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ミョネがケウィに向けてゆっくりと近づく。彼女は刃のごとく切れる頭脳の中で、たった一人の男のことだけを考えていた。
(この国が……いや、世界がどうなろうが知ったこっちゃ無い。)
今も不安げに自分の背中を見つめているであろう、あの金の瞳……ただそれだけが彼女にとっては世界の全てだ。
石版を受け取ったケウィが、満足げにその表面に視線を走らせる。
「リスネ=セテ=マハラ。焼き尽くす炎か。この文字はテ? いやウィか……」
「欲しいものは手にはいっただろ。さっさとここから立ち去りなよ。」
「男に狂って、頭の方はなまくらになったのかい。ぼくの弱点を知りえる者を見逃すとでも?」
「だったら、ボクを殺して行けばいい。」
「だめだよ、あの男は君から色々と聞いているはずだからね。」
「ヤヲには何も話していない。」
銀色の瞳だけがぎょろりとミョネを睨む。
「あの男とは『全てを晒しあった仲』なんだろ?」
「それでも、話さなかった。いずれこうなることが解っていたからね。」
「どうやってそれを信じろと?」
「あんたには解らないだろうけど、『愛』ってやつだ。あんたに世界を滅ぼすという目的があるように、ボクにはヤヲを守りたいという目的がある。そのためなら命だって惜しくは無い。ましてや隠し事の一つや二つ、何でもないよ。」
「滅ぼすんじゃ無くて作り変えるだけだけど……まあいいや。君がそういう性質だって言うのは、あんなゴーレムのために僕に身を差し出したことでも実証済みだからね。」
ミョネはしれっと嘘をついた。
「母さんは、無事かい?」
「知らないのか。あのゴーレムは死んだよ。」
「死んだ……まさか、あんたが!」
「違うよ。爆破された遺跡から、盗賊と思しき死体が見つかった。おそらく仲間割れだろう。」
……どうやら、この男にはあの場で起きた出来事の真実は何一つ伝わっていないらしい。
あの夜、母を亡くした寂しさに耐え切れず、すぐそばに居てくれた優しい男に恋したことも……
いや、本当はもっと前から好きだったのかもしれない。一兵としてヤヲ隊にもぐりこんだ日から、気づけばいつでも、きらきらと陽に透けるあの金髪を目で追っていた。
(もっと早くに気づけば良かったね。)
その大事な金髪を見ないようにと、ミョネはいっそう熱のこもった台詞を吐く。
「そんなことが信じられるもんか! あんたはボクが裏切ったと思ったんだろ。だから、母さんを!」
勢いのままケウィに飛びついたミョネは、その手の中からタコを叩き落した。
「いやああああん、痛ああああああい。」
その悦びの悲鳴を合図に、固まっていた空気が流れ出す。
一人の兵がニェケを部屋の外へ押し出した。別の兵が手早くニサを受け止める。
「ケウィは細剣の使い手だ! 移動はジグザグに動け!」
銀髪の賊を捕らえるべく、兵たちが跳ぶ。
だが、ヤヲだけは……立ち尽くしていた。
「ミョネ……」
名前を呼んでも、彼女は覆いかぶさるようにケウィに飛びついた姿勢のまま、動かない。その背中に紅の染みがじわりと滲み始めていた。
「ミョ……ネ?」
その体を下から支えていたケウィが、立ち上がりながらゆっくりとミョネを突き放す。仰向けに倒れゆく体はすでに力を失った抜け殻のようで、その左胸に突き立てられた小刀だけが痛いほど鮮やかに映る。
「隊長、君の恋人は返してあげるよ。」
小刀の柄を握ったケウィの手は動かない。ミョネの胸からずるっと抜け出す刃はてらてらと血を纏い、銀色を覆い隠すほどの朱に光った。
塞ぐものを失った傷口から一気に血噴が上がり、飛びついて彼女を抱きとめたヤヲの体中に容赦なく飛び掛かる。
「ミョネ、ミョネ?」
血の気を失った頬をぺちぺちと叩くが、硬く閉じた瞳は開く気配すらない。
「起きてくださいよ、ドレスを選びにいくんでしょう? ドレスだけじゃない。ブーケだって、引き出物だって選ばなきゃいけない。こんなところで寝ている暇……なんかっ! ……っ!」
長身を丸めて生気を失った女を抱え、撫でさすり、必死に囁く姿は痛々しい。直視に耐え切れず、スライムはくいっと眼球液を逸らした。
ケウィは不快そうに、血に汚れた石版を袖で拭う。
「僕の大事なコレクションが汚れてしまったじゃないか。」
「てっめえええ!」
「ツンニーク、どうして君が怒るんだい? もしかしてフタマタ?」
「下衆がっ! お前なんかにゃ解らねぇよっ!」
「ふん、解りたくも無いよ、下等生物どもの考えることなんて。」
ケウィの両腕が見たことも無い詠唱陣を纏った。
「いちおう聞くよ。ユリ=レヲ=ソスターセもここに来ているのかい?」
「言うと思うか?」
「だよね。やっぱり城ごと吹き飛ばすわけにはいかないか……でも、安心しないでね。このフロアぐらいは吹き飛ばせると思うんだ。」
石版を目でなぞりながら、ケウィが呟き始める。
「ヤコチ=シウェチェ=ケ=イネ=ハマハカ(燃え盛る終末の炎)……」




