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けたたましい笑い声が彼の口から長く尾を引いてこぼれる。床を転がらんばかりの勢いで身をよじり、呼吸困難すれすれまで笑いを吐きつくしたスライムは、肩で呼吸を整えながら身を起こした。
「そうか、術式を変えたのか。」
「効かない?」
「お前、パラケルススの話をちゃんと聞かなかったのかよ。魔法ってのは魔力による干渉と変質だろ。つまり、そういう精神に変質を起こす魔法ってのは、きちんと相手の心に『干渉』しなくちゃならねぇ訳だ。俺みたいな魔法不可能でも、そのぐらいのことは理解できたぞ。」
「だから、言葉に重点をおいた術式を組んだんだが?」
「ああ、お前は知らねぇのか? 俺は古代語がさっぱりなんだよ。」
「そうか!」
「できの悪さがこんなところで役に立つとはな。」
スライムにとっては理解不能の音声が体の中を通り過ぎた、ただそれだけの話だ。干渉など起こるはずもない。
「瞳からの魔力ならもしかしたらって事もあるが、それが解ってて引っかかるほど間抜けじゃねぇぜ、俺は。」
「なるほど……」
目線だけはスライムに油断無くくれながら、ケウィの足元はじりっと音を立てて、ニェケにむけられた。それを気取ったスライムはずるりと形を崩して甲冑から抜け出す。
「ニェケ! 来い!」
銀髪を振り乱した男が飛び掛るのと、少年が横様に飛びのくのと、ほぼ同時であった。
勢いのついた小さな体を、スライムが全弾力を持って受け止める。鈍い振動に揺れながら、それでも彼は腕に飛び込んできた少年を庇うように抱きこんだ。
「一人でよくがんばったな。」
ぽんぽんと頭を叩く柔らかさに、少年の眦に涙が膨らむ。
「後はその石版をしっかり抱えて下がっていな。」
「僕も、戦えます!」
「馬鹿、大人にも少しはいい格好させてくれよ。」
「そうですよ! 少しは我々も活躍させてください!」
歓声とともに海の魔物たちがなだれ込む。通路に累々と倒れていたはずの番兵達だ。
彼らはニェケを、守るように円陣で取り囲んだ。
「あなたがわざと剣を振るったことは解っておりました。誰一人として、致命傷は受けておりません!」
「ニサ姫が常々自慢にしているあなたの能力など、この城では周知のこと。皆、あなたのお心に気づいておりました!」
「で、そのニサは?」
スライムの言葉に振り向いた一同は、ケウィの手に捕らえられ、小刀を押し付けられたタコの姿に蒼ざめた。
「いやああああん、命の危険を感じちゃううううう!」
「お前はっ! 少しは自重しろっ!」
ぐねり、ぐにゃりと動く脚の根元をまとめて掴まれていては逃げることもできないだろう。
「ツンニーク、僕が何を要求しているか、解ってるんだろう?」
「解ってるよっ! ちっくしょう!」
振り向いてニェケの手から石版を引き抜くスライムは、呆然としている少年の耳朶に小さな謝罪を伝えた。
「お前がせっかく頑張ったのに……情けない大人でごめんな。」
ケウィだけは満足げに細く口を開いて笑息を漏らす。
「ツンニーク、お前じゃ信用できない。そうだな、ミョネ! それを持ってこっちへ来い。」
褐色の肩がびくりと揺れた。
「さあ、早く! それとも、このタコが酢漬けになるのを見たいのかい。」
スライムからそれを受け取ったミョネがのろのろと歩き出す。




