#11 周りを納得させるだけの男になってみせる、とか言えんのかこの男は
雄平の家は、駅から南東方向へ、直線距離で二キロメートルほどの位置にある六階建てマンションの四〇二号室。
そこに母親と二人で暮らしている。
雄平の母、神楽雪は、いわゆる未婚の母というやつで、一度も結婚することなく女手一つでここまで雄平を育ててきた。
雄平も父親のことは知らないし、あまり興味を示したこともない。
雄平からしてみれは、物心付いたときから今の状況なので、世の中の多くの家庭とは少し違うかもしれないが、かといってそのことに特に疑問や不満があるわけでもない。
もちろんその分、家の手伝いもしくは家事の分担など、しなければいけないことも多いが、それらは小さい頃より母親に鍛えられており、一通り人並みにこなせるので問題無い。
むしろ、それらが充分こなせるようになった頃から母親は安心して夜遅くまで仕事してくるようになり、その分二LDKの家で一人伸び伸び好き放題できる時間が増え、雄平にとっても好都合だったりする。
「……そこのところだけは、ゆうが羨ましいわホント」
ダイニングテーブルに頬杖をついて、そう不満げに呟くのは、水色のTシャツにオレンジ色のパーカーというラフな格好をした藤代美海である。
「みうのとこは自営業だからな」
その対面に、黒のTシャツにジーンズという同じようにラフな格好をした雄平が席に着く。
「そ。家事分担は当然のごとくある上に、パン屋の手伝いに駆り出されるんだから、伸び伸び気ままな自由時間ってのはそんなに無いのよねぇ」
二人が席についたところで、二人一緒に「いただきます」と小さく呟いた。
「でもその分、バイト代みたいの貰ってんだろ? ならいいじゃん」
「まあ、ね。でも大して貰ってないわよ。ホントに稼ぎたいならコンビニとかのほうがまだ効率いいわね。ってか、このナス味噌、旨っ! ゆう、あんたまた料理の腕上がったんじゃない?」
「そりゃどうも。ナス味噌もご飯もおかわりはあるからな。お吸い物はないけど」
「あ、じゃあナス味噌少しいい? でも雪さんの分は? 大丈夫?」
「母さんは今日も遅いからな。夕飯は食べてくるハズだよ。気にしなくていい」
「そっか。じゃあ遠慮なく」
雄平が箸を置いて立ち上がり、コンロ横に置いてた大皿を持ってくる。
ラップを半分外し、中華お玉でナス味噌をすくって美海の皿に装った。
「わーい、サンキュー。……しっかし、ねぇ」
「なんだよ」
「こんだけ美味しいナス味噌をサクッと作れちゃう高校生男子が世の中にいったいどれ程いるのやら、と思ってね。ホントゆうってば、しばらく来なかったらいつの間にか女子力上がっちゃってまあ。もういつでもお嫁さんに行けちゃうね」
「やめろ。全然褒め言葉になってねぇ。それを言うならせめて、男子三日会わざれば刮目して見よ、とかにしてくれ」
「えー、それはゆうにはもったいない」
「おい!」
そんなこんなで他愛もない会話をしながら二人の夕食が進む。
雄平の家で、雄平が夕食を作り、美海と二人で食事をする。
それは中学生のころには何度もあった、二人にとってはありふれた時間。
ここ数ヶ月は開催されてなかったが、なにしろ小学校一年から現在の高校一年まで十年連続クラスメートという驚異の超腐れ縁の二人であり、始まってしまえばそんなブランクなど微塵も感じさせないほど、さまざまな想い出などで話題は尽きることはなかった。
食後、雄平が二人分の食器を洗い終わるのを待ってから、美海が「さて」と口を開いた。
「相談料はたらふく頂いたことですし、そろそろ話を聞いてあげましょうかね」
「ああ。今コーヒーを入れるからちょっと待ってくれ。みうも飲むだろう?」
「いただくわ。いつもの――」
「ミルクたっぷり砂糖なし、だろう?」
「そうそう。わかってるじゃない」
「そういうところは高校生になっても変わらないみたいだなぁ」
「いいじゃん別に。あ、相談内容によっては追加料金かもだからね」
「じゃあ、それも前払いしておくか。牛乳プリンでいい? 手作りなんだけど」
「は? 何、それもゆうが作ったの? マジ? やっぱあんたお嫁さんに……」
「――ヤメロ!」
冷蔵庫から取り出したデザート皿にスプーンを添え、セリフとは裏腹に笑顔で美海の前に置く雄平であった。
◇
藤代美海は、今まさに驚天動地の最中にいた。
「――え? ちょっと待ってゆう。……い、今なんて?」
美海はあまり人の言葉を聞き返すようなことはしないほうだが、今回ばかりはそうもいかなかったようだ。
それだけ、あまりにも想像の埒外なことを言われてしまったのだから。
「キス……した? ゆうが、あの三雲葉月と? ……マジ?」
目をそらしながらも頷く雄平。
「えっと、一応確認するけど。頬とか、額とかじゃなく……?」
再び頷く雄平。
「……足の裏じゃなく?」
「――おい!」
それにはさすがに頷くよりも、ツッコミ入れた雄平だった。
昔読んだ本に、足の甲にキスするのは隷属、足の裏にキスするのは忠誠とかあったの思い出したが、今はそんな話どうでもいい。
どちらもまっぴら御免なのだから。
「うわぁ……。それって、間違いなく学校中の全男子を敵に回したわねぇ」
「やっぱ、そう思う?」
雄平も自分のことながらそう思うので反論できない。
「思うわよ、決まってるじゃん。あの三雲葉月だよ? キュートエイジとかレモンブランとか、私でも読んでるファッション雑誌の表紙飾っちゃうくらいの超人気読モだよ? 入学してたった二ヶ月で三十人以上から告られて全部ゴメンなさいした北高の撃墜王だよ」
最後のは知らなかった。
そんな二つ名持ちだったとは。
でも、間違い箇所は一応訂正しておいてあげよう。
「あ、それ。三十人ってのは、さすがに誇張されたデマだったみたいだぞ。本人が言ってた。ってか本人も驚いてた。ホントは三人だって」
「あ、そうなんだ。でも、三人でも充分すごいけどね」
「だな」
「てか、うわぁ……。この男ってば、予想を遥かに上回る話ぶっこんできたわ。しかも斜め上に突き抜けるヤツ。ゆう、牛乳プリン、もう一つ追加よ。たった一つじゃ全然足りないわよこんなの」
更なる追加報酬を要求されてしまった。
もっとも、たんにおかわりしたいのを、追加報酬にかこつけているだけかもしれないが。
「あとで出すよ。もしかしたら、もう一つなんかじゃ足りないかもだし」
「え? どういう意味?」
「話はまだ途中だ、ってこと」
最初から順番に話していたため、コンビニで偶然出会ってからストーカー先輩を追い返したところまでしかまだ話してないのだ。
「こ、これ以上、まだ何かあるって言うの? さすがに私ももうお腹いっぱいなんだけど?」
たった今牛乳プリンの追加を要求したばっかじゃん、と思わなくもないが、お腹いっぱいなのは食事のほうじゃなく、相談事のほうなのだろう。
でも……、
「悪ぃな。むしろここからが本題だから」
「うわぁ、マジか……」
そして雄平は続きを話し始めた。
ファーストキスをからかわれたところは本筋じゃないから省いたが、公園前でツーショットを撮ったことや、公園での会話の内容をかいつまんで。
そして美海は、半ば呆然とした様子で天井を見上げながら、
「三雲葉月と、ゆうが、付き合う……」
そうつぶやくのであった。
「もしイエスと返事すればな」
「ん? あれ? しないの?」
美海の視線が天井から雄平へと戻ってきた。
「聞いてる限りじゃ、普通、その話の流れならイエス一択じゃないかと」
「正直、オレも頷きかけてたんだけど。たまたま考える時間ができちゃって。で、改めて考えちゃうと、さ……」
「そっか……。キスだけでも学校に史上最大クラスの激震が走るってのに、北高の撃墜王が逆に撃墜されたなんて、しかもこんなボンクラぼっちオタなんかに。うぅぅ……、男子たちが不憫すぎる」
「おいこらっ!」
他人事であれば、一般論として確かにそうかもな、と概ね納得するのだが、自分をボンクラと面と向かって言われると、さすがに多少なりともツッコまずにはいられない雄平であった。
「で、真面目な話、ゆうとしては何が問題なの? あの三雲葉月に交際を望まれて、しかもゆうの事情まで知ってなお手を差し伸べてくれる。まさにゆうにとっては女神様じゃない」
「さっき、みうも言ってただろう? あの三雲葉月だぞ? 学校でも超人気の女子だぞ? オレと釣り合うと思うか? 周りが納得すると思うか?」
「周りを納得させるだけの男になってみせる、とか言えんのかこの男は」
「――うっ!?」
美海の鋭すぎる指摘に、返す言葉が見付けられない雄平であった。
「ったく情けない。……でもまあ、確かに外野はうるさいでしょうねぇ。けど、付き合う付き合わないなんて結局は当人同士の問題よ。外野なんか無視して全然オッケー。ってか、そもそも人の恋愛事情に部外者なんかが干渉してくれるなって話よ」
「そこんとこ、みうは昔から変わらないなぁ」
「まあ、私のポリシーみたいなもんだからね。恋愛事には、相談は乗るけれど、私は直接干渉しない。今回もそうよ。三雲さんとゆうの交際も、こうやって相談には乗るけれども、一切なんも協力はしないわよ私は。付き合う付き合わないに関わらずね」
「ああ、わかってる」
そこのところは充分に理解しているつもりで、雄平は頷いた。
以前も、中学のときもそうだったのだから、と。
「まあでも、もし付き合うとなった場合、三雲さんとこのグループが中心になって、そのうるさい外野をなんとかしちゃうんじゃないかな。っていうか、そもそもそういう外野をなんとかしたいというのが、三雲さんの目的でもあるわけだし」
「……というと?」
「そもそも騒ぐ外野なんて男子だけってこと。女子は、全部とは言わなくとも多くの女子は、このカップル成立をむしろ大歓迎して祝福までしてくれて、更には男子たちを鎮めるほうに協力してくれるでしょうね。だから、きっとすぐに沈静化されるわよ」
「え? そうなのか? なんで?」
コーヒーを飲み干しながら雄平は首を傾げた。
何故女子たちは歓迎してくれるのか、そこのところがよく理解できなかった。
「考えてもみなさいよ。あの三雲葉月なのよ? その気になれば全校男子の人気上位ランカーをよりどりみどりで選べちゃう、そんな存在なの彼女は。それが事もあろうに、超ランク外のどこの馬の骨とも知らないボンクラぼっちオタを選ぶっていうんだもの。上位ランカー男子がお目当ての女子たちにしてみれば、どうなると思う?」
「ああ、なるほど。言わんとすることがわかった気がする。ってか、オレの扱いがヒドくね? なあ! めちゃヒドくねぇか!?」
「まあ、それはおいといて。良く言えば女子グループ同士の結束? 裏を返せば、三雲さんがモテすぎて一極集中しかけてる現状を改善できる、またとないチャンスかもってことだからね。女子たちもそれなりに協力すると思うわよ」
「おいとくなよオレの扱いを。つまり、利害が一致する、と」
「身も蓋もない言い方だけど、まあそういうことね」
「なるほどねぇ」
雄平がコーヒーサーバーを持ち、美海のマグカップに視線を向ければ、美海は少し残っていたコーヒーを飲み干してからマグカップを雄平の前に差し出した。
まず美海のマグカップに八分目くらいまで注ぎ、それから自分のマグカップにも注ぐ。
美海が自分のマグカップを手元に引き寄せるのを見ながら、雄平は躊躇いがちに口を開いた。
「……でもさ、そういうのって、どうなんだろう?」
「何が?」
「えっと、恋人のフリだけならまだしも、そういう理由や目的で付き合い始めるってのが、さ」
「別にいいんじゃない?」
「え?」
驚きの声を上げる雄平と対照的に、落ち着いた雰囲気でコーヒーを一口飲んでから、美海は口を開いた。
「好きな人同士が付き合い始めるのが、確かに理想かもしれないし、そういうのが多いとは思うけど、でも世の中的には『お友達から始めましょう』ってのもあるよ普通に。お互いを知るために付き合い始めるとかさ。だから、お互いが納得していれば、きっかけは別になんでもいいと思うな」
「そっか……」
「それと、たぶんだけど、ゆうは少し誤解してると思う」
「ん? 何が?」
「三雲さんは、虫除けのためだけじゃなくて、ゆうを気に入っている、もしくは気になってるんだと思うな」
「……は? いやいや、それはないだろう。ありえないって。今までほとんど話したこと無かったんだし。それにボッチのキモオタとか言われたし」
「ん? 三雲さんにそう言われたの? キモオタって?」
何故か美海の目が若干細まった気がする。
どうしたんだろうと思いつつ、雄平は言葉を続けた。
「ああ。教室でアニメ雑誌見てにやにやしてるのはさすがにドン引きだって。それがどうかしたか?」
「ふーん……。そいえば、ゆうのフルネームも知ってたって言ってたっけ」
「ああ、コンビニで呼ばれたからな」
「ふーん……」
「なんだよ」
「いえ、別に」
そう言うと美海は細めていた目を元に戻し、にっこりと微笑みを見せた。
「それより話を戻すけど。ゆうはそんなのありえないって言うけどね。でも、さっきの話によると、彼女は真夜中にたった一人で逃げ回ってて、すごく心細かったと思うんだよね。そこへゆうが現れて助けてくれたんだよ。そりゃあもう感謝感激で、それこそゆうが白馬の王子様にも思えちゃうんじゃないかな。実際は、それには到底及ばないボンクラぼっちオタ王子だけどね」
「おいこらみう? さっきからお前、オレに何か含むところあるだろう? そうなんだろう?」
「やだな、含むところなんかないって。……ゆうはさ、それくらいで、と思うかもしれないけど、きっかけなんてそんなものだよ。その『想い』が芽を出してどこまで成長するかは、本人たち次第。水も光も与えなきゃ枯れていくし、ちゃんと与えてあげれば、大きく育つかもしれない。そして、三雲さんはその芽吹いた『想い』を育ててみようかと思ったわけだ。で? ゆうは?」
問われた雄平は、答えられずにその視線を落としてしまう。
それを見た美海は、マグカップを持ち上げながら、さらに言葉を続けてきた。
「仕方ないな。じゃあ、質問を変えようか」
そう言って、マグカップを両手で包むように持ちながら、まっすぐに雄平を見詰めてくる。
「ゆうは今、碧のこと、どう思ってるの?」
その思わぬ問いかけに、雄平はビクリと手を震わせた。
続きます。