#08 仲良いよ、とってもね!
四時間目の現国の時間がチャイムと共に終わり、ようやく昼休みとなった。
クラスメートの大半は弁当やパンを買いに売店まで急ぎ、他何人かは持ってきた弁当などを片手に教室を出て中庭などへと消えていく。
神楽雄平はというと、机の横にぶら下げていた自分の昼食を、レジ袋ごと机の上に出した。
今朝、登校途中に自宅近くのパン屋で購入したものである。
このパン屋は雄平だけでなく、母も含め神楽家のお気に入りだ。
雄平の母は、この店で売られている一日限定二十個の一斤千二百円もする高級食パンを月に一度は買ってくる。彼女曰く、月に一度のささやかなご馳走、なんだとか。
とっても美味しいから、もちろん雄平に文句などあろうハズもない。
ちなみに、母親はその食パンを焼かず何も付けずそのまま食べるのが好きで、雄平はコーンポタージュに浸して食べるのが好みだったりする。
雄平の一番のお気に入りは、半熟卵が入っているカレーパンだ。
ただでさえ食欲そそるスパイシーなカレーと揚げパン独特の甘みある香ばしさを持つパン皮との組み合わせはベストマッチしているというのに、それにプラスして半熟卵がとろりととろけ出すなんて、控えめに言っても最高過ぎる。
値段はちょいと高めの二百五十円。
さすがに毎日はとても買えないが、月一、二回は買っている。
そして平日はほぼ毎日買っているのが、サンドイッチのランチパックだ。
中身は三つ。ブロッコリー、レタス、トマトのベジタブルBLTサンドと、ケチャップとマヨネーズと粗挽きマスタードで絶妙に味付けされたふわふわたまごサンド、そしてボリューム充分の鶏の照焼きサンド。
これで税込みたったの五百円。
味もボリュームも値段も大満足の一品である。
いつものようにペロリと平らげ、「ご馳走様でした」と軽く手を合わせた。
そんなときだった。
ふいに人影を感じたと思ったら、声をかけられた。
「神楽くん、ちょっといいかな?」
見上げた先にいたのは、黒髪前下がりボブのクラスメート、藤代美海だった。
「藤代……さん? えっと、何?」
藤代美海は雄平からは見えるように、けれど他の人からは自分の体で隠すようにして、右の指で小さく後ろをちょいちょいと指す。それに導かれるように視線を向ければ、廊下でこちらを背にして立っている女子の姿が見えた。
誰あろう、三雲葉月である。
一瞬ぎょっとして言葉が詰まる。
葉月が雄平に用があることは、まあ察しはつく。
そろそろ来るだろうなぁとは思ってた。
だからそれ自体は別に驚くことじゃない。
そこに動揺はしない。
思わず動揺してしまったのは別な理由だ。
そこにどういう経緯があったのかは、わからない。
だが何故、よりにもよって、藤代美海なのか。
葉月が雄平に対し、自分で声をかけに来なかったことは、まあいい。
周囲を騒がせないための、むしろ賢明な判断だったとさえ思う。
だけど、他にも人はいただろうに。
なんでよりにもよって藤代美海に頼んだ?
ちらりと自分の傍に立つ藤代美海を見上げてみれば、とても冷ややかな目で見下ろしていらっしゃる。
ああ、これはきっと後が怖いヤツだわ。
もう起こってしまったことは仕方ない、と覚悟しつつ席を立とうとした雄平に、とても小さい声が聞こえてきた。
「ゆう」
声の主は藤代美海である。
彼女は窓際一番後ろである雄平の席の横に立ち、雄平の方に顔を向けたまま、視線だけを左右に動かし、周囲に誰もいないことを確認しつつ、それでも念の為とばかりに更に声のトーンを落としながら言葉を続けてきた。
「あんた、三雲葉月に何かしたの?」
「あ、いや……その……」
雄平も椅子の背と机に手を付き、立つ素振りを見せながら、同じくらいのささやくような声で答えた。いやまあ、全然答えになってはいないのだけれども。
「したんだ」
「いや、したというか、なんというか……」
「どうでもいいけど、私を巻き込まないでよね」
「うっ、すまん。もしかして何か聞かれたか?」
「別に。特には。同中は確認されたけど、話したことはほとんど無いで通したから、それでよろしく」
「ああ、もちろん。わかってる。そっちこそ、頼むから余計なことしゃべってくれるなよ?」
「当たり前でしょ」
「ならいい」
「なによ。ゆうのくせして偉そうに。それはコッチのセリフだっての。でも……」
藤代美海の視線が下へと動く。
雄平の机の上に置いてある、ランチパックが入っていたレジ袋へと。
そこに記された「フジシロベーカリー」という刻印に。
「まいど」
「お前んとこのサンドイッチ、やっぱ旨いわ。明日の朝も買いに行くから」
「そりゃどうも。お父さんに言っとく」
雄平がしっかりと立ち上がったところで、藤代美海はにっこりと笑って振り返った。さっきまでの冷ややかな目がまるで嘘のように。
「じゃあ、ちゃんと伝えたからね。よろしくね、神楽くん」
「ああ。どうもありがとう。藤代さん」
藤代美海も雄平も、しっかり声を出して当たり障りのない言葉を交わす。
藤代美海はそれに頷くと、自分の席のほうへと歩き出し、雄平も廊下の方へと足を進めた。
◇
教室のドアまで来て、思わず雄平の足が止まった。
ドアの向こう側の廊下には、雄平を呼び出した葉月がいる。
それは間違いない。
なにせ、話し声がするのだから。
そう。
雄平を呼び出した葉月は、今まさにそこで話をしているのだ。
相手は誰だかわからないが、おそらく男女数人と。
学校の人気者なんだから、そりゃあ廊下で立ってれば誰かしら声をかけてきて世間話の一つや二つ、始まるだろう。
――で、オレはどうすればいいんだ?
その会話に自分も交ざるというのは果てしなくハードルが高い。
ここ二ヶ月の間、入学してからほとんど友人も作らず過ごしてきた身としては、いまさらいきなり人の輪に入るとか、心理的にとても難しいものがある。ましてや、さりげなく人の輪に入るスキルとか、もはや忘れてしまった気さえするのだ。
じゃあ、話が終わるまで邪魔せず待ってるべきか?
もしそれで昼休みが終わってしまったら?
それはそれで仕方ないということで……
「……雄平? 何してんの?」
声をかけられ、ハッと顔を上げれば、目の前には葉月が立っていた。
「待ってたんだけど?」
「あ、悪ぃ。なんか話し込んでたみたいだから……」
葉月の後ろには五人ほど。
彼らの視線が雄平へと集まる。
みんなして「なにこいつ」と、目が語っている気がする。
「雄平が来るまで、ちょっと話してただけだよ。みんなゴメンね。アタシちょっと雄平と話があるから」
そう言って雄平の右手首を掴み、連れて行こうとする葉月。
「名前呼び? ……えっと、三雲さんって、神楽と仲良かったっけ?」
「ん? アタシたちの仲?」
ふと振り返った葉月は、雄平と視線を合わせ、そして……。
にんまりと笑った。
もはや嫌な予感しかしない雄平であった。
「うん。仲良いよ、とってもね!」
◇
「……なあ?」
「なに?」
「マズくないか、さっきの」
「さっきのって?」
葉月は本当にわかってないんだろうか?
それともトボケているだけ?
葉月の「仲良いよ」発言に、あの五人は心底驚いた顔をしてフリーズしてた。
その内の男二人なんて、間違いなく頬をひくつかせていた。
だけど、マズい状況というのは、今なお進行中のように思えてならない。
そう。
葉月が雄平の手を引いて、廊下をずんずん歩くこの状況も。
周囲からの好奇の視線がめちゃくちゃ突き刺さってくる気がするのだ。
気のせいだといいが、残念ながらきっと、気のせいじゃないと思う……。
――まさか、このまま階段降りて中庭まで行くとかないよな?
雄平と葉月の教室は二階である。
校舎の両端に階段があるわけだが、そこまで来てようやく葉月の足は止まった。
さすがに中庭まで引っ張り回すつもりはなかったようだ。
そのことに少しだけホッとした雄平であった。
……でも、足は止まったけど、まだ手を離してくれない。
もしかして逃げるとか思われてるんだろうか?
「えっと、三雲……さん?」
声をかけたらじろりと睨まれた。
何故か機嫌が、あまりよろしくなさそうに見える。
さっきまでそんな感じじゃなかったのに思ったら、彼女の口が動きだした。
でも、声は聞こえない。
どうやら「は、づ、き」と声に出さず口を動かしているようである。
そう呼べ、という意味だろう。
考えてみれば、先日の夜も、なんだかんだ言って結局は名前で呼んでなかった気がする。
「葉月……さん?」
葉月にしか届かないくらい、つまり周囲の人には聞こえないくらいとっても小さな声で、しかも「さん」付けする雄平であった。
小さくため息を漏らした葉月が手を離しながら口を開く。
「まあ、いいけど」
よかった。
許してもらえるらしい。
これでダメだったら「様」を付けてみようかと……
と、ホッとしたのもつかの間、思わぬ言葉を投げ込まれた。
「ところでさっき、藤代さんと何話してたの?」
「え? ……いや何って、『三雲さんが廊下で呼んでるよ』って伝えてもらったんだけど。あれ? 藤代さんにそういう伝言をしたんじゃなかったのか?」
「それはそうなんだけど……。でもさっきちらっと見ただけだけど、それ以外でもなんか二人で話してたようにも見えたから」
――うわっ。廊下にいたからこちらは見てないと思って安心しすぎてたかも。
葉月の鋭い指摘に内心ヒヤリとする雄平だが、それでもなんとか顔には出さず口を開いた。
「いいや、別に。藤代さんはオレと同中だったのは知ってるけど、ほとんど話したこと無いし」
「ふーん……」
「えっと、それで、呼び出した要件は、何……かな?」
雄平としては、藤代美海の話はあまり続けたくなかったため話題を変えようとしたのだが、残念ながらそれは、自ら墓穴を掘ってしまったかもしれない。
「……呼び出した、要件」
葉月は静かにそう呟くと、口角がすっと上がり、微笑みを見せた。
だが、目が笑ってない。
「ねぇ、雄平クン?」
「は、はい」
声はとっても穏やかだ。
少なくとも表面的には。
でも雄平は感じていた。
これはぜったい怒ってるヤツだ、と。
そしてその理由も、当然ながら察しはついている雄平であった。
「今日って、何曜日かな?」
「えっと、木曜日、です」
「そうだね、木曜日だよね。ところで先週、公園でお話したのって、何曜日だったかな?」
「えっと、土曜日だった、です」
「そっか、やっぱり土曜日だったか。良かった。アタシの勘違いじゃなかったみたいで。それで? つまり、それから何日経ってるのかな?」
「えっと、五日、ですね……」
葉月の声は徐々に低く、抑揚の無いモノへと変わっていき、雄平の受け答えも思わず丁寧なモノへと変わっていた。
ゴクリと、喉を鳴らしてしまう雄平であった。
「そうだよね。五日だよね。五日間もアタシ、ずっとずっと待ってたんだけどな。むしろアタシは、次の日の日曜日には、声かけてくれるんじゃないかなーとさえ、思ってたんだけどなー」
「あ、いやでも、葉月さんの連絡先知らないから、日曜日はさすがに無理って言うか……」
再びじろりと睨まれた。
でも、それは事実だ。
ラインはインストールしてないと土曜日の時点で伝えてあるハズだし、それにあの時、他の連絡手段も交換してなかった。
最後は終電の時間が迫っててそれどころじゃなくなってしまってたし。
「……雄平、スマホ出して」
「え?」
「番号教えて。今ここで架電するから。それでアタシの番号控えて。その後メッセでメアドも送るし、そっちも送って」
「えっと……」
「何? 今更拒否るのとかナシだかんね。連絡手段無いことを言い訳に、人にこれだけ放置プレイかましといて、拒否権あるなんて言わないわよねぇ?」
「お、おい――!」
学校で、しかもみんなが行き交う廊下である。
周囲に人がいるところで、しかもほとんど声を抑えることもせずになんてことを口にするんだ、と言いかけたのだが、どうやら遅かったようで……
「なんか面白そうな話してるねぇ~」
「楽しそうじゃん。ウチらも交ぜてよぉ~」
いつの間にか、雄平は二人のギャルに挟まれていた。