代償
大きな手のひらが鈴木の腕をシッカリと掴む。
それから坂田は鈴木を抱き寄せると自分の胸に彼女の顔面を押し付けた。
「や、大和君!?」
コートにシッカリと押し付けられた鈴木の口から素っ頓狂な悲鳴が漏れる。
外気にさらされた坂田のコートは雪で少し濡れていることもあって冷たかったが、鈴木は彼にシッカリと抱き締められていることで頭がいっぱいになって少しも気にならなかった。
むしろ、火照った頬が水滴で冷やされてちょうどいいくらいだった。
「どうしたの? 菜緒ちゃん」
坂田が少し硬い声で問い返して鈴木のつむじにポンとキスをする。
すると驚いた鈴木が肩を跳ね上げて、恐る恐るといった様子で彼の方を見上げた。
恥ずかしいのか鈴木の顔色は真っ赤に染まっており、少しだけ瞳を潤ませている。
『小動物みたいな目、怯えてるみたいだ。かわいいな。庇護欲を感じる。まあ、そんな顔しても許してあげないけどね。もっと泣いて、謝っても、許してあげない』
坂田はニコリと優しく笑って鈴木の頭を撫でた。
鈴木がビクリと肩を震わせる。
『他人に頭を撫でられるのって、けっこう不愉快らしいね。虚仮にしてる俺にヨシヨシされるのって、どんな気分なんだろう』
片手で鈴木の肩を抱き寄せ、逃げられないように固定してから何度も彼女の頭を撫でる。
若干、鈴木の鼻息が荒いのが気になったが、坂田は気にせず彼女の頭を撫で続けた。
せいぜい、屈辱に思ってくれていればいいなと思った。
『頭を撫でて、数回キスをして、首筋に触れたり、頬をくっつけ合ったり、随分なことをしているのに全然めげない。化けの皮を剥がさない。拒否すらしない。凄い根性だな。好きな男の子の前で辱められてるのに。俺を騙して笑いものにすることに、そこまでの価値はないと思うんだけれど』
散々いじくられたせいで疲れ果てたのか、デロッと溶け始めた鈴木を腕で支えつつ、坂田はコテンと首を傾げた。
坂田の目的は上田の目の前で鈴木を弄ぶことだ。
途中、忍耐の効かなくなった鈴木に「気色が悪い! 死ね!」と殴られても構わないから、少しでも上田の前で彼女をいじくって、彼女の価値を地に叩き落してやりたかった。
大きく膨らんでいて収穫間近だった恋を握りつぶした鈴木の恋愛も、完膚なきまでに破壊してやりたかった。
ある種、心中をしているような、一緒に自滅をしているような気分だった。
『上田は今、どんな気分かな。もしも上田も菜緒ちゃんのことが好きならさ』
案外、自分を殴るのは「優しい女の子」の鈴木ではなく上田の方かもしれない。
坂田はチラリと上田に視線を送った。
だが、上田は起こるでも悲しむでもなく、なんとも言えない複雑そうな、引いた表情を浮かべていた。
「上田、俺、菜緒ちゃんが好きなんだ」
間接的な告白に鈴木が小さく震える。
それから坂田を見上げた彼女の瞳は真っ赤に潤んでいた。
坂田はソレを絶望や悲しみとして受け取った。
心の底から、いい気味だと思った。
「お、おお、いいじゃん。鈴木からは坂田に振られたって聞いてたけど」
「うん。俺、一回振っちゃったけど、でも、後から菜緒ちゃんのことが好きだって気がついたんだ」
「良かったじゃん」
一応、相槌を打つ上田は引き気味というか戸惑い気味だが、坂田の行動に対する怒りのようなものは感じ取れない。
それを見た坂田は、
『かわいそうに、菜緒ちゃん、上田のことが大好きなのに上田は菜緒ちゃんに興味がないんだね。ようやくできた好きな人に、菜緒ちゃんにこっぴどく振られて、来そうだった春が枯れた俺みたいだ。可哀想だから、せめて大切に、かわいがってあげよう』
なんてことを思って、優しく鈴木の頭を撫でた。
「ねえ、大和君、今の話、本当?」
上目遣いの鈴木が潤んだままの瞳で問いかける。
『きっと、否定してほしいんだろうな、そんなに目を真っ赤にして、泣きそうになって、かわいそうで仕方がないや。でも、絶対に否定しないよ。残念だけど、さっきのは俺にとっても本心の言葉だし、それに何より、もっと菜緒ちゃんのこと傷つけたいから』
ドス黒い思考を内側に留めて、坂田はコクリと頷いた。
「前に告白してもらってから時間が空いちゃってごめんね。さっきの言葉は本当だよ。俺、菜緒ちゃんとたくさん時間を共有して、菜緒ちゃんのことすごく好きになったからさ、付き合ってほしい」
鈴木は目に溢れさせていた涙を数滴、頬に伝らせてコクコクと頷いた。
告白の受け入れられた素晴らしい瞬間のはずだったが、坂田は、
『あーあ、やっちゃったね、おバカな菜緒ちゃん。俺は上田と菜緒ちゃんの裏の顔なんて知らないことになってるんだ。頷いたからには、それ相応の態度をとるからね』
なんて卑屈で攻撃的なことしか思えなかった。
顔に暗い影を落としこんで、鈴木の唇を奪う。
坂田はポロポロと涙を流す鈴木を憐れんだ。
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