#03 ご馳走さまでした
――彼女とのキスは、ピーチのような甘い香りがした。
◇
二人の唇が離れた時、もうそこに先輩の姿は無かった。
「ふぅ……」
葉月は小さく一息ついて、ようやく雄平の首に回していた腕を解き、その体を離した。
「……やっと消えてくれたね、あの先輩。良かったぁ」
ほっとした表情で胸を撫で下ろす葉月。
「実はあの人、ガッコでも事あるごとにちょくちょく絡んで来てさ、マジ困ってたんだ。でも、さすがにこれでもうやめてくれるかな? くれるよね、さすがにさ!」
ようやくストーカーから開放され、安心感もひとしおなのだろう。
晴れやかな笑顔を見せながら、さらに言葉を続けてくる。
「マジ助かったよ、ありがとね、雄平! ホントッパなく感謝してる! あそこで君に会えてホント良かった。すっごい偶然だったよね! もう神様でも仏様でも感謝感激だよ。あ、もちろん雄平にはいろいろ手伝ってもらっちゃって、一番超感謝してるかんね! お礼に、よかったら何か奢るよ? なんだったら、今からホントにカラオケでも行く? アタシ出すし! ほら、今日先輩たちに邪魔されたじゃん? だからアタシ今日、定番歌えてなかったし、今ならいつも以上にノリノリで歌えそうな気分だし。デュエットとかもしちゃう? あ、でもでも、繁華街の向こう側ってのはさすがにダメだかんね? って、あははは、当たり前だよね。こんな格好でラブホなんて入れるわけないし」
テンションが超高い葉月である。
次から次へと言葉が際限なく飛び出してくる感じだ。
それに対し、雄平からは何も反応が無い。
そのことにようやく気付いた葉月が、彼のほうに振り返った。
「ん? どしたの雄平?」
「どしたのって、そりゃ、お前……」
葉月と違って、雄平はそれ以上言葉が出てこなかった。
手で口元を隠すようにして、視線も、まともに葉月が見れなくてふらふらと彷徨ってしまう。
言いたいことは、もちろんある。
たくさんある、ハズなのに。
例えば、
さっきオレたちはいったい何したと思ってるだ! とか。
しかも、なんでお前はそんな普通に振る舞えてるんだ! とかとか。
もちろんストーカー先輩を追っ払うための演技だったとは分かってる。
そのために必死だったとも理解してる。
その甲斐あって、無事先輩が消えてくれて喜ばしいとも思ってる。
でも、だからって、あそこまでするかふつー……。
これが一般人とは違う、いわばリア充人というものなんだろうか?
これが、カースト頂点に君臨するギャルというものなんだろうか?
こんな、何為出かすか分からん人種だったとは……。
あまりにも予想の斜め上を限界突破し過ぎてる……。
彷徨っていた視線が、ふいに葉月の唇を捉える。
とたんに蘇る先程までの生々しい感触。
唇だけじゃない、葉月に抱きつかれていた柔らかい感触までも。
思わず、再び視線を逸してしまう雄平であった。
その様子を見ていた葉月は、まるで全て見透かしたかのように、にんまりと微笑んだ。
「むふふ。ご馳走さまでした」
しかも、これ見よがしに小さくぺろりと上唇を舐める素振りのおまけ付きで。
それを見せられた雄平の心情はかなり複雑だった。
なんか自分だけ狼狽えていて悔しいやら。
それをからかわれているようで恥ずかしいやら。
何より、あまりにも平然としている葉月が逆に憎たらしいやら。
思わず小さく言葉を漏らしていた。
「それ、どこのギャルゲーのビッチだよ」
「――ひどっ!」
刹那に声を荒げて抗議しだす葉月。
しっかり聞こえてしまったらしい。
「アタシ、見た目は確かに立派なギャルかもだけど、ビッチじゃないかんね!」
少し頬を膨らませ、持ってた鞄で雄平の背中をパンっと軽く叩き、不満げを全面に押し出して主張してくる。
雄平としても、思わず出てしまっただけだ。
けっして本気でそう思ってるわけじゃない。
むしろビッチはさすがに言い過ぎで悪かったとも思ってる。
でも、それでも言いたいことは、あったりする。
「あんなナチュラルにキスかましておいて、どの口がそれを言う? まさかファーストキスだったとか言う気か?」
「え? そりゃあ、まあ、確かに? 別に初めてってわけじゃないけどさ」
「ほらみろ」
今度は雄平のほうがにんまりして見せる。
さっきの仕返しとばかりに。
実に大人げない男である。
「え、ちょっと待って。だからってビッチはひどくない? 今時キスくらいでそこまでキレなくてもいいじゃん。君だって別に初めてじゃないクセに」
「オレは――」
雄平の言葉が途中で途切れる。
そこで、はたと気付いてしまったのだ。
もちろん雄平は初めてだったわけだが、そんなの声高々に自慢できることじゃないだろう。
それどころか、そんなこと同年代の女の子相手に、しかもたった今キスした相手に告げるのは、控えめに言って人生最大の黒歴史レベルに恥ずかし過ぎるということに。
「……だった、よ」
思わず声が極めて小さくなってしまう。
が、それを葉月は許してくれなかった。
「え? なーにー? ゴメーン、よく聞こえなかったー」
にまにましている葉月。
答えはわかってますよー。
でもそれをあえて本人の口から言わせてやるんだよー。
そんな意地悪さが滲み出ているかのようだ。
ついさっき「彼を立てて……」とか言ってた可愛らしい女の子と同一人物とはとても思えない。
雄平としては、からかわれた仕返しをほんの少ししてみたかった。それだけだったのに、あっさりと逆転されて追撃喰らってしまった形である。
まさに後悔先に立たず。
今更ながら、リア充相手にあちらの土俵でやりあってしまった自分が愚かだったと気付いた。
そもそも、リア充人に口で敵うわけもなかった。
せめて今からでもなんとか話題を変えることは……
葉月のにまにました顔が、それは無理だと教えてくれる。
万策尽きたと観念し、からかわれることも覚悟した雄平だった。
「オレは、初めてだった。ってそう言ったんだよ。悪かったな」
「……え?」
なのに、何故か目を大きく開いて驚く葉月。
顔からも、にまにまが一切消え去り、本気で驚いているように見える。
「……うそ」
さらにぽつりと漏らしてくる。
しかし、雄平にしてみれば、何故そこで驚くのか分からない。
とある統計によれば、中学卒業までのファーストキス経験者は二割程度だとか。
つまり、経験あるのは人生の天上人とも言えるほんの一握りのリア充人のみ。
一般的な高校一年生は、経験の無い人のほうが圧倒的に多いハズだ。
……たぶん。
だというのにこの驚きよう。
葉月の中で、自分はいったいどうなっているのか逆に聞いてみたくなる雄平だった。
「あ、もしかして、高校入ってから初めてという意味だったり? 中学以前はノーカンにしてるとか?」
「んなわけあるか。小中も含めて経験無いっての」
葉月のボケた話に釣られ、思わずツッコミ入れつつも、自分の経験の無さを強調してしまった。
それはもう、自ら傷を広げるようなものだ。
地味にHPが削られた気がしてならない。
もしそれを狙った狡猾なハメ技だったとしたら、リア充人恐るべし。
「じゃあ、その前は?」
だが、何故かまだ食い下がってくる葉月。
「その前って、保育園とか? そんな昔なんか覚えてるわけないじゃん」
「……覚えて、ないんだ」
「もし覚えてたって、さすがにそこまで小さい頃はノーカンだろうけど」
「……ノーカン、なんだ」
どうやらそういう高度なハメ技ではなかったらしい。
むしろ、葉月のほうがダメージ受けたかのように気落ちしてるように見える。
でも、その理由が雄平にはよく分からない。
結局のところ、雄平にとってリア充人とは、やはりよく分からない人種のようであった。
読んでいただき、ありがとうございます。
次回は、葉月サイドの、いわゆるネタバラシ回その1、になるかと。
更新は明日の夜を予定しています。
次回「#04 許すまじ神楽雄平!」
お楽しみに~