ直ぐに銀髪の男を見据えた。

「国も捨て、名も捨て、その上……父親に愛された過去まで捨てようというのだな?」

「そうだね。どれもこれからの世界には必要ないものだ」

 ケウィを乗せたガーゴイルがばさりとひときわ大きな羽音を立てる。

 老いてはいても、かつて建国の戦いに身をおいた戦士。老竜の瞳に戦風に似た危難の色が宿る。

「ならば、お前はたった今から我が友の仇だ」

 スライムが三毛ドラゴンの腕からぽんと飛び降りる。

「いけねぇ! ユリ、とめろっ!」

「なぜ」

「何でもいいから止めろ、親父さんにそんなことをさせちゃいけねぇっ!」


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