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……ああ、あの世って、やっぱり暗いのね。
自分の周りだけを照らすおぼろげなピンク色の明かりに、インジは薄く意識を開いた。
「……しょう……師匠?」
……おかしい。あの世に来ても、まだスライムちゃんの声がするなんて……
「センセイ、寝てる。」
……ああ、ロリっ娘も……いえ、今は大人の姿だったっけ。
「まかしとけ、こういうときにとっておきの一言があるんだよ。」
……何を言うつもりよ。もう、静かに死なせてちょうだい……
「先生! 担当さんが来ちまったぜ!」
「なにィ! 仕上がりは? あと何ページ残っているの!」
反射的に飛び起きたインジは、ガラス越しに見えるスライムとユリの姿がやたらと大きく見えることに驚く。
「えええ? どうなってんの、これ?」
「良かったよ、間に合ったみたいだな。」
こぽりと掌液の中で揺すられる感覚に、インジは自分が飲料の空き瓶に詰められていることに気付いた。
「お師匠さん、随分と小さくなってしまいましたね。」
ミョネを横抱きにしたヤヲも、飲料のビンを覗き込む。
「まあ、少しでも回収できただけめっけモンだろ。」
「パラケルススは? あのじじいはどうなったの?」
「ああ。」
ぐいっと持ち上げられて見た部屋の中は、全ての光を失って真っ暗だ。ユリのウィプスがふよっと離れ、暗闇の中に沈む一山の灰塵を照らし出した。
「魔鉱石たちも、光を失っちまった。」
最後の一光を放つ瞬間、彼らの魔力がヤヲとミョネを優しく壁から引き剥がしたように見えたのは、ただの感慨だろうか……
「やっとお役目を終えたってことだろ。後は静かに、眠ればいいさ。」
のんきな弟子の声に、インジは空き瓶の中でたぷんたぷんと、ヒステリックにゆれ暴れる。
「私のことも! 死なせてくれればよかったのに! もう全部終わったんだから、あの人のところへ行かせてくれればよかったのよ!」
「ところがな、そうはいかねぇんだよ。」
ウィプスの光に照らされて、ユリが瓶にずいっと顔を近づける。
「V・バスターズ、完結。」
「じゃないと、あの世へは行かしてくれないんだとよ。」
ユリの頬が小さく緩んだ。
「センセイ、生きてる、良い。」
「ああ、良かったよ。あんなことであんたを死なせたら、じいさんに化けて出られ……っと!」
言葉を飲み込む弟子に、瓶の中でピンク色が身を乗り出す。
「じいさんが? 何よ?」
「ううう、あ~……あんたに惚れてたんだよ、年甲斐も無く。」
「うそよ! だって、断られたもの!」
「あんた、他人の恋愛なんか描いてるくせに、自分の恋愛には疎いんだな。じいさんは老い先短い年だったし、あんたはまだまだ、どれだけ生きるか解らねぇ化け物だ。自分なんかに心を残したりしねぇで、幸せになってもらいたかったんだよ。」
「ツンニーク……」
「ま、あんまり意味無かったよな。あんたは未だにそうやって、じいさんのことが忘れられねぇ。」
「まったく、馬鹿ばっかり……」
「そんな馬鹿ばっかりの『現在』が好きなんだろ?」
「そうね。」
スライムがピシッと姿勢を正した。
「じゃあ、教えてくれ。『現在』を守るために、俺は何をすればいい?」
「解ったわ。全てをあなたに託す。」
「じゃあ、とりあえずヤヲ隊にもどるとするか。」
スライムはヤヲの腕の中にいるミョネに顔液を向ける。
「お前も来るんだろ?」
「え、だってボクは、また、裏切った訳だし……」
「ぐちゃぐちゃ言ってねぇで、来いよ。ヤヲ隊にだけ通じる、取って置きの言い訳があるからよ。」
スライムがずるりと動き出した。ユリがその後に続く。
ウィプスが離れてゆく暗がりの中、ミョネがヤヲの頬に両手で触れた。
「ゆ……るしてくれるなら、ボクを連れて行って。」
「むしろ、私の方がお願いします。ついてきて……必ず、私について来てください。」
「うん、ヤヲ……」
暗闇の中で小さく触れ合う音だけを聞きながら、スライムが腹液の中でにやりと笑った。
(全く羨ましいぜ、ヤヲ。)
ヤヲ隊の面々の不審のまなざしさえ気にせず、ミョネを抱えたヤヲはニコニコしている。
それを庇うように、スライムはずるりと前に出た。
「ンな顔するなよ。死人は出なかったんだろ?」
彼女の見張りにたたされていた半馬人が不服の声を上げる。
「でも俺は、そいつにシメ落とされたんだぞ!」
「馬っっ鹿だな。だから死なずにすんだんだよ。」
「?」
「目標を見つけるまでは情報収集のためにできるだけ波風を立てず、無駄な戦闘を避ける。隠密行動のセオリーだ。だが、目標さえ見つけちまえば後は逃げるだけ。どれだけ殺そうが切り刻もうが問題はない。影にまぎれて暴れられたら、全滅させられるぞ。」
(やっぱり切れ者だね、このスライム。)
口裏を合わせたわけではない。だがスライムは、ミョネが思っていた危惧を、過たずに言い当てて見せた。
「だからミョネは、敵に寝返ったふりをして被害を出さないようにしてくれた。ま、俺がそう指示したんだけどな。」
「でも、それをどうして信じろっていうんだよ。もともとケウィが送り込んだ女だぞ、いつまた裏切るか……」
「俺たちのことは平気で裏切るかもな。でも、ヤヲの事だけは、な。見ろよ、あの爪の怪我。石に埋まったヤヲの姿に動転して、すごかったんだぞ。『いやああああ、私を置いて死なないでえええええええ』って。」
「そこまでは言って無いよっ!」
「似たようなもんだろ? どっちにしろお前は、ヤヲのことだけは裏切らねぇ。『愛』だからな。」
「う……」
真っ赤になって乙女のように恥らう姿に、鋭く注がれていたまなざしが生暖かく緩む。
「愛……ですか。」
「ああ、愛……だ。」
「こっぱずかしいこと言ってんじゃないよ! 脳天茹だってンのかい!」
「愛……そういえば、プロポーズの返事、聞かせてもらってませんよ!」
「あ~ん~た~は~、少しは空気を読みなっ!」
きょとんと見つめる金の瞳にたじろいで、ミョネはさらに赤くなった。
「普通、いきなり結婚ってのは……もっと、で、デートとかさ、そういう、お、オツキアイってのがあるもんだろ……」
「デートしたいんですか。ふふっ、女の子らしくて、かわいらしいことを言うんですね。」
「それに、あんた真面目だから、もし……ごにょごにょ……の、セキニンとか言うなら……」
「ああ、ハジメテじゃなかったことを気にしてるんですか? いいんですよ、年上の女性と付き合うんだから、そのくらいは予想していましたし。」
「年上えええええ?」
ヤヲとさほど変わらなさそうな外見の彼女に、一同が瞠目する。
「スラスラが計算してくれたんですよ。錬金術が滅びた年から考えても、最低で……」
その唇をばばっと両手で塞いで、ミョネは怒鳴った。
「歳の話はしない! 全く、スライム、あんたは……」
振り向くが、ずるりとした生物の姿はすでにそこにはない。
「解りました。歳の話はもうしません。それに、返事も待てますよ。だって……アンナコトやコンナコトもしちゃったんだし、もう夫婦も同然ですからね。」
「そういう言い方をしないっ! 激しく誤解……間違いなく誤解されるからっ!」
隊員たちの好奇のど真ん中で、ミョネは悲鳴をあげた。




