裏切り
薄暗い放課後。
坂田は一人で帰宅をして、一人で学校へ再登校していた。
理由は、やはり忘れ物だ。
自業自得と言えばそうなのだが、坂田は無駄に道を往復する羽目になったことに少し落ち込んでいた。
『いつもなら、今頃はベッドに寝転がってゲームしてるか、菜緒ちゃんとLI○Eしてるのに。ついてないな』
小さくため息を吐いて、トボトボと廊下を歩く。
そうしてモタモタと目当ての教室まで向かって行くと、不意に楽しそうな男女の声が聞こえてきた。
『この声は菜緒ちゃんと、上田? なんで二人がお喋りを?』
最近は鈴木と一緒に下校していた坂田だが、今日は彼女に、
「用事があるから先に帰ってて」
と、頼まれていたから一人きりで下校していた。
用事の内容を問いかけても歯切れの悪い返答しか返ってこず、少し不審に思いながらも坂田は快諾していたのだが……
『用事って、コレ? でも、菜緒ちゃん、上田とは委員会も部活も被ってないんだよな。単純に上田と喋る用事があったってこと?』
黒っぽい靄が心臓と脳に纏わりつくような、嫌な感覚を覚える。
嫉妬と独占欲と正体不明の怒りが織り交ぜられた、なんとも言えない悪感情が体の奥からにじみ出て、ザラザラと肌を内側から擦った。
『嫌だ』
現在進行形で感じる気持ちの悪い感覚に対し、直感的に思った。
『何の話をしてるんだろう』
普段は無口な鈴木も、一対一になればそれなりに喋る。
感情だって豊かな方だから、笑うし、怒るし、悲しむ。
鈴木の少し音量が控えめで可愛い声が何かを紡ぐ度、坂田は苛立って、不安になって仕方がなくなり、鼓膜を直接揺さぶられているような気分になったが、それでも彼は彼女の声を聞かずにはいられなかった。
『落ち着け。俺は思い込みが激しいところがあるんだから、ちゃんと聞かなくちゃ。真っ先に浮気を疑っちゃ駄目だ』
静かに教室の入口へと近づいて行き、聞き耳を立てる。
いくつか聞こえてくる単語は、「大和君」「最近」「チョロい」「上手くいっている」「遊び」などだ。
坂田は黙りこくって言葉を拾い、懸命に頭の中で組み立てた。
そうして導き出した答えは、「二人が自分を揶揄って遊んでいる」だった。
坂田は、鈴木が恋愛に不慣れな自分を弄んで楽しみ、更にそれを上田に報告して二人で笑いものにしているのだろうと考えたのだ。
加えて、やっぱり坂田は、鈴木は上田のことが好きなのだと思った。
『かわいい表情。俺の話をしてるみたいだけど、きっと、見てるのは上田のことばっかりなんだろうな、菜緒ちゃんは』
一台のスマートフォンを分け合っている二人の距離は、少なくとも坂田には随分と近いように見える。
笑い合う表情はキラキラと輝いていて、見る度、寂しさとイライラで堪らなくなった。
自分を虚仮にしたらどうなるのか、思い知らせてやりたくなった。
坂田はギュッと左手のひらを握ると右手で教室のドアをガラリと開けた。
「あれ? 大和君?」
反射的に坂田の方を振り返った鈴木が不思議そうに首を傾げる。
その惚けた表情や声に坂田は無性に腹が立って、何も言わず、ツカツカと彼女の方へ歩み寄った。
「大和君、どうしたの?」
「忘れ物をしちゃって、取りにきたんだ」
「ドジだね……かわいい」
少し興奮した様子の鈴木が頬を赤らめたまま、微笑ましそうに言う。
『白々しい』
鈴木の柔らかい表情を眺め、初々しい、恋する乙女のような声を聞いて、坂田は内心で舌打ちをした。
「菜緒ちゃんはさ、用事は終わった?」
「うん」
「用事ってさ、菜緒ちゃん、委員会でもあったの?」
「違うよ」
「そっか。じゃあ、もしかして、菜緒ちゃんの用事って上田と話す事だったの?」
否定して欲しい。
そんな思いを強く持ちながら、坂田は両手の拳をギュッと握って祈るように問いかけた。
鈴木が「違うよ」と首を振ってくれれば、また卑屈な勘違いをしてしまったと坂田は内心で苦笑いできたから。
しかし、鈴木は少しの間、虚を突かれたように黙りこくると、それから「そうだよ」と頷いた。
答えを聞いた瞬間、熱望する何かを諦めた時のような強い失望感と喪失感を覚えて、同時に激しい怒りを感じた。
頭の中で一本の糸がブツンとちぎれた気がした。
元から高かった体温がカッと上がって、自分の中の何かが手の付けられないほど大きく膨れ、暴れ出すような錯覚を覚えた。
『想いを踏みにじって弄んだこと、後悔させてやる』
坂田は鈴木に手を伸ばした。
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