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リゾート地の夜は明るい。
道々に立つ魔物灯にはウィプスたちが灯り、飲み屋街ではアルバイトらしき発光性魔族が毒々しい文字に彩られた看板を照らしながら、客を引く。
肩を組んで千鳥足、ご機嫌な二人組の豹人間が道の傍でたたずんでいたユリにトスンとぶつかった。
「おおっと、これはまたえっらい別嬪さんだな。どこのお店の娘だい?」
「仕事、違う。」
「ふふふ~ん、素人さん? こんなところでナンパ待ちかな?」
「デート。」
酒気を帯びた四つの眼がユリに絡む。
「ねえ、たまにはカレシ以外の男もどう?」
「そこらのガキとは経験値が違うよ~。きっと満足すると思うよ?」
「いや。」
「いいからいいから。おじさん達に任せてごらん?」
毛深い手に腕をつかまれたユリはうっすらと口を開き、禍々しい古代の言葉を愛くるしい唇からこぼした。
「キュ=ケニーク=フツノヅム=メーシス=リ=ユラ(強大にして慈悲深き闇よ)……」
通りの向こうからキクテ(砂糖を加えた乳を柔らかく凍らせたもの)を掲げたスライムが、ものすごい速さでずりずりと這い寄る。
「ああ、すまねぇ。俺のツレが何か迷惑をかけたか?」
呪文を飲み込んだユリは、不服そうに声を落とした。
「スラスラ、退く。」
「馬鹿! こんなところで大技をぶっぱなすつもりかよ。」
ユリにキクテを押し付けたスライムは、ずるりと土下座のような形を作る。
「何か非礼があったならいくらでも謝る。」
……プライドだとか、見てくれなんかどうでもいい。この場が収まるなら。
彼女の魔力を発動させないためなら、スライムはどこにあるか解らない頭など地面にめり込むほどに擦り付ける覚悟であった。
だが、そんなスライムを見たウェアパンサーたちは微かに後退さる。
「げ、名人! いや、俺達なんかじゃご満足いただけないっスよ。」
「や……申し訳なかったっス。まさか、性匠さんのオンナとは知らなくて……」
ぺこぺこと頭を下げるその様子に、彼は外皮の奥で苦笑する。
(俺をどんな生き物だと思ってるんだよ……)
それでも場を収めるためとあっては異存無い。スライムは飛び切りの笑顔を外皮に刻む。
「ああ、いいんだ。ここはお互い、オトナの対応ってことで……」
和解のために差し出された腕液と毛深い手、しかし、それが繋がれることはなかった。
男達の間に割って入ったのは、不夜の喧騒さえも振り向くほどに朗と響く少年の声。
「こんな天下の往来で大の大人が女性を奪い合うなど、みっともないとは思わぬのですかっ!」
高級品の証である地模様の入ったスーツが短パンタイプでも許されるのは、つるりと滑らかな幼い膝ゆえの特権だろう。長めに切りそろえられた栗毛の下で、アクアマリンの輝きにも似た蒼い瞳が、少年にはありがちな正義感にきらきらと輝いている。
いくらリゾート地のこととて、こんな身なりの良い、それも人間の少年が一人きりで出歩くには夜も遅すぎるのだが……?
「迷子か? ガキがこんな時間にふらふらしてると危ないぞ。」
「ほう、どのように危ないのか、お聞かせ願えますか?」
慇懃無礼なほどの大人びた言い回しは、声変わりさえしていない少年の口から聞くには違和感が強すぎる。用心深いスライムはユリの前にすばやく這いより、番犬のように控えた。
「年は関係ねぇな。見るからに上流階級っぽいあんたが供もつけずに歩くには、この街はちょっとガラが悪すぎるんじゃねぇか?」
「ご心配には及びませんよ。ここで僕に喧嘩を売ろうなんて馬鹿は、あなたのように世間知らずの旅行者だけですからね。」
「随分と大物ぶるじゃねぇか……うおお?」
ウェアパンサーたちがスライムに飛びつき、なんとなく平伏っぽい形にまとめる。
「止めた方がいいっスよ、スライムのダンナ!」
「相手が悪すぎる!」
両から押さえつけられた体が、ぼよんと揺れた。
「あのお方こそが、この国の外務大臣。」
「ニェケ=フ=ミャーケ様、その人なんスよ。」
「はあああ? こんなガキが?」
見上げたスライムの眼球液がとらえたのは、小さな体を精一杯にのけぞってこちらを見下ろす少年の、不器用な尊大さだった。




