三話『嘘が嫌いになった日』
「……」
アタシは手すりから落ちて、そのまま落ちたはずだった。
しかし、痛みはおろか、むしろ温かい何かがアタシを抱えていることに気づいた。
「…大丈夫か…ミハル」
目を開けると、黒和くんの顔が目の前にあった。
そこでようやく分かった。
今、アタシは黒和くんにお姫様抱っこをされているのだ。
恥ずかしくなったアタシは、無言で暴れた。
「あ、ちょっ…、危ないって!」
「…っ!!!」
黒和くんはアタシを地に下ろすと、昔のように謝ってきた。
「ごめん…、さっきの体勢は、いろいろと嫌だったよな」
「…いや、とかじゃないけど…」
「汗がついたかもしれないな…。本当に申し訳ない。」
深々と頭を下げた彼は、アタシに「気をつけろよ」とだけ言ってグラウンドへ向かった。
取り残されたアタシは、その場で黒和くんと当たっていた左肩を触る。
そこには、確かに彼の温もりがわずかだが残っていた。
彼の温もりを逃がすまいと、アタシは両肩をギュッと抱きしめるようにしゃがみ込む。
心臓が今までにないほどに高鳴っており、耳が熱くなってくる。
それでも、彼の事を感じたくて、ずっとしゃがみ続けた。
ーーー放課後
あのあと、体調が治っていたアタシは、教室へ戻り残りの一時限を受けた。
皆が各々、帰り支度をしている中、アタシはぼんやりと外を眺めていた。
「ミハルぅ!!」
そこへ、昼に喧嘩をふっかけてきた野郎が来た。
「てめぇのせいなのに、黒板消しのクリーナー俺が壊したことになってんだけど!!」
アタシの机をダンッと叩く。
まだ教室に残っていた生徒たちが、こちらに目を向ける。
アタシはそいつを見ながら、ため息をついた。
「何人の顔見てため息ついてんだこのアマァ!?」
鞄を手に取り、荷物を詰める。
「さっきから無視してんじゃねぇよ!!」
荷物を詰め終えた鞄は、少し重く、少しだるい。
「だからさっきから俺を…!!」
「うるせぇ!」
その怒号とともに、男は突き飛ばされた。
アタシはその光景を見ながら、突き飛ばした女子生徒を見た。
そこに立っていたのは、ボーイッシュな髪型の女子生徒だった。
ため息をつくと、こちらに目を向けた。
「大丈夫か川中さん。」
そう聞いてくれたが、アタシはそれを無視し、鞄を背負い教室を出た。
ボーイッシュは何か話しかけてきたが、アタシはそんなことよりもこれからのことに気が行っていた。
家の前まで来ると、中から男達の怒号が聞こえてきた。
「もう納期は過ぎてんだよ、分かってんのか!!」
「あ、あと三年だけ待ってください!!」
「三年もまたなきゃいけねぇのか!?」
アタシはその声を聞きながら、その男達がでていくのを外で待った。
そんなアタシに、男達の仲間と思われる男が話しかけてきた。
「ここの娘さんか、可哀想にな…」
「同情は無用です。」
男は何も言わず、アタシの隣で壁にもたれかかった。
タバコに火を付けると、大量の煙を口から吐く。
「タバコは嫌いか?」
突然そう聞かれたアタシは、小さく頷いた。
「それで良い…。タバコなんて、何もうみゃしねぇ。」
そう言うと、男はタバコの火を消し、容器に入れた。
「吸わないんですか?」
「今少しだけ吸ったろ?」
即答され、少し動揺した。
男は笑うと、今度はペンダントを取り出した。
「俺にも娘がいたんだ。…タバコ吸おうとすると、よく怒られてたなぁ…」
そう言う男の顔は、どこか切ない様子を見せた。
アタシはすぐに察することが出来た。
「…写真、見せてもらっても良いですか?」
「あぁ、良いぞ…。可愛いから気をつけろ?」
ニヤニヤとしながら、男はペンダントを手渡した。
アタシはペンダントを開き、中に入っていた写真を見た。
確かに可愛らしい女の子が写っており、とても眩しい笑顔だった。
「可愛い娘さんですね…。」
それを見ていると、アタシにもそんな生活はなかったのかと、そう思わずには居られなかった。
いろいろなことが頭を駆け回り、涙が出てきた。
男は何も言わず、ハンカチを取り出した。
「生まれる場所が違えば、もっといい生活ができていたのかもな。
…君も、俺の娘も…」
そう言うと、男のスマホが音を立てて鳴り始めた。
スマホを手に取りを、男はその電話に出た。
それと同時に、家の中から複数人の男達が出てきた。
男達の中に、見たことのなかった白い服の男がいた。
その男はこちらに目線を送ると、ウインクをしてきた。
男達は車に乗り込むと、その場を去っていった。
家の中からは、女の泣き声と、男の血を吐くような音がした。
アタシは玄関へ行くと、中は荒れに荒れていることを確認した。
そして、血を吐く男と目が合ったアタシは、その近くにいた女に引っ張られて、家の中へと姿を消すのだった。
ーーーそれから三ヶ月後。
アタシの毎日は、相変わらずだった。
学校では何もないように振る舞い、家では両親を名乗るクズに暴力を振るわれる。
だが、それが日常とかしているアタシは、涙なんてものは流さない。
流せないと言ったほうが正しいだろうか、もし泣いてしまえば、アタシはあいつらに負けてしまうことになる。
それは嫌だから、アタシは耐える。
あと六年ほど、高校を卒業できれば、もうあいつらは用済みだから。
そう思いながら、アタシは日々を乗り越える。
「…ミハル?」
体育の時間、黒和くんが話しかけてきた。
「な、なんです?」
緊張して上手く離せない。アタシは、彼の胸あたりを見ながら答える。
「ミハル、その、鎖骨のあたり…」
そう言われ、アタシは最初わからなかった。
「…鎖骨のあたりに、痣がないか?」
そこまで言われようやく自覚した。
アタシは慌てて体操着を上を引っ張り、その部分を隠す。
昨日、酒を飲んでいた父に、灰皿を投げられ鎖骨の部分にそれが当たったのだった。
その事を忘れていたアタシは、ジャージを着るのを忘れてしまい、ペアを組んでいた黒和くんに見られてしまったのだ。
「こ、これは…。スマホ、スマホが落ちてきて…それで…」
一番見られたくなかった黒和くんに、必死にそれっぽいことを言い誤魔化そうとした。
しかし、黒和くんは黙ったままこちらを見てくる。
乾いた笑いをするアタシは、彼の顔を、見れずに俯いた。
そんなアタシに、彼は何も言わずに、彼が持ってきていたジャージをアタシに渡してくれた。
「他の奴らが見たらまずいだろ。
…さっきまで着てたから、臭いかもだけど…。何もないよりはマシだろ?」
アタシはそのジャージを着ると、少しぶかっとした。
しかし、それが良かった。
「袖が長いな、まくってやろうか?」
その優しさに、アタシは気づけば頼っていた。
優しい手つきで、ジャージの袖を手首より少し上までまくり、それを両手ともやってもらった。
「…他のところにも痣があるんだな…」
時折痣の部分に彼の手が触れた際、痛みを感じ顔を歪めていたのを、彼はしっかり見ていた。
「……そう、かも」
もう誤魔化すのは無理と判断したアタシは、素直に答えることにした。
彼はアタシの手を優しく取ると、授業を再開させた。
授業中、彼はずっとアタシを気遣ってくれていて、アタシもそれに甘えていた。
そして、そんな時間も過ぎ、六限目の国語の授業は彼のジャージに顔をうずめて眠っていた。
久しぶりに熟睡したアタシは、栗栖に起こされるまでずっと眠っていた。
「まったく、相当疲れていたんだねぇ」
栗栖はアタシの頭を優しく撫でる。
「やめてよ…。アタシは子供じゃないんだから…」
彼女の手を軽くはたき、席を立つ。
「それ、体育の時間の時に借りたジャージ?」
「…そうだけど。」
「…ププ。」
「な、なによ?」
彼女は口を隠しながら笑うと、笑顔をこちらに向けた。
「いやぁ~、どうやらボクには勝ち目がないみたいだねぇ〜」
ニヤニヤしながらそんな事を言ってきた。
「勝ち目って、…んな?!」
その意味に気づき、アタシは必死に弁明を始める。
彼女は「分かった分かった」と笑いながら答えた。
その時、彼女のポケットから通知音がした。
ムスッと膨れるアタシを置いて、彼女はスマホのメールを見る。
「…ごめん、今日も一緒に帰れなくなっちゃった。」
切ない声で、彼女はそう言った。
「…またバイト?」
「……うん!また店長が人手が足りないって言ってきててさ!」
…嘘だ。
アタシは直感的に、そう悟った。
彼女は確かに、いつも通りの笑顔を見せてくれているが、それは無理をしているものだと、アタシには分かった。
何かを言おうと、彼女に手を伸ばしたが、彼女はその手を握ると小さくつぶやいた。
「…ありがとう、こんなボクと友達になってくれて。
本当に嬉しいよ。…また明日会おうね、ミハル!」
彼女は最後まで笑顔を絶やさなかった。
そんな姿を見て、アタシは胸が苦しくなった。
頭では理解している。彼女が嘘をついて、無理していることぐらいは、アタシだから分かる。
なのに声が出ない。
彼女を信じたいから?信用しているから?
…きっとそんなものではない…
アタシは、アタシを「感」を信じたくなかったのだ。
「…栗栖!」
「なに?」
栗栖は、こちらを向かず、背を向けたまま聞き返した。
「また、また明日、会えるよね?」
「……決まってるじゃん。」
彼女は、飯田栗栖はこちらを向き、満面の笑みで、アタシへ誓った。
「絶対会えるよ!」
「…うん!」
アタシは、アタシは…
ーーー
『ーーー今朝、午前5時頃、〇〇の自宅から、夕咲中学の生徒と見られる遺体が発見されました。
〇〇は、容疑を認めており、「自分だけのモノにしたかった」などと述べおり、他の誘拐事件との関連性を調べる方針です。…では、続いてのニュースですーー』
夕咲中学
川中ミハル達が通う中学校。