ひとつの愛の形
「婚約おめでとう。」
喫茶店で、美紗は崇の言葉に嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう!崇のおかげ。」
「そうそう。これからは俺に足向けて寝れないぞ。」
崇のその茶化した言葉に美紗は笑った。崇とは幼馴染だが、兄弟のようなもので性を意識した事はなかった。
婚約者の「山本誠二」とは、崇の勤めている会社の男子達と、美紗の会社の女子達の合コンで知り合った。
誠二は崇より1期先輩で、美紗が「どうして彼女がいないのかわからない」と思ったくらいの好青年だ。
正直、合コンでも女子の間で1番人気だった。
合コンの最後に皆で連絡先の交換をしたのだが、誠二が選んだのは「美紗」だった。これには崇も驚いていた。
「先輩がお前を選ぶなんてなぁ…。もっとおとなしい子を選ぶと思ってたのにさ。」
美紗は「失礼ねっ!」と言い返したが…確かにそうだ…と美紗も感じていた。
美紗は(いつか振られる日が来るのかな…)と思いながら付き合い始めたが、お互いの熱が冷める事なく、婚約までたどり着いた…。
崇がコーヒーをひと口飲んでから言った。
「結婚式とかもう決めてるのか?」
「それが式場がなかなか取れなくて…。別に急ぐ必要もないんだけど、籍だけは早めに入れておこうかなって思ってる。」
「そうか…。また決まったら教えてくれよ。」
「うん!スピーチもお願いするからね。」
「おお、任せろ。お前の小さい頃の悪行をすべてさらけ出してやるから。」
「…やっぱり、お断りします。」
美紗が頭を下げてそう言うと、崇は大笑いした。
……
「やだっ!婚約指輪がっ!!」
美紗は、部屋を荒らしながら叫んだ。…婚約指輪がなくなってしまったのだ。
朝、仕事に行く時にはずしたことは覚えているのだが、見つからない。
「どうしよう…絶対に、部屋の中にあるには違いないんだけど…」
ベッドの下や、タンスの裏まで見た。…が、ない。
美紗は携帯電話を取り出し、崇の電話番号を表示すると受話ボタンを押した。
「…あっ!崇っ!!崇聞いてよ!…婚約指輪を失くしちゃったのっ!!」
電話の向こうから「はぁぁぁっ!?」という崇の呆れた声が帰って来た。
『何やってんだよ!…最後に指輪見たのはいつなんだ!?』
「今朝、仕事に行く前に部屋に置いて行ったの!でも、慌ててたから箱にしまわずにどこかに放置したままで…」
『…ということは、絶対に部屋の中にあるってことだよな?』
「うん。」
『今日、掃除とかしたか?』
「ううん。何も…あーーーーーーっ!!」
『見つかったか!?』
「違うっ!そう言えば、帰ったら部屋がすっきりしてて…お母さんが勝手に掃除したのかも!」
『ということは、掃除機に吸い込まれたのかもしれないぞ!』
「そうっ!そうよきっと!崇ありがとう!また電話するっ!」
『ああ』
美紗は電話を切ると、部屋を飛び出した。
……
10分後、美紗は、脱力しながら崇に電話をしていた。
「あったよー…もう心臓が止まるかと思った…」
『全くびっくりさせるなよな!』
「ごめんねぇ…」
『犯人は、おばさんだったのか?やっぱり。』
「うん。すごい謝ってた。何か吸い込んだ音がしたけど、気にしなかったって。」
『そもそもは、そんな大切なものをお前が箱に入れずに放置してたのが悪い。』
「うん!反省してる!」
『で、ちゃんとしまったのか?』
「ううん。今、指につけてんの。」
しばらく間があってから、崇のため息が聞こえた。
『ほいほい。指輪を見つめてにやけてるお前の顔が浮かぶよ。』
「いやぁねぇ!勝手に想像しないでよ!」
崇の笑い声がした。
…しばらく崇と話してから、電話を切った。
(結婚したら、もう崇に電話できないよね…)
美紗はふとそう思い、寂しさを感じた。
……
1ヶ月後-
「崇っ!式場決まった!来年の4月に式できるよっ!」
美紗は、携帯電話を耳に当てて興奮気味に言った。だが、聞いているはずの崇から返事がない。
「崇?どうしたの?」
『…うん…あのさ…俺…』
「?何?どうしたの?」
『アメリカに転勤することになったんだ。』
「!?アメリカ!?」
『そう。年末には行かなきゃいけないんだ。』
「えっ!?…じゃぁ…」
『うん…結婚式出られないかもしれない…ごめんな。』
「……」
美紗はしばらく声が出なかった。
「そう…そうなんだ…。」
『できる限り、帰ってこれるようにするけどさ。ちょっと今のところわからないんだ。』
「うん。」
『ごめんな。俺も楽しみにしてたんだけど…。お前の「馬子にも衣装」ぶりをさ。』
「!!!ちょっと何よー!ひどいじゃなーい!」
崇の笑い声がした。美紗も笑った。…だが、寂しさは拭えなかった。
崇が、トーンを落とした声で言った。
『でも、俺の方の見送りはいいからな。泣きそうになるからさ。』
美紗は驚いて答えた。
「何よ。崇らしくないわね。」
『アメリカには行きたかったけどさ…いざ、行くとなると何だか寂しくなっちゃって…』
「……」
美紗の目が熱くなった。崇とは兄弟のように、つかず離れずの間柄だった。結婚するまでは、そんな関係が保たれると思っていた。…まさかその前に、別れが訪れるとは思ってもいなかった。
美紗が涙ぐみながら言った。
「そんなこと言わないでよ。…なんだか私まで寂しくなっちゃう…」
『なんだ?今まで寂しくなかったのか?』
「え?うん、まぁね。」
『なんだよそれーっ!冷たい奴だなぁ!』
崇の明るい声が返って来た。美紗は慌てて言った。
「うそうそっ!うそだって!ちゃんと寂しいって思ってたよ!」
『取ってつけたように言うな!』
美紗は、思わずこぼれた涙を拭いながら笑った。崇も電話の向こうで笑っている。
……
年末になり、崇は美紗に出発の日を告げず、独りでアメリカへ発った。
その翌日、崇の母親から美紗に電話が掛かって来た。
「…本当に独りで行っちゃったんですね…」
美紗は強い寂しさを憶えながら呟くように言った。電話の向こうから、崇の母親の寂しそうな声が返ってきた。
「携帯電話も置いて行ったのよ。」
「え!?…そうなんですか!?」
…ということは、崇から連絡が来るまで声すら聞けないのか…と美紗は一層寂しさを感じた。
「それでね、美紗ちゃん…ちょっと家まで来てくれないかしら?見せたいものがあるの。」
その母親の言葉に、美紗は目を見張った。
……
美紗は崇の部屋の椅子に座り、ノートを開いて黙りこんでいた。その傍で崇の母親がベッドに座り、悲しげにうつむいている。
「…ごめんね、美紗ちゃん…。こんなノート…美紗ちゃんに見せたって仕方がないんだけど…。どうしても崇の気持ちを知ってもらいたくて…。…崇にも怒られると思ったんだけど…あまりに可哀想だから…。」
美紗は突然涙が溢れ出たの感じ、指で拭いながら首を振った。
美紗が読んでいるノートは崇の「日記」だった。1日2、3行くらいのものだが、それだけに崇の心情がはっきりわかるようだ。
崇はアメリカに発つ前、母親に「いつ帰ってこれるかわからないから、部屋の中の物をすべて捨てておいてほしい」と言ったという。母親は崇の言うとおり、部屋を片付け始めた。…そして、押し入れにしまわれていたノートの山を見つけた。そのノートの山はしっかり紐でくくられていたが、母親はその紐を解き、ノートの中身を見てしまったのである。
母親が美紗に差し出したノートは、大学を卒業した頃の日記だった。
『やばい。美紗の事がすごく気になる。…俺、好きになってるのかもしれない…』
『美紗は俺の事、なんとも思っていないようだ。俺が告白したりしたら、ひくだろうな…』
『今日、合コンをした。山本先輩がえらく美紗の事を気に入ってるみたいだ。…先輩には勝てないよな…』
『とうとう、先輩と美紗がくっついた…。俺の入りこむ隙なし!』
『婚約が決まった。…あきらめるしかないけど…あきらめきれない自分がいる…』
『会社に、アメリカ支店への転勤希望を出した。…恐らく通るだろうと上司に太鼓判をもらった。』
『美紗から「婚約指輪をなくした」と電話があった。すぐに見つかった。指輪をはめて嬉しそうにしている美紗の顔を想像してしまい、悲しくなった。」
『アメリカ支店への転勤が認められた。これで、美紗の事を忘れられる。』
『美紗が結婚式に出て欲しそうだ…。帰ってこようと思えば帰れるだろうけど…出席しても、辛いだけだな。』
『今日、日本を発つ。日記も今日で終わり。さよなら美紗。幸せにな。』
美紗は泣きじゃくりながら、ノートを閉じた。
「崇…ごめんね…」
美紗はそう言いながら、泣き続けた。
……
翌年4月-
「美紗!」
ウェディングドレス姿の美紗は、その声に思わず振り返った。そして目を見開いた。
「…崇…?」
崇が正装した姿で立っている。
「おめでとう美紗。なんとか帰ってこれたよ。」
美紗の目から涙が零れ落ちた。崇は美紗に歩み寄りながら、待機室の中を見渡して言った。
「おばさんたちは?先輩もどこに行ったんだ?」
美紗は崇の胸に飛び込んだ。崇は思わず美紗の両腕を掴んだが、はっとしたように離した。
「美紗?」
「崇のばかっ!!」
「え?」
「何にも言わないで、どうして独りで行っちゃたの!?」
「!!」
崇が、震える声で言った。
「…お前…まさか…」
「ばかっ!!ほんとにばかっ!」
「……」
崇は絶句したように黙っていたが、やがて微笑んで言った。
「…ごめんな、美紗。勝手に好きになってさ。」
美紗は、崇の胸の中で泣きながら首を振った。崇はそっと美紗の体を抱きしめた。
「美紗…愛してても、結婚だけがゴールじゃないだろ?」
「…!…」
「これからも、ずっと美紗の事を想ってる。他の誰かと結婚してもさ。」
美紗は顔を上げた。その額に崇はそっと唇を当てた。
「おめでとう、美紗。愛してるよ。」
「…私も…」
「うん。」
美紗は再び崇の胸に抱きついた。崇は美紗を抱く腕に力を込めた。
(終)