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既に肌寒くなったこの季節に、しかも夜中の川に入ろうなど正気の沙汰ではない。しかしスライムは夜色に暗く沈む清流に身を浸し、ガーゴイルの返り血にまみれた外皮を洗っていた。
ぶよりと体を揺すれば血液が星影に照らされた水面に黒く浮かぶ。だがそれもほんの一時のこと、後は小川の流れと同化して消える。
がさ、と草踏む音がして、ベールを深く被ったミョネが小川のほとりに立った。
「覗きか?」
少しふざけた明るい声でスライムは振り向く。だがベール越しに見えたエメラルドの瞳はふざけても、まして笑ってもいない。
この自信家の図太い態度が実は繊細で傷つきやすいが故の『虚勢』なのだということなど、ミョネは既にお見通しだ。
「……だからボクが斬ってやるって言ったんだよ」
「ちゃんと止めは刺したんだ。文句はねぇだろ」
「そんなにぼろぼろになっているクセに?」
「ああ? 怪我なんかひとっつもしてねぇよっ!」
「なんだか、あんたって……」
大昔に亡くしてしまった弟に似ている。見え見えなほど甘ったれているクセに、大人ぶった生意気さでそれを隠そうと虚勢を張る幼子に……
くぐもった笑いがこぼれだす。
「何がおかしいんだよ」
不機嫌そうな声。ぶよぶよと表情の区別すらわからない彼の、ぷっと膨れた上目遣いが目に浮かぶようだ。
「あんたって、実は解りやすいヤツだよね」
「んああ?」
川べりに座り込んだミョネがばさりとベールを脱ぎ捨てた。スライムを見下ろすその表情は深い慈愛に満ちた『姉』のそれだ。
「あの魔物を斬ったとき、何を考えたんだい?」
「何って……その……色々だよっ!」
「本当に解りやすいね」
この暗さではスライムなどただの塊にしか見えない。だが、ちょっとぶっきらぼうなその声を聞けば彼がテレていることは明白だ。
「見えたんだろ、この世で一番大事なものが」
「いちっ! ばん……大事だけどよお……」
「照れない、照れない。ボクもケウィに刺されたあの一瞬、ヤヲのことしか思い浮かばなかったからね」
「お前らはラッブラブなんだから当たり前だろ。俺は勝手にあいつを思っているだけだ」
「言わないのかい?」
「いいんだよ、あいつの傍に居られるだけで……って、ずっと思ってたんだけどなぁ」
スライムがずるりと川から這い上がる。
「それじゃあ足りねぇみたいだ」
ずり、ずりと本隊の野営地に向けて歩き出す背面液に向けて、ミョネが訊ねる。
「告白するのかい? 今から?」
「ンな無謀なことをするかよ、俺は負けると分かっている勝負はしねぇ主義なんだ」
「じゃあ、どこへ行く気だよ」
「こんな夜は少しでも……例え1ミリでもあいつのそばに行きたい」
ずりっと砂利踏む音を残して、スライムは宵闇の中に消えていった。




