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雨が泣くのを誰が知る  作者: 小鶴
第二章 (仮)雲の章
10/11

10 淡雲すりぬけもくもくと






 サンテグリュを目指して、時雨とユチカは旅をしている。

 サンテグリュとは、学術の発達した大きな都市だ。国一番の大学のある大きな町であり、王都と第一神殿のちょうど中間あたりにあるために情報が一番良く入ってくる町。

 ユチカは時雨にそう説明した。


 ユチカ達の住んでいたラステュの町を出発したが、時雨はそこから彼女自身がどこに行くのか、何を目指しているのか全く知らない状態だった。なのでユチカが時雨にもたらす情報で、時雨の世界は回る。そのユチカは時雨に、サンテグリュに行くと言った。


「とりあえず、僕らの手元にある情報はすごく少ないんだ。僕が調べられたのは全部表面的な情報だけで、結局本を読めばわかることばかり。だから、サンテグリュで情報を得るべきだと思うんだ」

「情報って、どんな?」

「とりあえず、神殿の噂とかを調べよう。僕らが住んでたような、小さな町には流れてこない噂。そう言うものから虱潰しに当たっていく。それから、サンテグリュを少し西に向かえば大きな神殿がある。ここに信者として通って神官と知り合うのも手だと思う。あそこの神殿の規模なら、多分地位の高い人間もいるはずだよ」

「それって、長くかかるよね? 私も手伝えばいいの?」


 もちろんだとユチカは頷いた。時雨の台詞にこめられた不安もきちんと読み取ったらしかった。


「時雨が追われる立場だって言うのはしっかり理解してる。でも、下手に隠れているよりは一住民としてこの世界に馴染んだ方がずっと居場所がばれないと思うんだ」

「……そうかな」


 ならいいけど、と時雨は呟いた。追いかけられると言う恐怖は想像以上のものだ。不安感は決して拭えるものではない。そんな時雨を励ますかのようにユチカは大きく頷いた。


「この世界に慣れさえすれば、シグレはどこにでもいるありふれた人間だろう? 僕らと何も変わらない。幸いにも、時雨の顔を見たのはあの二人組だけみたいだし、あの二人に見つかる以外、よっぽどのことがないと大丈夫だと思う」


 ありふれた人間。もとの世界で言われて良い顔をする人は少ないだろう。けれどその言葉は今の時雨にとっては嬉しいものだった。時雨がこの世界の異物ではないと言ってくれるような言葉。時雨はその言葉大きく救われた。世界は広いのだから、その中の二人と遭遇する確率は低い。

 そうだよね、と時雨も力強く言葉を返した。もう一度繰り返す。


「そうだよね。――それで、私は何をすればいいの?」

「とりあえず、普通に暮らせばいい」

「へ?」


 少しぐらいなら危ないことだって、という心を持って尋ねた時雨は帰ってきた返答に少し拍子抜けした。そんな時雨の間抜けな声にユチカは少し笑った。


「とりあえず、だよ。危ないところから情報を得ることもあるだろうけど、最初は町に馴染んで、近隣の人から信用されて、そこからだ」


 なるほど人から重要な話を聞きだすときには、信頼関係が一番大事なのである。長期戦になると思うと、ユチカはこのときに言った。


「何も下準備が無い状態で、一から始めるから、どれだけかかるか分からない。でも多分、まじない師の予言があったし、シグレがこちらに来たことと、僕がやろうとしてることは繋がってるはずなんだ」


 もちろん分かってる、と時雨はそれに返事をした。どの道ユチカがいなかったら時雨は途方に暮れて当てもなくさ迷い、良くてホームレス悪くて死である。時雨がユチカに従わないなんてことを、彼女自身はまったく考えていなかった。

 詳しい話は町に着いたらにしようというユチカの言葉で、二人のこの会話は終わった。




 その会話を思いおこしながら、時雨は横に座るユチカをちらりと見た。シアーの旦那、ザイールとユチカが話に花を咲かせている。ザイールは図体こそでかくがっちりとしているものの、口調と目元は驚くほどに優しい男性だった。


 シアーと出会ったことと、その夫が神官だと言う話をするとユチカは偶然に驚きながらも喜んだようだった。しかも第四神殿、サンテグリュの西にある神殿にこれから勤める人間の発見に、ユチカは嬉々とした顔をした。

 夕食のときに話しかけてみよう、と時雨とユチカは話していたが、夕食はシアーの方から誘ってくれた。そこでユチカは、まるで熱心なエニアラ教信者のように、実際にそのふりをしてザイールに話を聞いていた。

 必然的に、時雨の話相手はシアーとなる。



「それにしても、行き先がサンテグリュなら第四神殿に行くアタシたちと一緒なんだから、さっき言ってくれても良かったじゃない」

「あ、すいません。それよりもザイールさんが神殿に勤めることにびっくりしてしまって……」

「あはは、アンタ本当に驚いてたもんねえ。さすがにあんなに驚かれるなんて思わなかったわ。そんなに珍しかった?」

「いえ、ユチカが神殿にすごく興味持っていて、サンテグリュに行ったら神官と話したいなって言っていたから、こんなに早く会えて驚いたんです」


 第四神殿に勤めると聞いて、時雨は文字どおり口を開いて驚いてしまったのだった。もちろんそんなことを言えるはずもなく、曖昧な笑みで誤魔化しながら時雨は嘘をついた。さらりと上手な嘘がつけて、時雨はほっとする。

 けれどもその横で、シアーナントはもやもやとした感情を胸に浮かべていた。








――――どーうも、気持ち悪いわ。



 シアーナントは夕食を食べながらそう思っていた。横にはシアーナントの旦那であるザイールがどっかりと座り、正面で時雨が、斜め前ではユチカが食事をとっていた。ザイールとユチカの間で話が盛り上がっているらしい。時雨はと言えば、久しぶりの温かいご飯を噛みしめながら一人で黙々と食事を続けていた。

 一緒に食事をどうかと声を掛けたのはシアーだ。気さくな性格の彼女は、先ほど話をした時雨が連れの男の子を引き連れて食堂にやってきたときなんの気なしに声を掛けた。旅人にはよくあることだ。一期一会の出会いを大切にすべきだと言うことは、シアーも良く知っている。


「君は本当に、よく知っているねえ」

「いえ、好きなんです、こういうことを覚えるのが。他のものは全然駄目なんですけど」


 そんな会話が耳に入ってシアーがふと横を見ると、ザイールは本当に、お世辞でなくユチカに感心しているようだった。

 体格だけはがっしりしているザイールは、驚くほどに温和な人間だ。全体的な骨格がしっかりとしており、その見た目のせいで勘違いされることが多く、大抵の人間はザイールの話し方や、柔らかな目元に驚く。ザイール自身はそう意図しているわけでもないのに、生まれ持った形だけが間違えてしまったような人間だった。

 そのザイールとユチカは、どうやらザイールの職業、つまりは神官の話で盛り上がっているらしかった。


 シアーが視線をひょいと時雨に移すと、彼女は二人の話を聞いてはいないらしく、スプーンを握りしめてゆっくりと口に運んでいるようだった。左手は机の上で皿に添えられ、スプーンの持ち方から上品さがにじみ出ているようにシアーには感じられた。やっぱりお嬢様ねえとシアーは感心する。


 シアーが気持ち悪いと思ったのは、この時雨だった。もちろん見た目が、と言う意味ではない。シアーナントがうまく理解できず、何か違和感があるその自分自身の感情を気持ち悪いという言葉で表現したのだ。

 なんだろう、とシアーは考える。何かもやもやしていたのだ。けれどもその理由は、シアー自身にそれ以上のことは分からないだろう。これを理解するには時雨を知らなくてはならない。






 ここから少し、時雨の話をしよう。


 時雨という人間は、ごく普通の人間である。しかし、変わってもいる。ここで断っておきたいのは、普通というカテゴリーの中には曖昧さが存在しているということだ。

 一般的、客観的に見れば時雨は普通であるし、時雨の妹の喜雨もユチカもラアンも皆、普通の人間という括りの中にカテゴライズできるものである。けれども一度深くまで近づくとそれは変わる。

 他人から知人になり、そして友人になればその人の個性、つまりは変わったところが見えてくる。この時初めて、自分から見た他の人間が普通では無いものになるのである。

 つまりは近づかなければ、その人を知らなければ、その人間が過去に何をやった人間であれどんな性格であれ普通の人間であり、ただの“人間”というのっぺらぼうにすぎない。

 そう言う意味で時雨は普通であり、普通ではない。同じように世界中すべての人間は普通であり、普通ではない。


 さて、ここで難しいのが“知人”という関係になってくる。他人であれば普通であり、友人となれば個性的に見えてくる。だったら知人はどうなのだろう。名を知り顔を知り、話したこともある。けれども友人と呼べるほど仲良くはない。

 人はこの関係のときに、その相手との距離を決めるのだ。この人は自分とそりが合うかどうか、自分の身の丈に合っているか、そう言ったことをこの場所で推し量る。そこで悪い印象を抱かれれば他人に逆戻りし、良い印象を持たれれば友人に昇格する。



 時雨はその、中間にいることが上手な人間だった。



 良くも悪くもない、曖昧なスペースに時雨はいる。人に影響を与えないという意味では無害な立場に時雨は今まで立ってきていた。否、その立場以外での立ち方を知らないと言う方が正しい。それは彼女の生い立ちに関係があるのかもしれない。


 時雨は忙しい両親の元に生まれ、乳飲み子であるうちは一日の半分以上を祖母と暮らしてきた。

 時雨の祖母は、彼女のできる範囲では十分に時雨に愛情を注いだ。けれども一つ下の妹がいたことから、時雨が祖母に構われる時間は妹よりも少なかったと言ってもいい。

 時雨の育ての祖母は、彼女が小学校三年生に上がるとともに亡くなったが、時雨が祖母を思い出すときはいつも妹がついてくる。

 祖母が妹に、妹が祖母に向かって微笑みかけているのを、時雨が見つめている思い出。彼女は物心つく前からそうして育ち、そして物心がついてからはまるで息をするのと同じようにその場所に立っていた。

 時雨にとってそれが当たり前のことであったから、祖母とはそういうものだと理解していたから、時雨は祖母を憎むことも妹を恨むこともしなかった。自分とはそういうものなのだとその頃は思っていたし、それがどこか違うのだと気付いた時はもうそんなことで恨むほど子どもではなくなっていた。


 そこだけ言えば、時雨は驚くほど聡明な幼子であったとも言えるだろう。自分の立ち位置を理解することなど、大人でも難しい。勉強や運動は人並みの時雨の、変わったところと言うのはそこにある。


 小さな頃から第三者として自分の立場を見ることが当たり前であり、そうして生きて行くのが普通であった時雨は、自分を客観的に見ることが驚くほど上手い。無意識のうちに他人から見られて一番無難な人間像を作り上げ、その通りに行動しているのが時雨だ。


 だから時雨は人に嫌われることが極端に少ない人間だった。けれども、その逆も然り。彼女は今までに親友と呼べる人間ができたこともなく、その作り方も分からない。あくまで無難な人間であろうとする時雨は、普通であるのにどこか淡白で、薄い膜のようなものの中にいるようにも見える。

 見目の印象で時雨に話しかけたり友人になろうと試みた人間は、皆その薄い膜を、なんだかよく分からないものとして受け取ってしまうのだ。

 つまり言いかえれば時雨は、自分をさらけ出すのが極端に下手なのである。


 そんな時雨がこの旅の中で目下困っていることと言えば、やはり自分の立ち位置だった。いつの間にか真中に引きずりだされてしまったものだから、自分の勝手とは違う世界にいるものだから、どうやっていつも通りの落ち着いたスペースに行けばいいのか分からない。だから時雨は、ユチカの言う通りに行動していた。

 この世界で今、時雨にとって一番信用できる人間はユチカだ。赤茶けた髪を持つ少年が、ユチカの命綱でありユチカの道標でもあった。実際時雨は今、ユチカに教えて貰わなければ自分がどこに立っているのかさえ分からなくなる。

 だからユチカを信頼せざるを得ない。少年なのに年よりもずっと大人びたユチカを、時雨は掴みかねていた。接し方も難しい。だからユチカの言葉には素直に従うことが一番いいことなのだと、時雨の中では結論が出されていた。

 いつのまにか、時雨は彼女自身がユチカに従順に付き従えばいいかのような、そんな錯覚さえ覚えていた。





 この時雨の言葉にしがたい性格からくる歪な関係を、シアーナントは機敏に感じ取っていた。先ほど二人きりで話した時と比べて、時雨はずっと口数が減っていた。食事に集中したいのかもしれないが、それだけではないだろう。

 シアーやザイールが話しかけると、時雨が時々不安そうな顔をしてユチカのほうを見るのをシアーは見逃さなかった。まるで話すことの許可を窺うような口調だ。実際は自分の話がこの世界にあっているかが不安な時雨がユチカに確認の視線を送っているのだが、それはシアーには分からないことだった。

 そして時雨が言葉に詰まると必ずと言っていいほど、ユチカがその続きを引き継いだ。それが時雨とユチカの普通なのだと言われてしまえばそれまでだが、シアーにはどうしても異物感のようなものが胸につっかえたのである。


 時雨と話した時に、恋人関係でも兄弟関係でもないことをシアーは聞いていた。だとすると後考えられるのは友人関係か、仲間的意味合いを持つものか。ユチカと会うまで、シアーは実際そう考えていた。けれどもこれはまるで、とシアーは思う。シアーには、まるで主従関係に見えるのだ。


とは言ってももちろん詳しいことが分かるはずは無く、シアーは感じたことは感じたこととして自分のなかにしまった。


――――よくわかんないもんはよくわかんないわね。


 半眼でシアーは思考するのを諦めた。もともと難しいことを考えるのは自分には似合わない。そうも思う。シアーはよくある商店の娘として生まれ、上と下に兄弟がいた。好きに生き、好きに恋愛をし、好きに結婚している。自分に幸せと言う言葉はよく似合うと、シアーはこの年になってしばしば思っていた。 そんなシアーは、自分自身が不幸でワケありの境遇の人間を理解するのを難しいことも知っている。興味本位であれこれと考えるのは止めにするべきだった。

 それでも、彼女たちのいろいろな矛盾点や彼女のその性格の不思議さは、好奇心が強いシアーには気になるところでもあった。



「ねえ、どうせ行き先一緒なんだから、一緒に行かない?」



時雨はシアーのその台詞にきょとん、とした顔をして、それからやはり助けを求めるかのように、ユチカの方を見たのだった。









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