20
岩板から生えた老体は眉間でその一撃を受け止めながらも、傷一つさえ負わなかった。
「ふむ、野蛮だね。」
びいいいんと巨人斬を震わせる斬撃の余韻に負けて、大きく飛びのいたのはヤヲのほうだ。
「馬鹿なっ!」
ざっと膝を突くヤヲに、インジが叫ぶ。
「無理よ! どいていなさい!」
ちょろちょろと部屋の隅から集まってきたグレムリンを掻き分けて、スライムはフラスコの口をずるりと掴んだ。
「何をする気だよ、師匠っ!」
「言ったでしょう。このフラスコの中には、私が数千年かけて溜め込んだ魔力が詰まっている。ここの魔鉱石たちの魔力と、私の魔力を一気に流し込んでやれば、あのじじいの体は何か別のものに変質するはずよ。」
「やり方が問題なんだよ! このフラスコから出たりしたら、あんた、死んじまうんだろ!」
「私のかわいいスライムちゃん。あなたたちに『未来』を残すためなら、私には何も惜しくは無いのよ。」
グレムリンがスライムの掌液をぱしんとはねのける。
「師匠、行くな!」
「あなたの子供は、やっぱりスライムであって欲しいわ。愛人でも作って、一人くらいはスライムの子供を残してね。」
走り出したグレムリンの流れに乗って、フラスコがパラケルススの目前に躍り出た。
「……それで、どうするつもりかね?」
「強がらない方がいいわよ。魔鉱石のおかげで、あなたの魔力が封じられているのは知っているんだから……」
「本当にそうかね?」
「!」
老人の皺ばった手がゆっくりと詠唱の陣を象る。
「お前にばれないよう最小限に、かつ最も効率的にこの布陣を崩すポイントを探すのは、なかなかに骨だったよ。このわしですら計算に二年もかかってしまったからね。」
こぽりと振り向いたインジは、壁の一角がちょうど魔鉱石一人分、きれいにくりぬかれていることに気づいた。
「このときを待っていたのさネ。お前がわしに向けた反撃の牙を折られ、歯噛みしながら散ってゆく姿をたっぷりと味わう、この瞬間をネ。」
「くっううう!」
「老人なんていうのは、暇な生き物さネ。それでも、いつお前を殺してやろう、いつ世界を滅ぼしてやろうと考えるのは、いい暇つぶしだったね。」
老人がもにゅもにゅと、口の中で早口に古代語を紡ぐ。
「……サハヤ=ハ=ニヌフチ=ミースハク=シネーヌ=ア(この者達に裁きのいかづちを)」
陣をまとった腕がぐっと突き出される。
しかし、おろかなフラスコ小人を撃つはずの雷が放たれることは無かった。
「ク=シネーヌ=ラ(いかづちよ)!」
やはり、魔法は発動しない。部屋の全ては物理の法則どおりに静まり返り、空間には微かな風穴さえ開かなかった。
「まさか!」
がばっと振り見た老人は、その原因を見つけ、奥歯をかむ。
失われた魔鉱石のくぼみにすっぽりと収まった褐色の美女と、彼女を抱きしめて魔力を送っている金髪の男……
「娘、お前は一体?」
「伝説が本当なら、あんたの孫の孫の、そのまた孫さ。」
「生体剣……なるほど、我が秘術は伝わっていたか。」
「錬金術師としては落ちこぼれだったけど、このぐらいは解る。物質化されたボクの体なら、十分に魔鉱石の代わりになるね!」
「愚かなことを……魔力の加減を間違えれば本物の魔鉱石と化すね、その男ごと。」
「だってよ、ヤヲ。」
「いいですね。そうすれば、永遠にあなたを抱きしめていられる。」
「……馬鹿。」
近づく唇と唇をさえぎって、スライムが叫ぶ。
「戦闘中にいちゃついてンなよ! バカップルっ!」
「バ……カップルじゃないよっ!」
「そうです、馬鹿夫婦です。」
「くっ、ブレないな、ヤヲ!」
悔しそうに呻きながら、スライムはたぷんとユリを抱え上げた。
「師匠、布陣は成った! 幸いにユリは魔力暴走型だ、指示を!」
こぽりとフラスコの中身がゆれる。
「私に全魔力を上乗せして!」
グレムリンたちがε=ε=ε=ε=ε=ε=┌( ̄◇ ̄)┘と、走り出し、高く掲げたフラスコを……緑玉の表面に叩きつけた。
「師匠っ! くっ、ユリ、魔力を送れ!」
老翁の表面に張り付いたピンクの液体がしゅわしゅわと泡立ち、ぼんやりと青白い光に姿を変える。そこへ陣すらも組まぬユリの送り込む魔力が加算され、聳え立つ岩板にしみこんだ。
「こんな事があっていいわけがないね! お前たちを作り出したのはわしよ? その、創造主にこんな仕打ち……」
「反抗期ってやつよ、オトウサン。」
しゅわっとまた一つ、青白い気体に変わるインジは笑っているようだった。
「描きたかったわね……スライムちゃん、あなたの活躍を。」
老体の表面に細かな亀裂が隙間無く走り、緑色が急速に色あせてゆく。
「うお……の……れ!」
ばらり、ばらりと剥がれ落ちるほど脆く変化した岩板が、苦しそうな断末魔を上げて崩れ落ちた。
「師匠おおおお!」
岩の欠片とともに飛び散り、青白い気体に変わるインジは叫び続ける弟子にそっと呟いた。
「これで、あなたのおじいさんに会えるかしらね……」




