『俺、案外いけんじゃね?』1
・第一章『俺、案外いけんじゃね?』1
ここは足立区。
喧嘩やチャリ盗難、コンビニ強盗などの犯罪が昼夜問わずに横行していた。
そして、区内の高校では、『一番喧嘩の強い高校』を決めるための熾烈な争いが毎日のように繰り広げられていた。
そんな荒れた地で、最強のヤンキーを目指すある一人の男、龍池狂弥が新たな癖に目覚めようとしていた……。
暑い日差しが部屋に差し込む金曜日の昼。
窓から入ってくる強い日差しで起こされた狂弥は、眠い目を擦りながら体を起こした。
すると突然、軽い頭痛が襲われて、咄嗟に頭を押さえた。
おそらく、上裸にトランクス姿で寝ていたせいで、軽い風邪を引いたんだろう。
「んあぁ。今何時だ?」
鼻を啜りながら枕元にあるスマホを見ると、十一時二十二分と表示されていた。
もう直ぐ昼か。冷蔵庫の物でテキトーに飯済ませないと。
スマホを手に取り、画面をタップする。
そして、チャットアプリを開くと、学校に来ていないのを心配した親友二人からメッセージが何件も入っている。
なんかあった?
おーい! 生きてるか?
今日、タクヤのヤツ詰めるんじゃなかったか?
もしかして襲われた!?
あくびをしながらスマホを操作して、二人に自分の無事を報告する。
返信が終わった狂弥は立ち上がり、冷蔵庫に向かってヨタヨタと歩き出した。
『ガチャッ!』
ドアの鍵が開き、「お邪魔しま〜す!」という声が聞こえてきた。だが、明らかに姉貴の声ではない。
恐る恐るドアの方を向くと、ドロップショルダーにホットパンツ姿。生足を強調している、金髪の日焼けをした美人ギャル、ユキナの姿があった。
「ユキナさん!」
ユキナはパンツ一丁の狂弥を見て吹き出すように爆笑する。
「こんな久しぶりの再会ってマジ最悪じゃね! ウケるんだけど!」
狂弥は初恋、そして片想いで終わった相手が、自分の情け無い姿を見て笑う姿に気が遠くなると視界が歪んでいく。
ユキナはギャル系ファッション誌の専属モデルをしており、狂弥の憧れだった。
これは悪夢だ……。
『パチパチパチッ!』
手を叩きながらはしゃぐ音で狂弥は我に返る。
すると、ユキナの隣で実の姉、龍池愛凰が馬鹿笑いしていた。
狂弥は恥ずかしがって自室に戻り、急いで脱ぎ捨ててあったTシャツとカーゴパンツを履いた。
「姉貴! 客が来るなら予め教えろって言ってるだろ!」
「ハハハ! 悪りぃ悪りぃ。で、ウチの弟どうよ?」
愛凰が投げたユキナへの質問に狂弥は疑問を抱いた。
俺が何だって?
ユキナはジロジロと撫でる様に狂弥を見回すと、ニコッと笑みを浮かべる。
「やっぱり、オメェの弟の顔って見た目がなんだか女の子ぽくね?
目元とか鼻筋が綺麗だから、メイクしたら結構美人かもよ!」
すると、愛凰も狂弥の顔をじっと見つめた。
「二人して、一体なんなんだよ」
「ユキナ、メイク道具とかって今日持ってきてる?」
「当たり前じゃーん! 私、一応モデルよ?」
ふふっ。と愛凰は笑みを浮かべると、困惑する狂弥をいきなり押し倒す。
そして、狂弥はあっという間に愛凰によって羽交締めにされてしまった。
あまりの力に成す術が無い状況に狂弥は幼少期の嫌な記憶を思い出す。
昔、狂弥は愛凰と喧嘩になる度、理不尽に殴られて来た。勿論、狂弥も反撃はした。
だが、これまで一度も狂弥は愛凰に勝てたことが無い。
思い返すと、狂弥が不良に憧れたのも愛凰の影響だった。
愛凰はかつて、足立区では知らない者は居ないレディースだった。
その横には右腕である親友のユキナが居た。
二人が無類の強さを振るっていたのは理由があり、素人では叶う筈も無い……。
それは、並外れた運動神経と要領の良さがあったからだ。
特に愛凰の無類の強さは幼少期から発揮していて、狂弥は何度も助けられたことがある。
狂弥と愛凰が幼少期の頃、両親は二人を置いたまま夜逃げをした。
その後、異変に気付いた近隣住民が通報して、直ぐに二人は施設に連れて行かれた。
気弱だった狂弥は施設の子供たちと馴染むどころか直ぐにいじめの標的になった。
あの施設では強くないと、自分自身の安全を確保出来ない……。
絶望に打ちひしがれていた狂弥だったが、いじめは三日程でパタンと止まった。それまで狂弥をゴミの様に扱っていた者たちが、顔を見るなり怯えた様に目を逸らす。
不思議に思った狂弥は、辺りを見回した。
すると、施設で一番上等な椅子に愛凰が椅子に踏ん反り返っていたのだ。
周囲に居た目つきの悪い子共たちが愛凰に怯えながら頭を下げている光景。その強烈なイメージは狂弥の脳裏に今でも深く刻まれている。
愛凰とユキナは小学生の時点で知り合うと、直ぐに意気投合した。
他の生徒より大人びた見た目と整った顔をしていた二人は、高学年から好かれていた。
中学に入る前には既に高校、もしくは大学生の彼氏が直ぐに出来た。
だが、共通して今までの彼氏全員は、街で悪名が高い不良。
見るからに柄が悪く、チームの親玉みたいな覇気を纏った者ばかりだった。
そんな奴らと一緒に居たため、愛凰とユキナは日頃から争いの絶えない生活をしていた。
日々、喧嘩に明け暮れる二人は持ち前の要領の良さを活かして喧嘩に慣れていった。
すると、次第に付き合っている彼氏よりも腕っぷしが強くなってしまい、直ぐに二人は自分より強い人にしか興味が無くなっていった。
そのせいで色んな人と付き合うが長続きしなかった。時には体の相性が悪いと言って一晩で別れた者も居た。
だが、付き合っては分けれてを繰り返す中で愛凰はあるプロ格闘家と付き合う事になる。
それは、天乃直哉という男。 この名を聞けば、巷の格闘技が好きな者はピンとくる筈だ。
直哉はプロの総合格闘技選手で、日本チャンピオンにまで輝いた。
だが、その栄光は短かった。
素行の悪さで有名だった直哉は愛凰とのデート中、ファンの男に話しかけられた。
デートを邪魔された事に腹を立てた直哉は男を殴ってしまう。男は顔面骨折で緊急搬送され、全治九ヶ月の怪我を負った。
その後、愛凰が愛想をつかして警察に通報すると、直哉は更に激昂した。
警察が到着した時、直哉は愛凰に馬乗りになって暴力を振るっているところだった。
幸いにも直哉に日頃から鍛えられていた愛凰は、攻撃を上手く防御していたため、大きな怪我等は無かった。
その後、警察に捕まった直哉はプロ免許を剥奪されて、裁判で懲役三年が言い渡された。噂によると、出所したら通報した姉貴に今でも復讐を考えていると噂が囁かれている。
愛凰と狂弥にとっては考えるだけでも恐ろしい。
特に、狂弥は直哉が家に遊びに来る度、激昂して何回ぶっ飛ばされたか分からない程だ。
もし出所して、姉貴に復讐を考えているなら……。守るのは俺しか居ない!
そう考えた狂弥は、この時から強くなることを決意する。
色々問題はあるが、愛する掛け替えの無いたった一人の家族。
守るためなら、狂弥はどんな厳しい訓練も耐える覚悟だった。
中学頃から放課後にバイトをしてはクビになる生活を繰り返す中で、稼いだなけなしの金を狂弥は格闘技ジムの会費に突っ込んだ。
それに、強くなりたいというモチベーションを保つ原動力になった漫画『クローズ』。狂弥が辛い練習で折れそうになる柔な心を支えてくれた。
毎日コーチに扱かれながらも直向きに努力した狂弥は、気付くとアマチュアの試合には連勝する実力まで成長していた。
ジムの会長から「そろそろプロにならないか?」と誘われた時は心の底から嬉しかった。
しかし、最強のヤンキーという目標のため、会長にはプロ試験を卒業式まで待ってもらっている。
そんな狂弥が愛凰に羽交締めされ、抜け出せないでいる。
今までの血が滲むような努力は何だったんだ……。
そう思うと、狂弥の額には悔しさから自然に涙が頬を伝った。
「オメェ、泣いてんのか?男のくせにだらしがないな!」
「うるせぇ! 目にゴミが入っただけだ!」
「あっそう。ユキナやっちゃって!」
「あいよ!」
ユキナは元気良く返事をすると、不敵な笑みを浮かべて、化粧品を見せつけるように迫って来た。
「ユキナさん! 何をするつ……」
話を最後まで聞くこと無く、ユキナは狂弥の顔目掛けて跳び掛かる。
「狂弥、覚悟!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ユキナは狂弥の顔に化粧下地を作ると、その上からファンデーションを塗っていく。その手つきはあまりにも速すぎて、まるで千手観音の如く腕が何本もある様に見えた。
「コォォォォ! はぁあ!」
奇妙な呼吸法を行いながらコンシーラーを化粧ポーチから取り出す。そして、手馴れた様に狂弥のニキビを瞬く間にカバーすると同時にメイク全体に立体感を出した。
その後、フェイスパウダーでしっかり化粧崩れ防止をすると、シェーディングを使って更にフェイスラインや鼻筋に立体感を出す。そうすることで小顔効果を生んだ。
狂弥の顔ベースは確かに姉に似ていたが骨格で男らしさを出していたのに、ここまで来ると、顔つきはもう既に女性にしか見えなかった。
「あたたたたたたー!」
怒涛の仕上げでアイブロウで眉を描き、ピンクのアイシャドウで目元に強調を付けていく。
更にアイライナーで目を大きくしつつ涙袋を描いた。
ユキナのまるで鬼のような形相に自然と愛凰と狂弥は顔を引き攣らせていた。
頬にチークを塗って女性らしい丸みを演出すると、メイク全体に崩れ防止のフィックスミストをかける。
最後にリップグロスで唇にツヤを出して、髪をネットで纏めると茶髪のウィッグを被せた。
「羯瀏神拳奥義・神速化粧!」
満足そうにユキナは笑みを浮かべると、力強く狂弥を指差した。
「お前はもう美人になっている……」
愛凰が見惚れて力を緩めると、すかさず狂弥は腕を振り払い、玄関に置いてある姿見を確認する。
「これが俺……なのか……」
姿見に映る狂弥の顔は、丸みのある可愛らしい純白の肌で、化粧する前のニキビ面は全く想像出来なかった。
目は大きくパッチリとしていて、血色が良い唇は妖艶さを醸し出している。
更に、茶髪のウィッグが清楚な雰囲気を足していた。
この見た目は狂弥にとって、一番タイプの顔立ちだった。
こんなの、街で会ったら思わず声かけちゃうぜ……。
日頃は喧嘩に明け暮れる男とは思えない、繊細な見た目に狂弥は思わず息を呑む。
狂弥が見惚れているうちに、愛凰はクローゼットから白いワンピースと櫛を取り出して、狂弥にそっと近づいた。
そして、鏡に見惚れる狂弥の頭からワンピースを被せる。
「なんだ!?」
「動くな!」
戸惑う狂弥を無視して無理やりワンピースを着せると、愛凰はウィッグを櫛で綺麗に梳かした。
「アンタ、なかなかイケてるよ」
改めて姿見に映る自身を眺めると、見違える美しさに自然と狂弥は頬の力を緩める。
『パシャ!』
突然のシャッター音に急いで振り向くと、愛凰はスマホで姿見に映る狂弥を撮影していた。
「姉貴! 何してんだよ!」
すかさずスマホを取り上げようと手を伸ばすと、振り払って愛凰は狂弥の腹に重いボディーブローを放った。
「うぐっ……」
狂弥は悶絶してその場で膝をつくと、見下ろす愛凰に向かって、何とか顔を上げて睨みつける。
「何しやがんだ!」
愛凰は不敵な笑みを浮かべて、狂弥の顔に再びスマホを向けると、シャッターを押した。
「ホラ。そんな顔をしてると、せっかくの顔が台無しよ」
満面の笑みを浮かべて、ユキナも狂弥の方に近寄ってくると、スマホを向けた。
「狂弥、笑って!」
「ユキナさんまで! 俺の女装なんて撮ってどうすんすか!」
「いや〜。メイクが思った以上に完成度高くてさ!
お願い! ちょっと撮らせて!」
憧れのユキナの頼みに俯いて狂弥は悩むと、ため息を吐きながら顔を上げる。
「しょうがない。ユキナさんが撮影するなら良いっすよ。だけど、姉貴はダメだ!」
「チッ」っと舌打ちすると愛凰はスマホを下ろし、自室へ戻るとドアを閉める。
『ピコン!』
通知音が聞こえて、ユキナは画面を確認すると、『後で写真送って!』っと愛鳳からメッセージが入っていた。
素早く『OK』とだけ返事すると、何事もなかったかの様に狂弥へ笑みを向ける。
「あ、ごめん。事務所からの連絡だった。じゃあ撮影始めよっか!」
To Be Continued…