#06 吹っ切らせてあげる!
公園に入る直前に、雄平は入り口横にあった自販機でペットボトルの水を一本買った。葉月は買わなかったが、「後で一口ちょうだいね」と雄平に笑顔を向けていた。
二人は公園に入り、葉月が街灯の下のベンチに左半分を空けるように座ったが、後ろをついてきていた雄平はベンチの前で足を止めた。
「雄平? 座らないの?」
「えっと……」
公園に入ってから、いや、入る前から雄平はずっと考えていた。
葉月の言う「付き合おうよって話の、返事」とやらを。
正直、雄平は葉月の付き合おう発言を本気にしてなかった。
陽キャ特有の、一種の軽い冗談というか、ノリのようなモノだと思っていた。
だからあまり真剣に捉えてなかったし、冗談交じりの受け答えをしていた。
それはそうだろう。
相手は校内トップカーストのリア充 オブ リア充の人気ギャル。
そのような相手と自分がどうして付き合うという話になるのか。
もしノリや冗談じゃないというなら、からかわれただけだ。
本気にしたら、「なにマジになってんの、ウケるー」とか言われるヤツだ。
なので、その話はもうとっくに終わったものと思っていた。
……違ったのか?
「付き合おうって話の、えっと……続きだっけ」
「うん。雄平は今、他に付き合っている人、いたり……とか、するの?」
「いや、いないけど」
「――だよねっ! よかった!」
確かにいない。それが事実。……なんだけど。
でも「だよねー!」と、まるでそれが当たり前だよねとばかりに即座に納得されると、それはそれで胸中複雑な思いがしてしまう雄平なのであった。
そんな雄平の心の機微を、彼の視線のわずかな動きで察したのかもしれない。
すかさす葉月はフォローを入れていた。
「あっ、いや、違くて! ほらっ、さっきキスしちゃったからさ。もし彼女がいたなら、さすがに悪かったかな、とか思ったりして。……今更だけど」
「いやまあ、そこは、大丈夫だけど……」
そこじゃないところ、つまりは自分の心情的には、全然大丈夫じゃなかったのだが、それはまあ、この際置いとくとして。
やはり付き合おうって話の続きらしい。
だとしたら、この話を続ける理由は、たぶんひとつだろう。
そう考えて雄平は言葉を続けた。
「……えっと、もしかして、さっきのツーショット写真か? あれを、虫除けのために、しばらく待ち受けとして使いたいから、その間どうするかって話?」
「まあ、そういうことでも……あるかな」
なんか微妙に歯切れが悪い返事である。
が、大間違いでもないらしい。
葉月が鞄からスマホを取り出し、その画面を見せてくる。
そこには、さきほどのツーショット写真が映っていた。
つまりはもう待ち受けになっているようだ。
考えてみれば、元々はこのツーショット写真を使うってところから始まった話だ。
二人のノリであらぬ方向に話が転がってしまったが、葉月としてはちゃんと確認しておきたいということなんだろう。
葉月がスマホを両手で持ち、その画面に視線を落としながら言葉を続けた。
「今まであまり考えてなかったけど、今日みたいなことが今後も起こるかもしれないし。だとしたら、そういう、虫除け? ってのも必要なのかもって思った。でも、だとしたら、偽物とかフリとかって、なんか違うかなって」
「……違う?」
「うん。それって、周りの仲の良いみんなにまで嘘付いて騙すことになるし、嘘がバレたときのこととか考えたらさ、一時的には良くても、長い目で見たらあまり良い方法とは言えないじゃん? だったら、じゃあいっその事、ホントに付き合っちゃえばいいじゃんって思うんだよね」
確かに、仲良い相手まで騙すのは心苦しいし、バレたときのリスクがある。
嘘は付かないに越したことはない。
だから、前半に関しては雄平も同意するところではある。
でもそこから、「ならばホントに付き合えばいいじゃん」とか、いろいろ飛躍しすぎてるような気がしてならない。その相手が雄平であることとか特に。
もしかして、「付き合う」の意味が、自分の認識と異なるんだろうか?
……ありえる。なにせ相手はリア充人だから。
「えっと、一応確認したいんだけど。恋人のフリと、本当に付き合うって、何が違う?」
「え? 何言ってるの雄平。全然違うじゃん常識的に言って。恋人のフリは、他人か、せいぜい友達でしょ。ホントに付き合えば、それは恋人。当たり前じゃん。……大丈夫?」
あれ? 常識を疑われた? オレのほうが? しかも心配までされた!?
それなりに衝撃を受けた雄平だったが、そこはなんとか堪えた。
いろいろツッコミ始めると話が進まなくなりそうだったから。
「まあ、そうだよな。うん、常識……だよな」
「そうだよ。恋人ならいつも一緒にいて、例えばお昼を一緒するとか、放課後は一緒に帰るとか、休日はデートするとか。他人なら、そんなことしないでしょ?」
言ってることは至極まともだと思える。
そこはリア充人も一般人もあまり違いは無いようだと、少しホッとする雄平だった。
しかし、だとするとだ。
それには大きな問題があることを、分かってないのだろうか?
この目の前でドヤ顔キメてるリア充人様は。
「……えっと、やっぱりさ、いろいろ無理あんじゃないか? オレたちが付き合うって話は」
「なんで?」
コテンと首を傾ける葉月。
「いや、なんでって……」
どう言ったものかと、雄平は少しの間周囲に視線を迷わせながらなんとか考えをまとめ、再び葉月に向かい合った。
「えっと……。お前さ。自分が人気者でモテてるって自覚、ちゃんとある?」
「お前言うな! ……そりゃあ、少しは? みんなに好かれてる方かなとは思ってる。バイトで読モとかやってるのバレてるし、そういうのしてるとどうしても注目浴びちゃうしね」
読モの話は雄平も知っている。
教室でクラスメートが話しているのを聞いたことがある。
中学時代にスカウトされたとか。
実際に載っている雑誌までは見たこと無いが。
「少しは? 自分を過小評価し過ぎだろそれ。さっきのストーカー先輩だって、ある意味モテてる証拠だろうし。あっ! そうだ! 入学してまだ二ヶ月だけど、もう何人ものイケメンに呼び出されて告られたって話も聞いたぞ」
こっちもクラスメートが噂してたヤツだ。
「うわっ! そんなことまで噂になってんだ。で、でも、そんな何人もってほどじゃあ……」
「告られたのは事実なんだろ? で? 実際何人?」
「なっ!? なんでそんなことバラさなきゃいけないのよ! ヤよ恥ずいし。……それとも、正直に答えたら、付き合ってくれるの?」
「いや、それとこれとは話が別」
「ひどっ! 鬼! この鬼畜っ! 雄平はアニメ雑誌とかよく読んでるんだから、アニメ好きなんでしょ! アニメ好きは等価交換の原則を絶対厳守するって、アタシの従兄弟が言ってたわよ!」
「ほぉ? その従兄弟とは気が合うかも。でもオレは錬金術師じゃないからな」
「ゴメン、意味分かんない」
雄平をジトっとした目で見上げていた葉月だが、それも長続きはしなかった。観念したかのように一度小さなため息を吐き、雄平からそっと視線を外しながら言葉を続けた。
「……三人よ。もう、メチャ恥ずいんですけど」
実際葉月の耳の辺りがほんのりと赤くなっている。
照れてる葉月は雄平の目からしても美人度が三割増しに見える。
これ、写真撮って売ったら、きっと男性客殺到で大儲けできるヤツだ。
しないけど。
……たとえしなくても、そんなことが頭を過る辺り、やはり葉月の言う通り鬼畜かもしれないこの男。
「そっか、三十人ってのはさすがにデマだったか」
「へ? なにそれ。あ、あるわけないじゃんそんなの! ほとんど二日に一度じゃんそれ!」
「多い日には朝、昼、放課後と三回あったとか」
「――ないからっ!」
「じゃあそれは今後の期待……」
「――すんなっ!」
キッと睨まれてしまった。
少し遊び過ぎたかもしれない。
話を元に戻そう。
「まあ、冗談はそれくらいにして。入学して二ヶ月で三人。十分スゲェじゃん」
「……そりゃあどうも」
プイッと横を向かれてしまった。
やはりやり過ぎたみたいだ。
「で、そんな超人気者な女子と、普段一人で静かに過ごしてるオレとじゃ、やっぱ釣り合うわけないじゃん。しかも急に付き合い出すとか、不自然に思われるのがオチだって」
「……へぇえ、いっつもボッチに陰キャなキモオタしてる自覚はあったんだ」
ボソッと漏らす葉月であった。
もしかしたらそこに、嫌味の一つでも含めていたのかもしれない。
先程のお返しとばかりに。
実際そのセリフに、雄平の左目が一瞬ピクッとした。
「お、お前こそヒデェな、おい! ボッチや陰キャはまだしも、キモオタはひどくね?」
「お前言うな! えー、そこの自覚無いんだ……。教室で、アニメ雑誌見ながらくすくすにやにやしてたら、さすがにそう思われるって。だからアタシもさすがに話しかけ難いんだし」
葉月からの思わぬ言葉に、一瞬雄平は固まってしまった。
「……え? くすくす? にやにや? してたオレ?」
「うん。してた、しっかり。クラスのみんな引いてるよ。ドン引き」
「あ……、うん。それは……以後気を付けますです。はい」
その様子を自分で想像し、思わず心底猛省する雄平であった。
「ぜひそうして。で、そんなボッチくんとアタシが釣り合うわけないとか不自然だとかってのも、いろいろ反論したいところだけど、その前に。なんで雄平はボッチやってるの?」
「え……? いや、なんでって、別に……」
葉月が身を乗り出してくる。
表情も引き締めてきて、目も笑ってない。
マジモードである。
「コミュ障でも、人間嫌いってわけでもないよね。アタシとこんだけフツーに話せてるんだし。十分ノリも良さそうだし。なら、フツーにアタシらとワイワイできるっしょ? なのにボッチって、それこそ不自然じゃん? なんで?」
「べ、別に……」
「別に、何? なんか、理由があったりするの?」
「理由なんて、その、別に……」
さっきから「別に」ばかり連呼する雄平に、何かしら隠し事を感じたのか、葉月が「ふーん」と目を細めてくる。
軽く舐めた朱唇を一瞬内側に巻き込み、それからゆっくりと口を開く。
「……ねえ、雄平? 雄平はさっき、アタシに恥ずいこと答えさせたわよね? アタシ、メチャ恥ずい思いしながら、でもちゃんと答えたよね? なのに、ここで自分だけだんまりキメ込もうとか、それってさすがにひどくないかなぁ? ねぇ、雄平はどう思う?」
「お、お前、それ、タチ悪ぃ……」
「――お前言うな!」
葉月のひと睨みに、思わず視線を逸らす雄平であった。
それを見た葉月は、一度「ふぅ」と息を吐き、その表情から剣呑さを消え失せ、優しげな笑顔に戻った。
「ねぇ雄平。なんか理由があるなら教えて欲しいんだけどな。アタシで良ければ相談に乗るし、アタシにできることなら協力もする。まあ、アタシにできることは少ないかもだけど。でも、今日はアタシがメチャ助けられたんだし、その分の恩返しくらいはしたいし、させて欲しい」
「……別に、すごく個人的なことだし、人に相談するようなことじゃあ……」
「もちろん、どうしても話したくないって言うなら、無理に聞き出そうとかしない。もしアタシに関わって欲しくないなら、はっきりそう言って。そしたら、残念だけど、この話はそこですっぱり諦めるから」
それきり葉月は口を閉ざした。
手を膝の上で組み、目を伏せ、いつまでも黙って待つ、そんな身構えだ。
雄平の方も、なかなか決心が付かないのか、視線を周囲に彷徨わせている。
しばし二人の間に沈黙が流れる。
やがて口を開いたのは、雄平だった。
「……聞いても、別に楽しい話じゃないと思うぞ?」
「うん」
「……よくある、くだらない話かもしれないぞ?」
「うん。それでもいいから、聞かせてよ」
「……えっと、その……あえて言えば、オレがカッコ悪くて、恥ずかしいヤツってだけの話だと思うぞ?」
「んー、よく分かんないけど。あまり自虐が過ぎるのは良くないと思うよ? アタシ別に、どんな理由だったとしても、雄平を笑ったりバカにしたりしないよ?」
雄平は一度大きく息を吸い、そして吐き出した。
「……えっと、オレ、さ」
「うん」
「…………たんだよ」
「ん? ゴメン、声小さくて聞こえなかった。なんて?」
「だから、オレは、最近、……フラれたんだよ」
とたん、葉月の動きがビキッと固まる。
雄平が何を言ったのか、すぐには理解できなかったのかもしれない。
「………………へ? 今、なん……て?」
葉月が目を大きく開き、ギギギッとまるで錆びついたブリキ人形のようなぎこちなさで視線を雄平に向けてくる。
「こんなこと何度も言わせんなよ。今度はちゃんと聞こえてたハズだろう! 口にするの、地味にHP削られてキツイんだからな」
「あ、ゴメン。えっと、その、マジゴメン。ってか、え? え? それいつ? 最近? え? 誰? え? マジ? ウチのクラスの子? それとも別のクラス? まさか先輩とか? ってか、誰? ねぇ! ねぇっ!」
確かに葉月は笑ったりバカにしたりはしなかった。
だが、想像以上の喰いつきを見せてきた。
むしろ雄平のほうが引く思いだ。
そんな雄平の心情に全く気付かず、立ち上がったかと思ったら彼の肩をがっしり掴んで激しく揺らしてくる葉月であった。
「い、痛っ、痛いって! お前っ、なにそんなに喰いついて……」
「いいから! 誰! ウチのクラスの子? 早く! 吐きなさいっ!」
葉月の声に凄まじい圧を感じてしまうのは、気のせいだろうか?
女子は恋バナが大好きとは、よく聞く話ではある。
だが、まさかコレほどがっつり喰い付くとは。
とてもじゃないが言わずに逃げれる雰囲気じゃなさそう。
「違うって。今のクラスメートじゃない。ってか、中学の時の話だし」
「え? 中学? え、じゃあずっと前の話じゃん。最近って言うからアタシてっきり……」
「最近だよ。今年の二月。高校受験が終わった直後。まだ数か月しか経ってない。少なくともオレには、最近のことなんだよ」
「あ……、まあ、言われてみれば、そっか。最近……かも?」
ちょっと首を横に傾ける葉月。
それを見つつ、「なんで疑問形なんだよ」と苦笑する雄平である。
雄平は横に落ちてた葉月の鞄を拾った。
今さっき、興奮(?)して問い詰めて来た葉月が思わず落としたモノだ。
軽くパンパンと叩き、葉月に渡す。
葉月は「ありがと」と言いながら受け取り、そして再びベンチに腰を下ろした。
「つまり……。えっと、ゴメン、言葉濁さずにズバリ言っちゃうけど。雄平がガッコで誰とも絡まずボッチでおとなしく過ごしているのは、フラれたことで落ち込んで、気落ちしているから。そして、それをまだ引きずっているから。……なんだね?」
「まあ、……うん、そうだな。別に率先してボッチしてたわけじゃないし、話しかけられればそれなりに受け答えしてたと思うけど、自分から話しかけるようなことはしなかったからな。いつの間にかこんなポジションに落ち着いてたわけだ」
葉月が鞄を横に置いて立ち上がり、そして雄平の袖をつまんできた。
うつむき加減で、心なしかゆっくりとした口調で雄平に言葉をかけてくる。
「それで、雄平としては、どうしたいの?」
「どう……とは?」
首を傾げる雄平に向かって、しばし視線を彷徨わせた後、言葉を選ぶように、葉月は再び口を開いた。
「選択肢は、……たぶん二つ。まだもうしばらくその人のこと想って、今まで通りおとなしく過ごしたいのか。それとも、数ヶ月が過ぎた今、そろそろ吹っ切りたいと思っているのか。もし前者を選ぶなら、残念ながらアタシにできることはあまり無さそうだから、余計なことはしないで黙って見守ってる。雄平の気が変わるまで。でももし後者なら……」
一旦言葉を区切り、葉月が雄平を見上げてくる。
「後者なら?」
「決まってるじゃない。アタシと付き合おう! アタシが、吹っ切らせてあげる!」
雄平の目が大きく開かれる。
驚きで、言葉が出ない。
まさか、そう来るとは思わなかった。
「雄平にとってその子がどんな良い女だったか知らないけど、アタシだってそう簡単には負けたりしないんだから! 雄平と一緒にいて、一緒のモノを見たり聞いたりして、同じ時間と想い出をいっぱい重ねて、共有して、そんな過去なんて、すぐに吹っ切らせてあげるんだからっ!」
――凄ぇ女。
率直に、そう思った。
自分を見上げてくる目力の強い瞳。
言葉に込められた強烈な意思。
女の子に使う言葉じゃないかもだが、漢気さえ感じてしまう。
それを自分に向けてくれることに、じわじわと湧いてくる嬉しさと感謝。
でもそれを、素直に口にする前に何か一言多いのが、雄平の悪癖のひとつかもしれない。
「……なんだろう。お前がすっげぇいいヤツに見えてきた」
「ん? んん? ねぇ、それってもしかして、遠回しにアタシのことディスってる? そもそもアタシのこと、どう見てたのよ! ってか、お前言うな!」
「ないない。ディスってない。むしろ褒めてる。めちゃ褒めてる。あははは」
「うー、嘘くさいぃぃぃいいいっ!」
体いっぱいで悔しさを表現し、地団駄踏みまくる葉月。
雄平にとってその様子は非常に微笑ましく見え、思わず顔が綻ぶ。
凄く可愛いと思う。
ホント、学校での人気ぶりが頷ける。
もしホントに付き合えたなら、確かにすぐにでも吹っ切れそうだ。
ここしばらく、自分でも思っていた。
いつまでも引きずってちゃいけない。
吹っ切らなきゃいけない。
でも、そうは思ってても、きっかけがなくて、ここまでズルズル来ていた。
じゃあ、これが、そのきっかけなんだろうか?
オレは、この差し伸べられた手を取って、いいんだろうか?
なにしろ相手はあの、三雲葉月だ。
見た目がこれだけ美少女で、なおかつスタイルも抜群。
更には学校でも超人気者。
その上、今日話してみて分かったが、性格もすこぶる良い。
律儀なところもあって、面倒見も良くて、人として好感が持てる。
そんな女子と、オレが付き合う……?
雄平が逡巡している間に、ひとしきり地団駄を踏み終わって気が済んだのか、葉月が振り返る。
雄平と視線が絡み、初めはジトっと睨んでいた視線も徐々に和らいできた。
徐にその朱唇を開く――
「雄平。あとは、君次第だよ」