幼馴染の告白が全部ロマンス小説の再現にしか見えません~推し作家の正体が幼馴染だったのでイベントだと思ったら本気の求婚でした~
「口もないのに語るもの、自分にない経験が出来るもの、なーんだ……それは、本!」
なぞなぞ風の独り言を呟きながら、ガバッと机の引き出しを開く。テンション高くステラが取り出したのは、最近流行りの恋愛小説だ。
「つ、ついに買ってしまった……人気作家ローザンヌの最新作!」
ローザンヌは数年前に彗星のように現れ、瞬く間に人気になったロマンス小説家だ。
噂では、ありとあらゆる殿方を手玉に取ってきたとある高貴な貴族の未亡人作家だとかなんとか。
「これは、可憐さを学ぶ令嬢としての勉強よ……!」
ステラはドキドキしながら、その赤い表紙をゆっくりめくる。
「………………!」
ステラは赤くなった。
「…………ひぇっ!」
ステラは耳まで赤くなった。
「……か、壁ドン?」
ステラは赤くなったり青くなったりして身悶えながら、震える手でページをめくっていく。
「ふふ、やっぱり殿方には、こういう儚げな上目遣いが効くのね……よし、鏡の前で練習を……」
その時、カタンと、窓が開く音が小さく響いた。
「あれ、ステラ、百面相。楽しそうだねぇ」
「どわあぁぁぁっ!?」
振り向くと、ひょっこり現れた幼馴染のシリルが窓を開けて部屋に入ってくる所だった。
「ちょっと! 勝手に来ちゃダメって言ったでしょ!」
ステラは、毛を逆立てた猫のように跳び上がり、必死の形相で小説を背後に隠す。
シリルは不穏に目を細めた。
「何それ、男からの手紙?」
声のトーンも笑顔もいつもの子犬シリルだ。だが、その瞳の温度だけが氷のように冷たい。
「違うわよ!」
「ふーん……」
シリルの笑顔が少しだけ消えた。
その瞬間。
「……わっ!?」
動揺したせいか、シリルの動きが見えなかった。反射的に半歩下がる。
いつの間にか目の前にいたシリルがステラの背後を覗き込んだ。
――思ったより背が高い。いつも猫背だから気づかなかった。
「あれ? それ、本? 何読んでるの〜?」
にっこりと人懐こい子犬のような顔で手を伸ばす。やたらと動きにキレがある。
「やだ!」
ステラも本能的にサッと本を反対の手に持ち替える。
シリルがにこにこと楽しそうに笑いながら、アイスブルーの瞳を細めた。
――それが合図だった。
本を巡る超高速の攻防が始まった。
素早くステラが避けると、それを上回る妙な身軽さでシリルが手を伸ばしてくる。
「ちょっと! やめなさい! というか、何なのこの速さ!? 騎士学校の落ちこぼれじゃなかったの!?」
落ちぶれたとはいえ、ステラは代々騎士の家系の娘だ。本領発揮で完璧な防御を見せる。
「貴族は全員騎士教育受けるし、これくらい普通だよ。……ううっ、僕なんていじめられてたから、逃げ足ばっかり早くなっただけだよぉ」
だが、シリルはそれを上回る絶妙なタイミングで「騙し討ち(甘えたフェイント)」を繰り出した!
うるうると震える子犬のような目でステラを見つめる。
「く……っ! ああっ!!」
ステラはあっさり本を奪われた。
「ステラ、今の受け流し、筋がいいね!」
シリルは悪戯が成功した子犬のように楽しそうに笑った。
「ええっと……『孤高の剣聖様は、初心な小鳥を夜ごと狂わせる』? へぇ、夜ごと狂わせるんだ……。ステラ、初心な小鳥って君のこと?――」
「読まないでぇぇぇ!!」
一方、ステラは肩で息をしながら、ゾンビのように手を伸ばす。
そのまま豪速で本を取り上げ、シリルをガシッと抱えあげた。火事場の馬鹿力ならぬ、羞恥心の馬鹿力だ。
「わぁ、僕、お姫様だっこなんて初め……」
ぽいっ
そのままシリルを窓から放り出した。
何事もなかったようにサッと窓を閉めて、しっかりと鍵をかける。嵐は去った。
大きく深呼吸して振り返ると――
「どわぁぁ!」
何故かベッドで寝転びながら例の本を真剣に読むシリルがいた。
「しまった! 窓、もう一個あった! ……じゃない!」
ステラは、わなわなと肩を震わせた。
「なんでそこにいるのよ!?」
再び本を奪い返そうと、ステラはシリルに飛びかかる。が、シリルがそれをサッと避けた。
「わっぷっ!」
ステラが情けない声を上げてベッドに転がる。
「大丈夫? ステラ」
目を開けると、シリルに手首を掴まれ、視界が反転する。ステラはそのままベッドに押し倒されるような形になっていた。
(……あ、れ? シリルって、こんなに力が強かったっけ……?)
シリルは昔から病弱だった。
だからステラの中では「守る側」だった。なのに今は、手首が少しも動かない。
近い。
気づけば、逃げ場なんてどこにもなかった。
普段は前髪に隠れがちなアイスブルーの瞳と、ステラの金色の瞳が至近距離でぶつかった。
「『……これ以上俺を焦らすな、お前のすべてを壊してしまいたくなる』――こんな感じ?」
いつもより少し低いシリルの声が耳元で響く。――これは、ローザンヌの本の一節の再現だ。
「〜〜〜〜っ!」
ステラが顔を真っ赤にしてフリーズしていると、シリルはすっと元の「無害なチワワ顔」に戻った。
「ふふっ、ステラはこういうのが好きなんだ?」
シリルは本を閉じる。
「僕ならもっと上手にできるのに」
クスクス笑いながら本をぽんと、ステラに返す。
――スッと、ステラは無言で起き上がった。
その瞳から一切の感情を消し去り、冷徹な絶対零度の声で告げる。
「帰れ」
丁寧にハーブティーの茶葉(口止め料)を持たせると、シリルを今度こそ部屋から叩き出した。
「はあぁぁぁぁ」
静かになった部屋で大きなため息をつくと、ステラはベッドに、倒れ込み、赤くなった顔を枕に押し付けた。
――シリルの男らしい体温や冷涼なミントの匂いが頭から離れない。
「……ほんと、何なのよ」
胸の奥が妙に落ち着かない。
枕に顔を埋めたまま呟く。けれどその夜、何度目を閉じても、浮かんでくるのは本の中の騎士の瞳ではなく、アイスブルーの瞳の方だった。
「……また部屋に結界石、置き忘れてるな」
シリルはステラの部屋の明かりを見上げて苦笑した。
その時、ガサリと背後の闇で不吉な影が動いた。
屋敷の奥に広がる森から現れたのは1匹の巨大な魔獣だった。
普通の人間なら見ただけで腰を抜かすような異形の存在が、迷うことなくステラの部屋を目指して近づいてくる。
「……本当に放っておけない」
シリルは静かにため息をついた。
その瞬間、アイスブルーの瞳からすべての温度が消え失せる。
次の瞬間、夜風が草木を揺らした。
――ただそれだけだった。
気づけば魔獣は跡形もなく消えている。
王国騎士団が総出でも討伐困難とされる災害級魔獣は、最初から存在しなかったかのように消滅していた。
「おやすみ、ステラ」
シリルは再び二階の窓を見上げ、いつもの無害な子犬のような笑顔を浮かべる。
部屋の中ではきっと、あのかわいい幼馴染が、恋愛小説の続きを読んで赤くなったり青くなったりしているのだろう。
――自分のことなど、欠片も考えずに。
「……困ったなぁ」
嬉しそうで、どこか酷く寂しそうな呟きだけが、静かに夜の闇へと溶けていった。
「ステラおはよ。どこか行くの?」
屋敷の門を出た瞬間、のんびりした声が背後から降ってきて、ステラは心臓が口から飛び出そうになった。
振り返ると、そこには見慣れたゆるふわ系幼馴染・シリルが、にこやかに手を振っている。
「シ、シリル! いや、その……今日はローザンヌ先生の新刊フェア初日で……!」
「うんうん」
「初回限定の、書き下ろしSS付きしおりが手に入る、先着十名だけの超激レア枠で……っ!」
「へぇ、そうなんだ」
(なんでそんなに他人事なの! 私の人生がかかってるのに!)
ステラはカッと目を見開くと、騎士の家系秘伝のフォームで猛ダッシュをかけた。
「だから今日は1分1秒が惜しいの! ついてこないで、じゃあね!!」
「えー、僕も行くよー」
ステラは風を切り、曲がり角を抜けて石畳を蹴って全力疾走した。横目で後ろを振り返る。
「ふふふ……これで振り切ったわね」
「何を?」
凄まじい風を置き去りにして疾走するステラの真横に、なぜかシリルが涼しい顔で並走していた。
「ぎゃーっ! 何でいるのよ!?」
シリルが「ん?」と言う顔で首をかしげた。
ステラはキキッと音が鳴りそうな勢いで走る足にブレーキをかけた。同時にシリルがぴたりと止まる。
「今、全速力で走ってたんだけど!?」
「うん。見てたよ。キレイなフォームだったね」
息一つ乱さず、「あ、蝶々」とゆるふわな発言をしている幼馴染を見ながら、ステラは目を白黒させた。
騎士の家系のステラは代々男女関係なく幼少期から鍛えている。
だがシリルは、そのステラの全力疾走について来たばかりか、散歩でもするような身軽さで歩いていたではないか。
「物理法則がおかしいでしょ……」
ステラは怪奇現象を見たかのように頭を抱えて、深く考えるのをやめた。
そのままシリルと共に本屋へ続く街道を歩く。
ステラの住んでいる屋敷はだいぶ街の中心から離れた場所にあった。早く行かないと初回限定特典が売り切れてしまうかもしれない。
心もち足が早くなる。
「そう言えばステラ、ちゃんと護符持ってる? 僕、心配だよ」
横を歩くシリルが目を潤ませて顔を覗き込んでくる。
ステラは昔から何故か魔物を引き寄せやすい体質をしていた。今でこそ大抵の弱い魔物は追い払うくらいの腕はあるが、幼い頃は護符を忘れて、シリルを何度か怖がらせてしまった事もある。
「ちゃんと持ってるから大丈夫よ。私から離れなければ魔物に襲われる心配ないからね」
シリルはほんわかした笑みを浮かべた。
「よかった! でも僕、怖いからステラにくっついてるね!」
「もう、仕方ないなぁ」
ステラは猫のようにするりとすり寄り、腕を回すシリルに苦笑する。
人影のない街道の林から、冷たい風が不意に吹いた。
「ふふ、こうしてると温かいね。……今日は、冷えるから」
シリルの瞳がわずかに細められ、底知れない絶対零度の光を帯びた。
ステラは気づかない。街道脇の林の奥。木々の隙間からいくつもの赤い光がこちらを窺っている事を。
「そう言えばローザンヌの新刊予告にも、こんなシーンあったなぁ」
ステラは嬉しそうに笑った。
「甘えてくる年下の騎士が、魔物を一撃で倒すの! 冷酷な瞳で、こう、手で羽虫を振り払うように。もう最高なのよね!」
ちなみにその小説のタイトルは『不遇な令嬢は、年下の騎士に甘えられて理性を失う』という。
「へぇ」
「ま、護符もあるし、シリルは私が守るけどね!」
ステラは悪戯っぽく笑う。
シリルはその横顔を見ながら、ポケットの中から小さな結界石の欠片を掴むと、それを弄ぶようにして指先で弾いた。
ガッ
何かが倒れるような小さな音が、風に紛れてステラの耳に入った。
その瞬間、林の奥から複数の気配が一斉に消えた。
「ん? 今何か音が……?」
「風じゃないかな?」
シリルは柔らかく微笑む。
――風は止んだ。
街の中心街に近づくと同時に、少しずつ活気のある声が辺りを彩始める。
大通りに差し掛かる頃、ステラが時計台を見上げると、丁度九時の鐘が鳴り始めた。
本屋の開店一時間前だ。
「急がないと! シリル、こっち、こっち!」
ステラは時計台の鐘が鳴り響く中、シリルの手を引っ張って本屋へ向かって走り出した。
――その時。
「暴走馬車だ! 逃げろ!!」
怒号と共に轟音を立てて馬車が走り出した。人々が悲鳴をあげて散り散りに逃げ出す。
ステラが振り返ると、狂暴化した魔獣が引く馬車が、もの凄い猛スピードでステラたち目掛けて突っ込んでくるではないか。
「ステラァ! 怖いよぉぉ!」
シリルが涙目でステラの胸に飛び込み、その視界を完全に塞ぐ。
「ちょっとシリル、危な――」
ステラがシリルの頭を抱きとめたと同時に――
――ゴンッ。
何かが砕けるような音がした。
次の瞬間。
轟音を立てていた馬車は急に進路を変え、石畳を削りながら広場の噴水へ突っ込んで停止した。
「……え?」
辺りが静まり返る。
魔獣は気絶し、馬車の車輪は何故か根元から吹き飛んでいた。
「……あれ? 止まった……?」
ステラはパチクリと目を丸くした。大事故になる寸前だったはずなのに、奇跡的に馬車が自滅してくれたようにしか見えない。
「助かったぞ!」
「奇跡だ!」
人々が安堵の息をもらしながら、目の前の惨状を見てざわめきだした。
「ううっ……怖かったぁ……」
シリルは相変わらずステラにぎゅうぅっとしがみついている。
「もう大丈夫よ、シリル。本当に運が良かったわね!」
ステラが安心させるようにその柔らかい金髪をなでると、シリルは名残惜しそうに腕を放した。
「怪我はない?」
「してないよ」
シリルはステラの瞳を覗き込んで、ふにゃりと笑った。
「ステラが怪我しなくて、本当に良かった」
「もう大袈裟ね! さあシリル、本屋さんはもう目と鼻の先よ! 急ぎましょう!」
「うん!」
ステラはシリルの背中を押すと、再び石畳に靴音を響かせて走り出した。
――もちろん、彼女は気づかない。
シリルが振り返り、噴水に突っ込んだ馬車へ一瞥をくれたことも。
そのアイスブルーの瞳に、一瞬だけ底冷えする光が宿ったことも。
「……ステラに近づきすぎ」
誰にも聞こえない声でそう呟くと、シリルはいつもの子犬みたいな笑顔に戻り、愛しい彼女の後を追いかけた。
無事に本屋で新刊を手に入れ、ステラはほくほく顔で帰り道を歩いていた。
「はぁぁ……やっぱりローザンヌ先生は神だわ。私も、ローザンヌ先生が書く『年下の騎士』みたいな人と結婚したいなぁ」
ステラが物思いに耽りながら呟いていると、ぴたりとシリルの足が止まった。
「ん? シリル?」
ステラが振り返ると、シリルのアイスブルーの瞳とぶつかった。いつもとは違う、獲物を捉える前の猛禽のような鋭さを湛えていた。
――次の瞬間。
「え?」
ステラは腕を引かれ、気づくと裏路地の壁に追い込まれていた。シリルがステラを囲うように壁に手をついている。
ステラが顔を上げると、シリルは蠱惑的な笑みを浮かべた。
「……じゃあ、僕と結婚して」
「え……?」
「ステラが好きな“ローザンヌ”って、誰だと思う?」
シリルのいつもより少し低い、真剣な声にステラは心臓が跳ねる。
(……違う。この声、いつもと違う)
シリルは一歩、距離を詰めた。
「ま、まさかローザンヌ先生って……!」
「――もう、遊びは終わりにしようか」
驚くステラの顎をすっと指先で掬い上げ、逃げられないように至近距離で見つめるシリル。
そのアイスブルーの瞳には、暗く、底知れない本気の光が宿っていた。
(……これ、完全に小説の“壁ドンイベント”じゃない!?)
「本の中の全部、現実にしてあげる。……僕から逃げられるなんて、思わないで」
ステラは目を見開いて、幼馴染の顔を見つめた。
普段の姿からは想像もつかない、冷酷で執着心に満ちた笑みを浮かべている。
(……今の、完全に小説のシーンじゃない?)
二人の間に、一瞬の静寂が満ちた。
「――ひゃああああっ!! 最高ぉぉぉぉ!!!」
「……え?」
「今の完全に“年下の騎士・実写版”じゃん!!」
「え、これ生イベント!? 私が主人公!? 最高すぎない!?」
ステラは頬を赤く染めながらながら、大興奮でシリルの手を両手でギュッと握りしめた。
完全なる『解釈一致』への大喜びだった。
「もしかして私、公式に認知されてる系ファン!? え、そんなの嬉しすぎるんだけど!?」
「う、うん。喜んでくれて良かった……?」
ステラの超解釈で、シリルの告白はまさかの『オタ活への大興奮』として消費されていた。
シリルは一瞬だけ呆然としたものの、すぐにフッと楽しげに、歪んだ溺愛の笑みをその端正な顔に浮かべた。
(……まあ、全然伝わってないみたいだけど。まあいいか。もう死んでも逃がさないからね、ステラ)
「これからが本番だよ。……お家、帰ろうか」
「うんうんっ! 喜んで付き合うわ、シリル先生!!」
二人はすれ違いのまま、それでも彼だけが確かに“終わり”を決めていた。




