5話 洗え
聖女ピクシア・アルガードは壇上に上がると、柔和な微笑みを浮かべながらスピーチを始めた。
「皆様、初めまして。新入生代表を務めさせて頂きます、ピクシア・アルガードです。以後お見知りおきを」
そこで彼女は優雅に一礼をする。
洗練されきったその振る舞いだ。
新入生だけでなく教師陣からも感嘆の声が上がる。
流石帝国公爵家の娘といったところだろう。
淑女として完璧な振る舞いを身につけているようだ。
あと、容姿が抜群に良い。
輝くような黄金の髪。
出るとこは出ていて引っ込むところは引っ込んでいるのが分かるほどのナイスバディー。
そしてなんといっても、あの整った顔から繰り出される優しい笑顔だ。
どこを見ても完璧超人だ。一切の非の打ち所がない。
「ほう……」
あれが聖女か……。
なんだか彼女から後光が差しているような幻覚が見えてきた。
完成された美は一種の神々しさを錯覚させるらしい。
「巷では聖女などと過分な評価を頂いておりますが、私はまだまだ未熟な身です。教師の皆様、これから至らぬ点も多いかと存じますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」
教師達は顔を青くした。
一度に五千人も回復魔法で治療してしまう化け物に何を教えりゃいいの、って顔をしている。
「それから新入生の皆さん。これから共に切磋琢磨し、魔法の腕を磨いてまいりましょう。そうすれば………………」
そこで聖女は固まった。なぜか笑顔のまま動かなくなってしまった。
一秒、二秒と時間が過ぎていき、十秒ほど経って大講堂内が騒がしくなってきた時、聖女は「うふふっ」と突然笑いだした。
「ごめんなさい、台本を忘れてしまいました♪ 緊張しちゃってたみたいです……」
ということらしい。
マイペースだな聖女。
「せ、聖女も普通の女の子なんだな……」
「お、おお……普通の女の子だわ」
「うん、普通の女の子だ……」
今のお茶目で一気に聖女を近くに感じたんだろう。
男子生徒の語彙が「普通の女の子」しかなくなったみたいだ。
「──挨拶は以上です。ご清聴ありがとうございました」
それからほどなくして聖女が挨拶を締めると、大講堂内に万雷の拍手が鳴り響いた。
この場の誰もが惜しみない声援を送っている。
「……ぁぇ? な、なに……?」
嘘だ。
隣の平民ちゃんは今起きたばかりで何も分かっていない。
平民ちゃんは垂れたよだれに気付いたのか赤面し、袖でぐじゅっと拭う。
しかし思ったよりよだれの量が多かったのか、袖では拭ききれずにぐちゃぐちゃになっていた。
大惨事だ。
「……これ、よかったら使って」
「ぁひっ、ぁっ、ぃやっ、ぇ、ぁぁ、ぁっ、ぁのっ……!」
「俺なんも見てないから大丈夫」
ハンカチを渡した。
「ぁ、ぁ、ぇと、ありがとうございます…………ぅぐ、死にたい……」
死ぬな。
頑張れ。
……それはさておき、あの聖女だ。
俺は笑顔で手を振りながら壇上を降りる彼女を見た。
完璧な笑顔、容姿、振る舞いだ。
まるで本当に後光が差しているように見える。
いや、俺には本当に後光が見えているのだ。
聖女はこの場の全員に精神操作魔法を使用している。
とはいえ効果は大きいものではない。
おそらくだが、多少彼女に好感を持ちやすくなる程度のものだろう。
化粧や香水と似たようなものだ。
例えばこの魔法にかかっている状態であろうと、聖女に全力でぶん殴られたら普通に嫌いになれる。
だがそれゆえに、誰も魔法の行使に気付けない。
新入生はもちろんのこと、教師達ですら察知できていないようだ。
ほとんどの人間が彼女に魅了されている。
……天才だな。
誰にも感知できないほど効果を弱めた精神操作魔法を、この大講堂内全域に発動する。
言うのは簡単だが、これができる魔法使いは世界で何人いることだろう。王国でもネームドに数人ってとこだ。
普通の女の子にそんな真似できるはずない。
あの聖女よりは隣の平民ちゃんの方がまだ普通だ。
「あ、あのっ、洗って返します。……あっ、こういうのって洗わない方がいいのかな……」
「できれば洗って返してほしいかな」
「で、ですよねっ」
意外と自己評価高いね君。
普通の女の子ってどこにいるんだろう。
……でも、聖女はなんでこんなことしてるんだ?
可愛くて公爵令嬢で魔法の実力もピカイチな人気者なのに、これ以上評価を上げたい理由が分からない。
承認欲求が強いのかな。
なんて遠目から見ていると、聖女と目が合った気がした。
……まあ、気のせいか。
☆☆☆
それから来賓でやってきた帝国の偉い人たちがお話して入学式は終了した。
昔から偉い人の話は苦手だ。長ったらしくて眠くなってしまう。
俺も平民ちゃんを笑えない。
「続いて新入生諸君の実力測定試験を行う。教師の案内に従い運動場へ移動したまえ」
学園長の言葉に新入生たちがざわつく。
「お前、対策してきた?」
「いや、対策しようにもどんな内容になるかわからなくて……」
「俺もだ。……良いクラスになれたらいいなぁ」
隣にいた男子生徒二人は緊張した様子でため息をついていた。
実力測定試験。
この帝国魔法学園において、新入生にとって最も重要なイベントだ。
どうもこの試験の結果でクラス分けが行われるらしいのだ。
俺はこの学園に忍び込むにあたって、ゴールド氏から事前情報をまとめたノート、通称『ゴールド帳』をもらった。
そこにはクラス分けの重要性についても書かれていた。
ゴールド帳いわく、帝国魔法学園生にとってクラス分けは最も大事なイベントらしい。
帝国魔法学園は徹底した実力主義を採用しているらしく、クラス分けも実力測定試験の成績順で行われるという。
優秀な者から順にA、B、C、D、Eの五クラスに分けられ、それぞれ違った授業カリキュラムが組まれるんだとか。
また、どのクラスを卒業したかによってキャリアの価値も違うようだ。
Aクラスを卒業したならば最高峰の魔法使いとして世間から扱われるらしく、大体みんな高いクラスになれるよう頑張るらしい。
クラスは実績や成績によっても変動するみたいだが、最初のクラス分けが一番重要だ。
一般生徒的にはここが正念場だろう。
「あっ、あの……実力測定試験って何か知ってますか?」
新入生の波に揉まれながら運動場に移動していると、平民ちゃんに話しかけられた。
やっぱりこの子は知らなかったっぽいね。
「よく分からないけど、実力を測ってクラス分けするらしいよ。その成績が高いほど良いクラスになれるとか聞くね。対策してくる人も多いんだとか」
「あっ、そうなんですねっ。……あっ、私チマ・ドゥヘーミンっていいます。名乗るの遅くてごめんなさいっ」
平民ちゃんこと、チマ・ドヘーミンちゃんはぺこりと一礼した。
「ああ、気にしないで。俺はボイル・スパイス。ボイルでいいよ。よろしく」
「あっ、よろしくですっ……それと、わ、私もチマで」
ドヘーミンって、なんか呼びにくいもんな。
しかしこの子、どうやら人見知りが激しいらしい。
さっきから一回も目が合わないし、声も小さい上に吃音が激しい。
俺に話しかけてきたから対人スキルが無いってわけじゃなさそうだけど、常にビクビクしてるから臆病な小動物みたいだ。
「あっ、そ、それでボイルくんは試験対策とかしてますか?」
「してないよ。辺境の村出身だからそういうの分かんなくて。どんな内容になるかも知らないくらい」
「ほっ、本当ですか? 良かったぁ……何も知らないの私だけかと……」
「うんうん、俺も知らないから平気平気」
もちろん嘘だ。
実力測定試験については全力を尽くして調べたし、対策も死ぬほどやってきた。
帝国の魔法技術を盗まなければいけないスパイとしては、最新技術に多く触れる必要がある。
そのためには最高の教育を受けられる環境に身を置かなければならない。
つまり、Aクラスに所属し、最新の技術や教育法を学ぶ。
そして王国に流す。
これは絶対だ。
かといって、試験でトップを取ったり奇抜な魔法を使ったりして変に目立つのはよろしくない。
Aクラスの大半は貴族が占めることになるはずだからな。
魔力量や魔法の才能は遺伝する。
優秀な魔法使いの血を取り込んでいった貴族の方が才能的に優れているのは必然だ。
つまり、平民の俺がトップでAクラスに入ったりすれば死ぬほど注目を浴びることになる。
というか平民でAクラスってだけでも珍しいんじゃないかと思う。
だから……俺はイイ感じに手を抜く。
目指すはAクラス最下位だ。
ゴールド帳によれば、帝国魔法学園のクラス分けは筆記テストと実技テストによる試験で決められるらしい。
筆記テストでは一般常識や魔法知識について問われ、実技テストでは魔法の適性や正確性を見るため、的に好きな魔法を放つ、いわば的当てをするみたいだ。
そのため、俺は入学するまでイイ感じに手を抜く練習を怠らなかった。
筆記は過去問を裏ルートで手に入れ(てもらい)、満点を取らず、九十点を取る練習をした。
実技は威力を抑えて制御を甘くし、的のギリギリを狙う練習をした。
今の俺に抜かりはない。
どんな試験になろうとも、俺は必ずイイ感じにしてみせる……!
そう決意を固めているうちに運動場に到着し、学園長は新入生の前で話し始めた。
「一つお知らせだ。従来の筆記・実技試験による実力測定試験は今年から廃止となった。入学前に対策してきた者としてこなかった者、つまり貴族と平民の格差が問題になってな」
「なんだとっ……!」
「えっ、ぼ、ボイルくん……?」
ふざけるなっ!
こっ、これまで一日五時間は練習時間に充ててきたんだぞ⁉︎
ほら、的当てとか、なんか色々さ……!
やるって聞いたからさぁ……!
イイ感じになるよう、血反吐を吐きながらさぁ!
練習したのにさぁっ!
「というわけで、今年からは魔法による模擬戦を行ってもらい、その実力を教師複数人が見て成績を決める。この学園に入学できたのだ、初歩的な魔法戦闘ならできるだろう?」
「そんなっ! それじゃ対策が無駄に……っ!」
「えっ、ボイルくん、対策してきてないって……」
「あ」
チマちゃんが疑いの目を俺に向けてきていた。
い、いかん。あまり不審な行動は慎まないと……。
「あ、ああ違う違う。友達が実力測定の対策頑張ってたから心配で心配で」
苦し紛れの言い訳だ。
対策してきた友達なんてどこにもいない。
よくよく考えてみればすぐに嘘だと分かるだろう。
けど、
「あっ、そういうことかぁ〜」
簡単に騙されてくれた。
純真すぎて心配になる。
「そういうことそういうこと。……くそぅ」
ただチマちゃんが納得してようが、俺は全く納得いっていない。
なんで今年に限って試験方法変えちゃうんだよ。
そんなことゴールド帳に書いてないんだけど?
おい、俺の努力の意味は?
「新入生諸君はまだ互いのことが分かっていないだろうから、対戦カードはこちらで用意させてもらった。教師の監督のもと、礼節をもって全力で戦いたまえ」
学園長は満足げに頷いた。
ぶん殴りてえ。
「た、戦うだなんて嫌だなぁ。私まだまともに魔法使えないのに……」
「うん、俺も戦える気しない」
戦闘の素人相手に何をどう戦えばいいんだろう。
目立たずにAクラスに入る方法、誰か教えてください。
俺には分かりません。
もう帰りたいです。
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