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宿のロビーで待っていたヤヲは、自分に真っ直ぐ向かってくるその女性の大胆なほどの美しさに息を呑んだ。レトロな原色の大柄が褐色の肌を引き立たせている。どれほど前の時代の流行なのだろうか、胸元と腰周りにゆったりとギャザーを寄せたデザインと、短めのスカート丈は今日日では見かけないデザインだ。
「お母さんの形見の?」
「ああ、せっかくだから……と思ったんだけど、やっぱり無理っ!」
部屋へ戻ろうとするミョネの腕を、ヤヲがきゅっと引き戻す。
「どうして無理なんですか?」
「だって、デザインだって古臭いし、足が見えちゃうし……それに、こんな女の子みたいな格好、ボクには似合わないよ!」
「良く似合っていますよ。」
腕の中に捉えられた華のような女の耳に、夏風にも似た囁きが降る。
「あなたのお母さんが、あなたのために作った洋服ですよ。あなたに似合わない訳が無い。」
「でも……」
「きっとお義母さんは、この日のためにそれを仕立ててくださったんですね。」
「あんたは時々、びっくりするぐらいクサイことを言うね。」
優しく包む強い腕に自ら腕を絡めて、抵抗を諦めたミョネは先ほどのスライムの言葉を冷静に思い出していた。
(あいつは、ヤヲのために死ねと言った。)
ケウィの手先として使われるうちに知りえた情報は、これからの戦いで必ずやヤヲの役に立つであろう。それゆえに、ケウィは自分を一刻も早く始末したがっているはずだ。現に、ミクスーでは影女に襲われた。
それを返り討ちにしたことが知れたら、ケウィはもっとなりふり構わず、確実に自分を殺せる刺客を送り込んでくるに違いない。周りの誰を巻き込もうと気にもかけないような、残忍な者を……
「ねえ、ヤヲ、もしもボクが居なくなったらさあ……」
「居なくなる? 私を捨てるつもりですか、あんなことまでさせたくせに。」
「そんなにすごいことをさせた覚えはないよ!」
ぷっすーと膨れながら、ミョネは悲しい決意に自分が満たされてゆくのを感じていた。
(無理やりに生体剣に変えられ、長い時をすごしてきたごほうびなんだよ、これは。)
最高のごほうびだ。愛する男からプロポーズまでされ、その誓いのうちに死んでゆける。
「ヤヲ、返事だけどさあ、取りあえず婚約ってことでも……いいかなあ?」
恐る恐る上目に見上げれば、彼がプルプルと感激に身を震わせている。
「あああ、ミョネ、やっとその気になってくれたのですね!」
がばっと覆いかぶさる体に、ミョネは両手を振って抗った。
「ちょっと! 人が見てるし、恥ずかしいよ。」
「子供は何人欲しいですか? あ、その前に式もあげなくちゃですね。ハネムーンの計画も……」
「ちょっとは落ち着け~!」
迫る唇を渾身の力で押し返して、ミョネがきりっと金髪を見上げる。
「人前でベタベタするのは禁止! でなきゃ、婚約なんか取り消すよ!」
「解りました。二人っきりならベタベタしてもいいってことですね。」
「どうして無駄に前向きなのかねぇ。」
「手を繋ぐ位はいいですか? 今日はデートなんだし。」
「ま、まあ、その位は。」
淑女にするようにそっと差し出された手を、ミョネは強く握った。
「行きましょうか?」
「姫さんのことは放っておいていいの?」
「ああ、あっちもデートですしね。」
「だから、『お兄ちゃん』として心配じゃないの!」
「スラスラは信用できる人物ですし、それに立場上、厳しいことも言いましたけれど、遅かれ早かれこうなる予感はありましたからね。」
「予感?」
「ツンニークはユリ様の初恋ですから。」
「初恋ぃ? あのぶよぶよが?」
「正確には彼自身ではなくて、絵本の中のツンニークですけどね。」
くすくすといたずらっ子のように笑う彼の金髪がいつも以上に輝いて見えるのは、これが期限付きの恋だと知っているからだろうか。
ミョネは少し沈みがちになる気持ちを笑顔でごまかして、明るい声を出した。
「面白そうだね、その話をもっと聞かせてよ。どっか落ち着いた店で、お酒でも飲みながらさ。」
「オトナのデートですね。」
ヤヲが髪の一筋に唇を寄せる。
それを避けもせず、ミョネは視線を少しばかり足元に逸らした。
「ユリ、用意はできたか?」
軽いノックの音を立ててずるりとドアを開けたスライムは、飾り気の無い真っ白なリゾートワンピースに身を包んだユリ【大人型】の美しさに眼球液を奪われ……るよりも先に、微かな異常にすん、と鼻腔液を動かした。
「魔力のにおい?」
僅かに感じる甘い香り……自分は魔力無しだ。半魔半人であるユリやヤヲであろうはずもない。そして、錬金術の遺産であるミョネの魔力も、こんなに甘くは無いのだが……
(刺客か?)
ずるりと伸び上がって用心深く部屋の隅々までを見渡すが、賊の気配は感じられない。それでも、さらに用心深くクローゼットのドアを、引き出しを、下足箱の引き戸までを手早く開いて中を確かめる。
いつまでも自分のほうを見ないスライムに焦れて、ユリがぽよんとした弾力に腕を回した。
「可愛い、無い?」
「ああ? お前は何を着ても可愛いよ。」
そっけない返事に、ユリがきゅっとスライムをつねりあげる。
「痛い! 痛いって! 何すんだよ。」
「ユリ、おしゃれ。」
「あのなぁ、それどころじゃねぇんだよ。」
古今の名だたる暗殺者に魔族が少ないのは、魔力が甘く香る物質であるからだ。姿かたちはどれほど人間に似せようとも、この香りを隠すのは難しい。
それでも体内の魔力の調整に長けた種族ならば、魔力を消して身を潜めることも不可能ではない。
「心配、無用。」
「そうは言っても、俺は弱小だぜ。臆病すぎるほどに用心しねぇと、好きな……」
「すき? 好きな? 何。」
「ち、違うぞ、スキ……隙だらけの主を守れねぇからなっ!」
あわてて取り繕った言葉に、ぷっすーっとユリが膨れる。
「ユリ、スラスラ守る。」
「俺にだって男の矜持ってモンがあるんだよ。俺にできることなんてさほどはねぇけど、それでも、お前のことだけは守ってやりたい。」
「ツンニーク、かっこいい。」
「その名前で呼ぶんじゃねぇよ。」
ベッドの下まで覗き込みながら、スライムは悲しげに声を落とした。
「じいさんは確かにかっこよかったけどな。『イカケ=ハ=ツンニークⅢ』は家族を売った裏切り者だぞ。ずるくて、冷酷で、自分勝手な……俺がこの世で一番嫌いな男だ。」
ユリが再び、ぎゅうっと柔らかい体をつねる。
「だから、痛いって!」
「ツンニーク、呼ぶ、しない。スラスラ、ずるい、ない。冷酷、ない! ユリ、スラスラ、好……」
「す? す、何だよ?」
「す……す……」
彼女の表情が八割引なのを考えれば、ほんのりとピンクに染まった頬はどれほどの赤面なのだろうか。もぞっと洋服をひねりながら、ぷいっと瞳が逸らされる。
「買い物、行く。」
「待てよ、何を言おうとしていたんだ?」
「早く! 行く!」
「何を怒ってんだよ?」
頚椎液を傾げて立ち上がったスライムは、今一度部屋を見回した。すでに霧散したその匂いは、この部屋を整えに入ったスタッフの残り香だったのかもしれない。
「それでも、念のためだ。部屋替えを頼もう。」
「タコ。」
「解ってるよ。水槽も移してもらおうな。」
タコが水槽の中でぐにゃりと動いた。
「さて、出かけるか?」
スライムが少し赤くなりながら差し出した腕液に、ユリは何のためらいも無く腕を絡める。
「お前はもう少し、男ってものを警戒した方がいいぞ。」
「スラスラ、安全。」
「ああ、まあ……そうか……」
さもさも残念そうにため息をつくスライムと、浮かれきってぴょこんとはねるような足取りのユリ……並んで出てゆく二人の姿を見送るタコの眼が、ぎょろりと光った。




