理解ある旦那様、拾いました
雨上がりの夕暮れ時。
私は、ずぶ濡れの高級外套をまとった「それ」を見つけた。
自宅兼店舗である薬草店の裏口。
ゴミ箱の脇に、見事な体格の男が転がっている。
(……最悪。よりによってうちの敷地内?)
私の名前はレティシア。
元は伯爵令嬢だったが、実家が政争に敗れて没落。
今はしぶとく生き残り、街の片隅で薬師をやっている。
恋愛小説のヒロインなら、ここで「まあ、大変! 大丈夫ですか!?」と駆け寄るのだろう。
だが、現実を生きる元令嬢の感想は違った。
「ここで死なれたら、明日からの営業許可が取り消される……」
非常に困る。
私は男の首筋に指を当てた。
脈はある。しっかりしている。
ただ、ひどい高熱と、脇腹に浅い刺し傷。
何より、魔力が枯渇して気絶しているようだ。
(身なりは上等。靴の仕立てからして、相当な貴族)
(関わると面倒。でも、見捨てて死なれたら事故物件になる)
私は天を仰ぎ、深くため息をついた。
それから、男の襟元を掴む。
「おーもーいー……っ!」
元令嬢の筋力をナメないでほしい。
没落後の5年間で、私はすっかり「実用的な筋肉」を手に入れていた。
私は男を容赦なく引きずり、店の中へと運び込んだ。
◆
「……ん」
男が目を覚ましたのは、深夜のことだった。
寝台の上で上半身を跳ね上げ、鋭い視線を周囲に走らせる。
「動かないで。傷口が開くから」
私は寝台の脇で、淡々と薬草をすり潰しながら声をかけた。
男の視線が私に固定される。
警戒に満ちた、まるで狼のような目だ。
普通の女の子なら怯えて泣き出すかもしれない。
「ここは?」
「私の店。行き倒れていた貴方を、私が引きずり込んだの」
「……お前が俺を助けたのか」
男は自分の体に巻かれた包帯と、綺麗に処置された脇腹を見た。
衣服も、私の亡き父が遺した古い寝間着に着替えさせてある。
「助けた、というよりは『処置した』と言って」
「処置?」
「ええ。うちの裏口で死なれたら、明日からの営業に差し障るから。あと、これ。明細書」
私はすり鉢を置き、あらかじめ書いておいた紙を男の前に突きつけた。
「初診料、外傷の手当て、魔力回復薬が3本、それと部屋のレンタル代。合計で大銀貨5枚。支払いは現金? それともツケ?」
「……」
男は呆然としたように明細書と私を交互に見た。命を救われた直後に、ここまで事務的に金を請求されるとは思わなかったのだろう。
「くくっ……ははははっ!」
突然、男が低く笑い声を上げた。
緊迫していた空気が、一気に霧散する。
「面白いな。命の恩人の開口一番がそれか」
「命の恩人だからこそ、踏み倒されないように先手を打つの。で、払える?」
「あいにく、身一つで逃げてきた。財布は落としたらしい」
男は困ったように眉を下げた。
だが、その立ち居振る舞いには、隠しきれない気品と傲慢さが滲み出ている。
「じゃあ、働いて返して」
「働く?」
「ええ。ちょうど明日、大量の薬草をすり潰して乾燥させる作業があるの。魔力が戻るまで、ここでタダ働きしてもらうわ。名前は?」
「……アル、と呼んでくれ」
「わかったわ、アル。私はレティシア。よろしく、新しい従業員さん」
私は、こき使える労働力を手に入れたことに、心の中で小さくガッツポーズをしていた。
◆
アルが住み込みを始めて、一週間が経った。
驚いたことに、彼は文句を一つも言わずに働いた。
貴族特有の「庶民の仕事を見下す態度」というものが一切ない。
それどころか、異様なほど手際が良かった。
「レティシア、この薬草の選別はこれでいいか?」
「ええ……というか、アル、覚えるの早すぎない? 薬草の知識があるの?」
「いや、初めて触る。だが、君の指示が明確だからな。論理的な説明は理解しやすくて助かるよ」
アルは長い前髪をかき上げ、端正な顔で微笑んだ。
その顔は、街の女性たちが見たら黄色い悲鳴を上げるレベルだろう。
だが、私にとってはアルの「物分かりの良さ」の方がよほど好ましい。
「本当に助かるわ。前の見習いは、何度言っても覚えてくれなくて……。私の教え方が悪いのかと悩んでいたのだけれど」
「いいや。それは単に、その見習いの知能に問題があるだけだ。君が気にする必要はない」
「……アルって、たまにすごく辛辣よね」
でも、不思議と居心地は悪くない。
彼は私のやり方を、何一つ否定しないから。
――だが、そんな平穏な日々に、歓迎せざる客がやってきた。
ガラガラ、と店のドアが乱暴に開く。
現れたのは、派手な服を着た男。この地区の地主の息子、ギルバートだ。
「おい、レティシア! 今月の店賃の支払い期限だぞ!」
ギルバートは、没落した私を狙って、何度も執拗にしつこく迫ってきている鬱陶しい男だった。
「ギルバート様。店賃なら、昨日すでにお父上へ納金済みですが」
「ふん、親父への支払いはそれとしてだ! いずれ家を継ぐ俺への『誠意』が足りないと言っているんだよ。お前のような行き遅れの没落令嬢を側室に迎えてやると言っているんだ。大人しく店を閉めて、俺の屋敷に来い」
(……はぁ。出たわね、テンプレな悪役が)
私は内心で深いため息をついた。
怒るよりも先に、彼の頭の悪さに頭が痛くなる。
「お断りします。私は現在の生業に満足していますし、貴方の側室になる法的なメリットが私には一つもありません。契約書にも、貴方に別途『誠意』とやらを支払う条項は存在しません」
「な、なんだと……! 減らず口を!」
ギルバートが逆上し、私のカウンターに手をかけようとした、その時。
私の背後に控えていたアルが、静かに一歩前に出た。
その瞬間、店の室温が5度ほど下がった気がした。
アルはギルバートを見下ろし、極上の、しかし完全に目が笑っていない微笑を浮かべる。
「貴方は我が国における民事契約法、第十四条をご存知ないようだ」
「だ、誰だお前は!」
「ただの従業員ですよ。……レティシア、彼を法的に、あるいは物理的に処理してもよろしいか?」
そしてアルは、あまりにも物騒な発言を爽やかな笑顔で言い放つのだった。
◆
「ちょっとアル、さっきのは言い過ぎよ」
ギルバートがアルの気迫に怯えて逃げ帰った後、私は彼をたしなめた。
「事実を言ったまでだ。あのような無能な存在が、君の貴重な労働時間を奪うこと自体が社会的な損失だからな」
アルは当然のように言い放つ。
「……でも、彼は地主の息子よ。明日から嫌がらせがあるかもしれない」
「問題ない。君が頭を悩ませる必要はないよ、レティシア」
そう言ってアルは笑みを浮かべたが、彼の瞳の奥にある冷徹な光を、私は見逃さなかった。
「君は、君の正しいと思う仕事を、そのまま続ければいい。障害は全て、俺の方で片付けておく」
「……アル?」
「君の合理性、君の強さ、君の生き方。そのすべてを俺は素晴らしいと思っている。だから、君の邪魔をするものは、この国に存在させはしない」
その言葉は、まるで絶対的な権力者の宣言のようだった。
◆
数日後。
ギルバートの父親が青い顔をして我が家に飛び込んできた。
そして、「息子が大変な無礼を働いた!」と、涙ながらに店賃の永久免除を申し出てきた。
さらに、ギルバート本人は、遠くの開拓地へ強制労働に送られたらしい。
それを聞いた私は、店の奥で優雅に紅茶を飲んでいるアルを見た。
私と目が合うと、彼はにこりと完璧な微笑を浮かべた。
「お茶のお代わりをくれるかい、レティシア?」
(……うん。この人、絶対にただの行き倒れじゃないわね)
彼の正体が、政争に巻き込まれ身を隠していた『氷の公爵』だと知るのは、もう少し先のお話。
でも、どれほど偉い人だろうと、完璧に私の仕事を手伝い、邪魔者を処理してくれる優秀な相棒(仮)を、手放す理由なんてどこにもない。
「いいわよ、アル。その代わり、今日の分の薬草すり潰し、あと1樽追加ね」
「ああ。君の命令なら、喜んで従おう」
私たちは、今日も完璧なチームワークで店を切り盛りしている。
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