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 ブラウスの(スリーブ)から伸びた少女の細い腕が、そっと少年の首の後ろに回される。


 ――えっ?


 戸惑いが少年の頭を駆け巡る。

 彼女のその行動は全く予想してなかった。

 驚く彼にはどう反応すべきか分からず、ただただその体を硬直させるばかり。


 その間にも、少女の動きは止まることはなく。

 回された腕によって少年の顔が引き寄せられる。


 少女の腕に、それほど強い力が込められているわけではない。

 (もと)より少女の腕は細く、背だって少年より十センチは低い。

 そんな少女がどれ程の力を込めていようが、男の力であれば抵抗くらいできたハズ。


 なのに、少年の顔はいとも容易く少女に引き寄せられていく。


 お互いの吐息さえも届く距離で、少女の瞳が閉じられていく。

 まるでスローモーションのようにゆっくりと。


 少女の朱唇(しゅしん)がわずかに開き――


 やがて、少年の唇に触れた。


 最初は軽く。


 徐々に徐々に、まるで押し込まれるかのように、より強く、より深く、二人の唇が重なっていく。


 少年の頭の中はさらに真っ白に塗りつぶされていく。


 ――何故オレは、彼女とキスを、しているんだろう……?


 それだけが、少年の頭の中をグルグルと駆け巡っていた。



 ◇ ◆ ◇



 ピンポーン。


 ありふれたチャイム音と共にコンビニの片側ドアが勢いよく開かれ、少女が一人、肩で息をしながら店舗に足を踏み入れた。


 サイドテールにした明るい茶髪を揺らす少女。

 着ている制服は駅向こうの高校のモノだ。


 私立北洋(ほくよう)高校。通称北高(きたこう)

 その前身は、設立を大正時代にまで遡るという歴史ある名門校であり、進学率が高いだけでなく、難関といわれる大学にも毎年何人も送り出している有名な進学校でもある。


 だというのに、そんな超有名進学校の生徒とはとても思えないほど、彼女のスカートの丈は明らかに短く、そこから伸びる素脚は非常に眩しく、さらにはブラウスの胸元は大胆にも大きく開かれて、グラマラスな双丘を強調していらっしゃる。


 きっと世の男どもの大半が、思わず二度見してしまうくらいには、蠱惑的と言える恰好(ルックス)だ。


「らっしゃいませー」


 間延びした挨拶の声がかけられた。

 声からすると若い男性のようだが、レジの所にその姿は見えない。

 商品棚の向こう側にいるのかもしれない。


 少女はすぐに周囲に視線を巡らせた。


 ――どうする? どうしたらいい?


 時間は無い。

 すぐにここまで追ってくるかもしれない。


 明るい店の中で、店員だっている所で、いきなり無茶なことはしてこないとは思うが、確証は無い。


 鞄に手を入れ、スマホを取り出す。


 誰か助けてくれそうな人に連絡して、来るまでなんとか時間を稼ぐしか無い。


 そう考えてスマホを操作しようとしたとき、視界の端で一人の少年の姿を捉えた。


「あ、……うそ」


 思わず小さな声が漏れる。


 そこに見知った顔があったからだ。


 駅からもだいぶ離れたこんな小さなコンビニで、知り合いに会えるだなんて思ってもみなかった。


 すっごく嬉しい偶然。

 嬉しくて嬉しくて、思わず涙が出そうになる。


 さっきまでのひどく怖かった思いが全て霧散した気がした。

 それくらい彼の姿にホッとした。


神楽(かぐら)!」


 彼の名前を呼び、彼のいる雑誌コーナーへと真っすぐ足を進めた。


 だが、彼のほうは雑誌を読んでいるようで、こちらに気付いてくれない。


 そんな真剣に何を読んでるんだろう、と彼の手元に視線を向ければ、その本の表紙には軍服っぽい服装の女の子の絵が見える。どうやらアニメ情報誌っぽい。


 いや別に、人の趣味をとやかく言うつもりは全然これっぽっちも無いんだけど。

 無いんだけど!


「神楽、雄平(ゆうへい)っ!」


 足を進めながら再び声をかけた。

 今度はフルネームで。


 今の彼女からしてみれば、アニメの女の子に夢中になって鼻の下伸ばして――彼女の偏見である――返事もしてくれない彼に、思わず少しだけ、ほんの少しだけ彼女の声が大きくなってしまったとしても、そこはまあ、大目に見てやって欲しいところである。


 名前を二度、しかもフルネームでも呼ばれて、ようやく少年は読んでいた雑誌から視線を上げた。


 これといった特徴はない、言ってみれば凡庸な少年だ。


 身長も高くもなく低くもなく、高校一年生としては、ごく平均的。

 少し伸びかけた黒髪が目にかかりそうなところは、人によってはだらしない印象を与えるかもしれない。


 着ている服はグレーのジャージで、胸にあるマークから少女と同じ北高のモノだと分かる。


「あれ? 三雲(みくも)……さん?」


 見上げた先にいたのは、クラスメートの女子だ。

 名前はたしか、三雲葉月(はづき)


 クラス内どころか、学年でもトップクラスの美少女な有名人。

 明るく友達も多い超人気者。

 校内カーストだってトップクラスのリア充 オブ リア充のギャル。

 先日の体力測定では抜群の運動神経だったとかで話題になってた。


 そして……、正直言って、健康的な一般高校生男子には、非常に目のやり場に困る女の子でもあったりする。特に胸元とか。


 なんとか首から下を見ないよう、なけなしの理性を総動員させて、顔に視線を向けてみれば、今度はその綺麗に整った目鼻立ちと、自分に真っすぐ向けられた瞳に心臓が一瞬跳ね上がるのを感じた。


「神楽、なんでここに?」

「いちゃ悪ぃかよ」


 雄平は思わずぶっきらぼうに応えてしまった。

 別に、彼女に対して特別な好意も悪意も持ってはいない。


 ぶっきらぼうな態度は、言ってみれば彼女から向けられた真っすぐな視線と蠱惑的な格好(ルックス)にあてられた照れ隠しのようなものだった。


 そもそも、同じクラスではあっても今まで彼女と話をしたことは、たぶん無い。

 今回が初絡みのハズだ。


 よく自分の名前、しかもフルネームで知っていたもんだと感心しちゃうくらいだ。

 クラスメートとはいえ、彼女はブッチギリのカーストトップに君臨する女生徒。

 対して自分は、高校入ってほとんど友達も作らず、毎日静かに淡々と登校しているだけの男子。


 つまり、ほとんど接点なんか無いのだから。


「別に悪くはないけど。でも今日は、クラスのみんなでカラオケに……」

「別に全員参加してるわけじゃないから。バイトのヤツもいたし、オレみたいにフツーに不参加のヤツもいたし」

「バイトはわかるし、仕方ないと思うけど、クラスの親睦会なのに、なんで参加しなかったの?」


 答えは簡単。

 誰からも声を掛けられなかったから。


 高校入ってからの約二か月間、雄平は何に対してもほとんどやる気が起きなくて、部活はもちろん入ってないし、友達付き合いもほとんどしてこなかった。

 つまり、普段はほとんどボッチのような学校生活を送ってきたわけで、そのため今日だって誘われてない。


「今日は、たまたま家の用事があったんだよ」


 少し考えて、雄平は無難な言い訳を口にした。

 もちろん嘘である。


「ふーん……」


 葉月の見透かしたような視線が雄平の手元の雑誌に向けられる。

 まるで「それが家の用事なんだ」とでも言いたげだ。


 話題を変えよう。


「で、三雲の方こそなんでここに? カラオケじゃなかったのかよ」


 雄平の問いに、葉月は思い出したかのようにハッとして、大きな窓にかけられたブラインドの隙間からコンビニの外に視線を巡らせた。


「……やっぱり、いる」


 そんな葉月の小さい呟きは雄平にも届いた。


 彼女の言葉に釣られ、窓の外に視線を向ければ、歩道の向こう側、電柱の傍に男が一人立っているのが見えた。

 見るからにチャラそうというか、リア充感をまとっているというか、そういった雰囲気の男だ。


 北高の制服を着ているが、雄平には覚えの無い顔だった。

 なんとなく一つ二つ年上っぽさを感じ、先輩かも、と当たりをつける。


 その男は手にスマホを持ち、それをいじりながらも、コンビニのほうをチラチラと気にしているようだ。


「あの男がどうかしたのか?」


 そんな雄平の問いに、しかし葉月は返事をしなかった。

 というか、雄平の言葉が耳に届いていない様子だ。

 何かぶつぶつと言ってるみたいだが、小さすぎて雄平には聞き取れない。


 まあいいか。オレには別に関係無いし。

 と、雄平は再び手元の雑誌に視線を落とし、そのページをめくった。


「よしっ! それで行こう!」


 どれで行くんでしょうか? とお約束のツッコミは頭の中だけに留めて雑誌を眺めていた雄平だが、腕をガシッと掴まれてしまうと、そうもいかない。


「……えっと、何?」

「神楽、どうせ暇なんでしょ。ちょっと手伝って」

「だから、何?」


 どうせ暇、と断言されると、なんとなく面白くないものである。

 たとえそれがいかにホントのことだったとしても。


 雄平もご多分に漏れず少しばかりムッとし、連れて行こうとする葉月に逆らっていた。


「いいから!」


 葉月のほうも、素直に言うことを聞いてくれない雄平の態度に少し苛立って、ちょっとばかり声を荒げてしまった。


 が、すぐにハッとして周囲に視線を巡らせた。


 棚の向こうから、店員がこちらの様子をうかがう姿を見て、思わず「ヤバッ」と小さく漏らしながらうつむいてしまう。

 雄平も横目で店員の様子を見ていた。


 あれは、痴話喧嘩なら外でやれよ、と言ってる目だろうな。

 間違いない、と雄平は確信していた。


 実際、店員が考えていたことは正にその通りなわけだが。

 さらに言えば、「高校生(ガキ)のクセに色気付きやがってコンビニで不純異性交遊(いちゃいちゃ)すんじゃねぇよ嫌がらせも兼ねて警察に連絡入れてやろうかこのやろう。補導されて停学にでもなっちゃえばいいんだいい気味だざまあみろだ」とさえ考えていたりする。


 そこまではさすがに知る由もない雄平だが、なんとなくヤバい雰囲気を感じて葉月に視線を戻した。


 早々にコンビニを退散したほうがいいだろうな、とは雄平も思ってはいるんだが、でもこのクラスメートに付いていくのも、それはそれでなんか怖い気もするのだ。

 なにせ、普段交流が全く無い相手だ。

 何処へ連れていかれるのか、何をされるのか、もしくはさせられるのか、見当も付かない。


「少しでいいから、簡潔に説明、もらえない?」


 雄平としては、葉月にだけ聞こえるくらいの小さな声で、努めておだやかに声をかけたつもりだ。


 それが功を奏したのか、葉月はぽつりぽつりと話し始めた。


「……外にいる人はガッコの先輩で。今日のみんなとのカラオケに、他の先輩たちと一緒に乱入してきたの。それで、なんかおかしな感じになっちゃったから、カラオケは流れで解散することにしたんだけど、あの人、それからずっとここまでアタシの後ろを付いてきて……」


 葉月のセリフに、雄平は思わず眉をひそめた。


「カラオケって、駅前のだろう? そこから、ここまで?」

「うん」

「ストーカーじゃん、それ」

「だ、だよね!」


 同意を得られた嬉しさで顔を上げる葉月。

 対して雄平はポケットからスマホを取り出した。


「警察に……」

「ダメ!」


 こういうのは明らかに通報案件だろうと考えた雄平だが、速攻で葉月に止められてしまった。


「え? なんで?」

「時間。今何時だと思ってるの。こんな時間まで出歩いてるとか、アタシたちまで補導されるって」


 スマホの時刻を確認すれば、二十二時三十分を少し回ったところ。


 確か条例的には二十三時以降が深夜徘徊で補導対象だ。

 けど、北高の校則的には二十二時以降の外出は特段の理由が無い限り禁止されていたハズ。


 それをちゃんと守っているヤツがどれくらいいるかは、この際おいといて。


「当事者であるアタシはともかく。詳細聞かれて、話の流れ次第じゃ、カラオケで一緒だったみんなも巻き添え食っちゃう。それに、神楽だって。マズいでしょ? アタシだってみんなに迷惑かけたくない。申し訳無さすぎる」


 素直に驚いた。

 自分が大変な時に、こんなにも他の人への気遣いができるなんて。


 ルックスだけじゃない人気の理由を、垣間見た気がした。


 でも、じゃあどうする?


 逃げる?

 いや、逃げられるくらいなら、彼女もとっくに逃げ切ってたハズ。

 彼女の運動神経は良いと聞いてる。

 そんな彼女でもダメだったということだろう。


 力ずく?

 いや無理。

 オレに喧嘩の自信なんかあるわけない。

 期待されても絶対無理。


 そんな雄平の思考を知ってか知らずか。

 葉月が言葉を続けてきた。


「だから神楽。お願い、彼氏のフリして」

「……へ?」


 葉月の言葉に、思わず変な声が出た雄平だった。


 だが、言われてみればその手があったか、と思わないでもない。

 でもそれって、最悪の場合、喧嘩になったりしないか? と思わないでもない。


 雄平の思考はさらにグルグルと回る。


 何より問題なのは、信じてもらえないんじゃね? ってことだ。

 なにせ三雲葉月はカーストトップクラスでスタイル抜群の茶髪美少女ギャル。

 対してコッチは、ほとんどボッチ生活まっしぐらの凡庸な男子。


 釣り合ってるとはとても思えない。

 っていうか、自分ならぜってぇ信じねぇよコレ。


 と、その時ひとつの疑問が雄平の頭をよぎり、そのまま口にしていた。


「えっと、三雲。本物の彼氏とかは? もしいるなら、そっちに頼んだほうが……」

「――いない」


 即答された。

 そして何故か睨まれた。


「アタシ、彼氏いないから、君に頼んでるの。オーケー?」

「お、オーケー。イエスマム」


 妙な迫力で念押しされれば、雄平には頷くしか選択肢はなかった。


 雄平からしてみれば、葉月ほどの美少女で人気者なら、彼氏の一人や二人、いても全然おかしくないと思っただけなのだが。


 意外とこれは取扱要注意(センシティブ)な話題だったのかもしれない。

 普段絡んでない人だと、何処に地雷が埋まっているのか分かり難い。

 気を付けよう、と少しばかり気を引き締めてしまう雄平だった。


「大丈夫。神楽は横で黙って立っててくれればいいから。もしできるなら、不敵な笑みでもしててくれればベター。あとはアタシが何とかするから」

「不敵な、笑み……?」


 ナニソレ。


 ラノベやマンガではよく聞くが、実物なんか見たことないそんなの。

 まして、やったことなんてありはしない。


 喧嘩も無理だけど、高度な演技力を求められても、さらに無理ゲー。


 そんな雄平の思いも空しく、にかっと気持ちよい笑顔を見せる葉月。


「ほらっ! 彼氏彼女の深夜デートなんだから楽しそうに笑って笑って。笑顔笑顔。行くよ!」


 腕を引っ張られ、もはや逆らえず、とにかくなんとかきょどらずにいよう、と思う雄平なのだった。



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