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雨が泣くのを誰が知る  作者: 小鶴
第一章 降る降る雨が、ほろほろり
1/11

1 喜びの雨が泣く






……えちゃ……ねえちゃ……。






 頭の中に幼い妹の声が聞こえてくる。幼い? 違う、妹は私と一つしか変わらない。だというのにどうして妹のことを幼いと思ったのだろう。きっと、その声があまりにも弱弱しくて、今にも泣き出しそうであったからだ。





ないで……おねえ、ちゃ……。





 私のことを必死で呼んでいた。どこにいるの?どうして泣いているの?沢山の言葉が思い浮かぶのに、なぜか私はそれを口に出すことができない。まるで声というものが存在しないかのように私の喉はピクリとも震えなかった。

 妹の声がどんどんと大きく、なのにもう聞いていられないくらいに悲しみの色を帯びてくる。

どこ、どこにいるの!?声を出せないのがもどかしくて、目から涙が伝う。頭の芯から響いてくるその声は、私の心を揺さぶる。震わせる。





おねえちゃ……おねがい、お願い……行かないで……。





 妹の声がゆっくりと小さくなっていく。遠ざかっていくのが肌で感じられた。

 待って、消えないで、なあに、聞いてあげるから、ねえ、どうしたのか言って!私は必死にそう心の中で訴える。私の口は相変らずに活動することを放棄し、まるで筋肉が固まってしまったかのように動かない。

 妹の声はもう、呂律が回らないほどに涙で濡れていた。どうして、どうして泣いているの。





おねえちゃ……、えちゃん……お願い、助けて……。








――――私を助けて!!















 ビクリと身体を震わせて、時雨しぐれは飛び起きた。その勢いでベッドから布団とともに転がり落ち、頭を床にぶつけ、ゴンとひどい音が鳴った。一瞬呆けた後に、ジンジンと言うよりはズキズキとした痛みが時雨を襲う。




――――またこの夢だ。




 時雨はぶつけた頭を押さえながら、顔についた涙の痕を寝巻の袖で思いきり擦って消した。目が覚めたばかりだというのに、すっかりと冴えてしまっている。それもこれも、すべて今見ていた夢のせいであった。


 一体何度目なのだろうか。毎日のように、時雨はこの夢を見るようになっていた。


 最初に見始めたのはもう三カ月は前だろう。初めの頃は一週間に一度ほどのペースで、誰が話しているかも何を言っているかもよく分からなかった。それがだんだんと、月日がたつにつれて一週間が四日に、四日が二日に、そして毎日と、夢を見る間隔は狭まり、それと同時にその声も話す内容もはっきりと聞き取れるようになっていた。


 妹の声だと時雨が気付いたのは一カ月ほど前だ。それまでは不思議な夢を見るものだと訝しんでいただけの時雨も、声の主がわかり、内容も聞き取れるようになってからその夢の気味の悪さを感じていた。

 友人たちに話しても笑い飛ばされてしまい、妹に直接こんな夢の話をするのは憚られた。自分はどこかおかしいのかもしれないとまで時雨は考え、病院に行った方が良いのではないかとまで考え一人で悶々とするようにもなっていた。


 ただ同じ夢を繰り返してみるだけであるのならばまだいい。時雨が何よりも嫌なのは、いつも妹の悲痛な叫び声とともに目が覚めることだった。

 家族の痛々しい声で目覚めてしまえば、窓から差し込む朝陽も到底清々しく思えない。このせいでいつも彼女の寝覚めは最悪であったし、夢を見ることへの嫌悪からか不眠気味にもなりつつあった。







 そんなことを時雨が考えていると、時雨の部屋のドアがガチャリと音を立てて開き、妹がドアの隙間からぴょこんと顔を覗かせた。綺麗な栗色に染めたばかりのセミロングが妹の動きに合わせて揺れている。長い睫毛がぱちぱちと、驚きと心配の色を浮かべた瞳を形どって動いていた。



「おねえちゃん?大きな音したけど。どうしたの?」

「あ、ううん、ベッドから落ちただけ!気にしないで、喜雨きう

「なにやってんの、馬鹿だなあ」



 じゃあ私先に学校行くからね、と言って、所属する陸上部の朝練がある喜雨は眩しい笑顔を見せて時雨の視界から消えた。いってらっしゃいという言葉を返す間もなく、時雨は喜雨に向けていた笑顔を解きながら彼女が出て行ったドアを見つめ、小さく溜息を吐いて目を伏せた。

 こんなにも元気に目の前にいるというのに、いったいどうしてあんな夢を見るというのだ。






 痛みの引かない頭をさすりながら、時雨はベッドの縁に腰を下ろした。

 時雨の一つ下の妹は、時雨にとって自慢の一つだ。顔の造り自体は時雨と喜雨は似ていたが、お互いの性格の違いによって、表情の造り方はまったく異なっていた。



 喜雨は明るく天真爛漫で、にこにことした笑顔には人を引き付ける愛嬌がある。学校ではクラスの中心となり、わいわいと騒ぐのが好きな少女だ。

 時雨は妹と比べれば落ち着いていると言われる性質だったが、どちらかと言えば妹の人懐っこさがとても顕著なだけであり、どこにでもいる普通の女子高生と言えた。だからと言ってそんな自分に時雨がコンプレックスを持つわけでもなかった。時雨と喜雨は仲がいい。時雨は明るく自分にない部分を持つ喜雨に対して憧れないことがないとはいえなくとも、自分が妹より劣っているというようなことは考えたこともなかった。

 時雨の家は両親は共働きで忙しくめったに家族全員が揃うことはない。少し淋しいことではあったが、高校三年生ともなれば両親に対して駄々をこねるような年齢は過ぎていたし、両親が忙しいからこそ他の姉妹兄弟よりも自分と妹は仲が良く、楽しく暮らしているのだとも時雨は思っていた。



 だからこそ、妹があんなにも悲しそうに涙を流す声を毎晩のように聞くことは時雨にとっては大きな苦痛になっていたし、時雨は自分が見ている夢に対して憤りさえ覚え初めていた。






時雨はもう一度ため息を吐いてから、ぐっとお腹に力を入れながら気合も入れて、ほっぺたを軽く叩いた。思いきり伸びをしてベッドから立ち上がる。嫌な夢だけれども、夢は夢。そう割り切ろうと時雨はいつも思っていた。

そして気分を切り替えなくてはと思いながら時雨が時計に目をやると、時計の針はいつも家をでる時間の十分前を指していた。ぎゃあ、と思わず間抜けな悲鳴を上げながら、時雨は慌しく動き始めた。








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