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白い壁にアーチの天井が続く廊下には状況が飲み込めていない衛兵達が右往左往し、時折隣国のオスカーが令嬢を抱きかかえ歩く姿をちらちら見ても呼び止める者は誰もいない。
控え室の前にはエルザスの兵士が二人立っていて、戻ってきた上官の様子に目を疑う。
「ドアを開けてくれ。殿下のご命令でけが人の処置をする。
ドアを閉めたらすぐに全員、広間にいる殿下の護衛につくように」
低音で重さのある声を聞き、若き兵士はすぐに緊張した顔になるとすぐさまドアを開けると敬礼をしてドアを閉めた。
控え室としてあてがわれた部屋は広く、毛足の長い絨毯にオスカーの靴が沈む。
落ち着いた雰囲気ながら、高価な宝石を使った馬の置物などがある。
オスカーは奥にある三人ほどがゆったりと座れるソファーにジュリアを静かに下ろした。
大柄なオスカーのぎこちないながらも優しげな扱いは、ジュリアからすると萌えポイントが勢いよく上昇している。
「ありがとうございます。クラウゼン郷」
「堅苦しいのは好きじゃないんだ。オスカーで構わない」
オスカーはソファーに座るジュリアの前で、床に片膝をついて見上げる。
急に親しい者のように扱って欲しいというような言い方をされ、ジュリアは驚いていた。
オスカーはクラウゼン公爵家の嫡子。
現クラウゼン公爵は国王の弟になる。
エルザス国王にはフェルディナント殿下の他にも兄弟がいるものの、オスカーは王位継承権を持っている。
ジュリアが第一王子の元婚約者であろうと、身分は下だ。
この世界に転生し幼い頃から彼の死を回避するため努力してきたが、そんな推しに淑女とはほど遠い行為を見られたのを思い出した。
抱きかかえられたあげく高貴な立場でありながらも名前で呼んで欲しいと言われて、ジュリアの脳内は軽いパニックを起こしていた。
なんの特殊イベントだろうか。努力は課金と同義だったのだろうか。
赤くなったり青ざめたりするジュリアの顔を見て、先ほどまで悪魔へ立ち向かっていた少女と同じにはとても見えないとオスカーは思っていた。
リネーリア、エルザス両国の親交を深める為に開かれた祝宴。
その後の舞踏会では、事もあろうに第一王子が突然婚約者に婚約破棄を突きつけた。
リネーリア側が招いたエルザス王子がいるその場で、だ。
フェルディナントは冷めた目でその様子を見ている。
オスカーはその横で自分の国の王子が馬鹿にされていることに苛立ちを押さえながら、唯一の希望だったジュリアを切り捨てたこの国はやがて立ちゆかなくなるだろうと思った。
二人が異変に気づいたのは、悪魔がハリソンからの指輪をはめた後だ。
あの男が聖女と言う女の身に纏う空気が濁った。
すぐさまオスカーはフェルディナントの前に出て、いつでも剣が抜けるように身構える。
悪魔だと確信したときには、悲しみに膝を折ったように見えた令嬢がスカートをたくし上げ、隠し持っていた短剣で悪魔を刺したのには目を疑った。
エルザスでもどの国でも、人々の中に悪魔がまぎれているのはわかっているのだが早々見つかる訳ではない。
それに対し、魔物が退治しやすいのは人の形ではないからだ。
人の形をして同じ言葉を話して、悪魔は涙を流し許しを請う。
そんな悪魔を前に、兵士は殺すのをためらってその場の兵士達が全滅することだってある。
悪魔を見ればすぐさま斬り殺せ。
当然の指導が、訓練された兵士でもなかなか出来るわけではない。
それを成し遂げた少女、それも貴族の令嬢ということにオスカーは心底驚いていた。
悪魔がリネーリア国王に向かおうとしたとき、オスカーはフェルディナントに視線だけで許可をもらい、ドレスを着たまま必死に国王を守ろうと動いた少女より先に悪魔を切り裂いた。