25
意識を取り戻したヤヲが真っ先に見たものは、白い材で張られた清潔な天井だった。起き上がれば自分の衣服も白い簡素なもので、ここが病院であることを悟った彼は大きく頭を抱える。
……どこまでが夢なのだろう?
照れてむくれながら自分の名を呼ぶ愛しい女がこの世に居ないなどと信じたくは無い。いっそ、あれこそが夢ならば……
ドアを静かに軋ませてスライムが入ってきた。
「目が覚めたか?」
「私は……」
「間一髪、覇王烏賊に助けられたんだよ、俺たちは」
椅子にずるりと腰を下ろした彼は続ける。
「ユリとクラーケンを呼びにいったのはニェケだ。後で礼を言っておけよ」
「石版は……」
「ああ、ケウィが持って行っちまったよ。これであっちはリーチって訳だ」
ヤヲの脳裏に花のように鮮やかな紅が蘇る。
「ミョネは?」
「……会うか?」
椅子から這い降りたスライムが廊下へと進む。おぼつかない足取りで続く彼には明るいその廊下の風景こそがウソのように思えた。
「ミョネに会う前に、覚悟しておいてくれ」
沈んだ声が無為な音のように通り過ぎる。足裏に感じる冷たい床の感触さえ、彼の心を現実に繋ぎとめてはくれない。
「全ては俺の作戦ミスだ。どんな責もうける」
スライムが立ち止まったのは白茶けた小さなドアの前だった。
……この向こうで、彼女は眠っているに違いない。その唇を静かにほころばせて、柔らかく瞼を下ろした安らかな顔で……全ての苦しみも、悩みも追いつけない深い眠りに身を沈めているのだ。
「とりあえず、会ってやってくれ……」
スライムが静かに開け放ったドアの向こうで白いカーテンが翻った。簡素なベッドの上にふわりと風が渡る。
そして、そこに居るミョネは……上体を起こして通る風に目を細めていた……
「……夢?」
しかし、振り向いてヤヲを見たその表情は、何よりも望んだ、間違いのない、愛くるしいふくれっ面……
「何で幽霊でも見たような顔してんの」
「ミョネ?」
「なに?」
「だって、心臓が止まって……」
「剣化したんだよ、心臓だけをね」
崩れ落ちるヤヲをスライムが支える。
「ケウィを騙すためには『ミョネに間違いなく止めを刺した』と思わせることが必要だった。だから俺が密かに練習させたんだよ。だが生身のままで心臓だけを物質化させると、どうしても拍動が止まっちまうことが解かった」
「作戦だったんですか……」
「ああ。あんなからくり刀は小道具だ。頃合を見てケウィにそれを見破らせ、激高したあいつのレイピアで一突き! って手はずだったんだよ」
「じゃあ、もっと早く! ケウィが居なくなったらすぐに教えてくれれば良いじゃないですか!」
「本当に予定外だったんだよ……心臓が止まっちまうことがわかっていたから剣化は一瞬だけの予定だったんだ。なのに、大怪我でミョネの心臓は止まったままだった。俺も本当に死んじまったんじゃねぇかと思ったんだよ」
「ボクも、本当にお花畑が見えたよ」
からりと笑い飛ばす頬に、喜びで震える指先が伸ばされる。
「人が悪いですよ。『覚悟しろ』なんていうから、てっきり……」
「……でかい傷が残っちまうんだ」
強張って俯く彼女の表情に、指先は触れることを躊躇った。
醜く傷ついてしまった体に一番苦しんでいるのは他でもないミョネだろう。左胸を押さえ、涙で潤んだ瞳を窓の外へと逃がし、ヤヲを見ようともしない。
「お前の大事な女をキズモノにしちまった……すまん」
「私こそ……ごめんなさい、ミョネ」
ヤヲは何の迷いも無く、褐色の肩をだきよせた。
「不謹慎にも、嬉しくて仕方ないんです。そんな傷を作ってまで、私と一緒に居たいと思ってくれていることが……」
「気にならない?」
「気になります。気になって、気になって……だって、胸ですよ。他の男なんかには、絶対に見せないでくださいね。その傷は、私だけの印ですから」
「見せたりしないよ……他の男になんて」
ミョネが硬い胸板を抱き返す。風がふわりとカーテンを巻き上げ、二人の時間を世界から切り取った。




