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ヤヲそっくりの美しい顔を、へらへらと笑顔でゆがめながら、スライムは『懇願』を続けた。
「なあ、頼むよ。俺は基本、痛いのも面倒なのも嫌いなんだよ。」
主とその花嫁を守るようにスラスラを見下ろすウェアウルフは、牙混じりの残忍な笑顔を浮かべる。
「くくっ、今まで敵だったくせに、そんな簡単に信用できる訳が無いだろう。」
「それならば、こうしようぜ。あんた達への忠誠の証に、このお綺麗な男の顔をそいでやるよ。あ~、指を落すとかも、いいかもな。」
すぐ隣で転がっている護衛長に、飛び切りの侮蔑を込めて眼差しを送る。
「下衆が! あんな男に、ユリ様を!」
「興味ないね。幼女じゃないって知ってたら、こんなにがんばったりはしなかったさ。」
「如何いたします? 我が主。」
振り向いた部下に、ムルノーは柔らかな言葉を降らせた。
「好きにさせなよ。初夜の余興としてはおもしろいじゃない?」
獣の顔が喜悦の笑いでさらに醜く歪む。
己の気持ちを偽ってまでも、スライムがただ待ち焦がれていたのは、まさにこの瞬間だった。
「少しでも変な動きをすれば……」
「解ってるって。最弱に戻れば、心配ないだろ?」
ヤヲの美しさも、力も脱ぎ捨てて、ずるりと本来の姿に戻ったその生き物は、甲冑の隙間から這い出してくる。
(副護衛長サマよぉ、あんたも計算を間違ったみたいだな。最弱には、最弱の使い道ってのがあるんだよ。)
剣の扱いに長けたヤヲの身体ならいざ知らず、ずるずると不安定なこの姿で振るう剣は誰が見ても不安定なものとなるだろう。そう、『手元が狂う』ほどに……
「さあ、その男を切り裂いて見せてくれよ? これで。」
スラスラの手近に、短剣が投げられた。
「!」
「その身体では大きな剣は使いにくいだろう? 俺なりの心遣いってやつだ。」
ウェアウルフは、楽しそうに高らかな声をあげて笑った。
「すばらしいよ、小僧。戦略の基本というものが、お前にはある。戦況を見るセンスもある。とても、ただのスライムだとは思えんな。」
「……ただの腰抜けだよ、俺は。」
「あと十年早く戦場に出ていれば、状況をひっくり返すほどの戦略家にもなれただろうに、残念だな……実戦経験が足りないんだよ。」
「ぐっ……」
「さあ、考えろ、泥水。おれを欺くほどの奇策を……」
……短剣なら、スライムの身体でも扱うことは可能だろう。しかも、装甲の隙間にねじ込むことさえ出来れば、十分に殺傷力はある。
だが、カカシュが言うように、彼はあまりにも実戦経験に乏しい。腕力だって足りない。仮にヤヲの姿を再び借りたとしても……
(俺が串刺しになる前に、せいぜい一人……)
セオリーどおりなら、まず頭であるムナノーを狙うべきだろう。だが、それはウェアウルフも十分に承知しているはず。
仮に、主を守る盾であるカカシュを先に切り崩すとしたら……実戦経験こそがものを言う白兵戦で、この百戦錬磨の男に挑むのは、無謀すぎる。
ヤヲの拘束を解くことを最優先に動けば、あるいはギガントの一人や二人は倒せるかもしれない。が、いくらヤヲでも、アレだけのギガントの群れを一人で鎮圧できるとは思えない。
(結局は、八方ふさがりな訳だ。)
眼球液をぐりんと動かして、おそらく最期になるであろう、美しい月色の少女の姿をスライムは見上げる。
(いや、今は少女じゃないのか……)
たおやかな肢体をローブに包んだその姿は、無防備な色香を放っていた。
その香りを、今から自分ではない男が貪るのかと思うと……あのいやらしい笑顔の男が、この美しい『乙女』を組み敷く姿を思うだけで、外皮が赤く染まるほどの怒りを感じるというのに……
ギガントが、スライムに突き当てていた刀を引いた。
スラスラはのろのろと短剣に体を伸ばす。
(俺は、なんで無力なんだ……)
今一度だけ、ユリを見上げる。
さらりと夜風に揺れる銀髪の下で、凍りついたように動かない表情が……
(笑っている?)
2ミリほど上がった口の端から、呟きが漏れた。
「ヨート=ロ(滅せよ)」
スラスラの隣に黒い魔力が吹き上がり、剣を持ったままのギガントの姿がただの水蒸気に変わった。
「じ、陣無し詠唱っ?」
それは、魔力の強いもののみに許される魔法作法……彼女の魔力が規格外だということの証だ。
「このアマっ!」
ウェアウルフがその口を塞ごうと飛び掛るが、言葉の速さに叶うわけが無い。
「ハイ=ヲ=ロ(飲まれよ)」
ばくん、と音を立てて見えない闇が蠢き、獣は僅かな血飛沫となって消えた。
ユリはさらに呪文を紡ぐ。
「リ=ユ=ロ(闇よ)」
魔力の闇が立ち込め、金髪の男と、それを押さえるギガントを飲み込んで弾けた。
(み、味方にも容赦なしっ?)
その圧倒的な力に立ち尽くすスライムに、呪文ではない言葉が聞こえた。
「スラスラ!」
弾力のある身体に、銀色の乙女が飛びつく。
ボンヨヨと音を立てて、抱き応えのある身体を受け止めると、彼女は安心したように顔を滑らかな外皮に擦り付けた。
「怪我、無い。」
「あ? ああ、一つも……って!」
軽く肌蹴たローブ姿に、スラスラの外皮がピンクに染まる。
「馬鹿っ! 色々と(主に俺が)やばいっ!」
無防備な衣服の袷を守るかのように、ぐにゃりとまとわりつけば、ユリはその弾力に身をゆだねた。
「スラスラ、来た。」
「来ちゃ悪いかよ。」
「……好い。」
いまや完全なピンクに染まった生き物に抱きしめられて、月明かりの乙女が静かに呪文を紡ぐ。
「ツンコン=ラヴィス=ニヴィツリ=ユラネナーク=カナーヲ(深遠より来たりし闇よ、集い、踊れ)……」
大技を思わせる長い呪文を途中で区切って、ユリはスラスラの柔らかな身体にしっかりと顔を押し付けた。
「イヲ=ナイ=シーカィナマ(我と我が夫に)……」
「?」
呪文の礎である古代語に疎いスライムは、彼女が頬染める理由が解らなかった。
「キニーヒ=テヤ=ハア=セウィクネセト(仇なす者を喰らいつくせ)!」
膨大な魔力が大地に解き放たれ、月さえ覆いつくすほどの闇が城を飲み込んだ。




