第6話 実家①
親父と会うことになった。表面上、兄弟たちと一緒におじいちゃんの家に行くという形だ。
交流はあったものの、俺が今まで呼ばれなかったのは恐らく、俺が親父の孫ではないからだ。
仁としては、親父と血が繋がっていない。
今回だって本当は行く必要もない。
だが俺と親父たっての希望で今回行くことになった。
久しぶりの実家に胸がおどる。何と言ってもやはり実家は実家だ。
お袋もいるだろうか。呆けたりしていないだろうか。
飼い犬のクロはもう死んでしまっただろうか。今で俺が死んでから八年になる。最後に見た時は老犬だった。
時の流れは怖いが、今は楽しみさえも感じている。気になってはいたし、追いつこうとするのはもう諦めた。
どうせ、出来やしないのだ。慎二の体には戻れない。
「お兄ちゃん、お土産どこ?」
咲良が騒いでいる。やけにテンションが高い。
「うるさいな、持ってろ」
それに反し大希は少し苛立った様子だ。その割には結構準備しているが。
今回、俺も行くので由利も行くらしい。智は仕事のため不在だ。まあ、たとえ親友の実家とはいえ由利の元旦那の実家には行きたくないだろうな、とは思うが。
空は雲一つない青空だった。
実家へは十分たらずで行ける距離だ。道中、咲良だけが歌を歌っていて上機嫌に見えた。
「おはよー、おばあちゃん、おじいちゃん」
どうやらお袋も健在らしく、まず出てきたのはお袋だった。
「あらいらっしゃい、咲良ちゃん。それに大希くんも。えっと…この子は何という名前だったかしら?」
そういえば親父にも仁と名乗っていなかったことを思い出す。
「仁っていうんです。四歳の男の子で」
由利が笑顔で言う。するとお袋は思い出したとばかり手を打った。
「あ、そうねぇ。思い出したわ。ごめんなさいね、写真もたくさん頂いていたのに」
写真を送っていたのはお袋へだったらしい。なぜ写真を送っていたのに会わせなかったのだろう。
「大丈夫です。仁と義母さんはまだそんなに会ってないんですもの」
「…そうね」
何だろう。少し間を感じた気がするのは気のせいだろうか。
目の前を咲良が駆けていく。そして大希も咲良ほどではないが急ぎ気味に入っていく。
俺はまだ立ち止まったままでいる。
「仁くん、ゆっくりして行きなさいね」
「あ…うん!」
危うくああ、と答えてしまうところだった。
二十何年も一緒にいた親だ。誰よりもバレやすいだろうから気をつけないと。
俺は久しぶりの実家を探検することにした。
八年たった家は、変わったものと変わらないものがあった。
家はほぼリフォームされることなくそのままだった。家具もあまり変わったものはなく、昔から変わらない光景がそこにあった。
ただ案の定、クロはいなかった。その代わりに新しい犬がいた。といっても、少し年老いたようだが。
「名前はね、タロっていうのよ」
背後から声がしたと思うと、そこにいたのはお袋だった。
「八歳だから、仁くんより年上だね」
何だろう、嫌な予感がする。
「…前にも飼ってたの?」
冷静、というより無邪気さを装って尋ねた。
「ええ、でもちょうど八年前、突然死んでしまったの」
タロは、俺が死んだ年に死んだらしかった。
息子の死、愛犬の死が相次いた八年前、両親たちにとって相当辛かっただろうなと思う。両親は俺を愛してくれた。そして、お袋は愛犬クロをかなり可愛がっていた。黙り込んでしまったお袋の顔を見ることが出来ず、ただタロを撫でていた。タロがゆっくりと尻尾を振った。どこか、クロに似ているような気がした。俺がなでるといつだってゆっくりと尻尾を振ってたっけ…。
「不思議ね」
ふと、黙っていたお袋が呟くように言う。
「タロ、警戒心が強いはずなのに、全然鳴かないわ」
「そうなの?」
犬にめちゃくちゃ好まれるタイプでもないので、懐きやすい犬なんだと思ったのだが、どうやら違うらしい。
「タロに会ったことがない懐かしい友達が来るとね、吠えるのよ。泥棒にも吠えてくれるから助かってるんだけどね…それに」
お袋も隣に並んで座り込み、タロの背中を撫でた。タロは激しく尻尾を振る。
「何か、クロと似てる気がするのよね」
その揺れる尻尾を見ながら、少し心がざわつきはじめていた。
キッチンで親父が釣ってきたらしい魚を焼いていた。昔から魚についてだけは自分で料理するのは変わっていないらしかった。
「アジ?」
「ああ」
親父は魚から目を離し俺に笑いかけた。
「アジときたら?」
「アジフライ!」
「だな」
これは俺にとって来たよ、という挨拶でもあった。
「名前、何て言うんだっけな」
「仁だよ」
「ほお」
聞いておきながら、あまり興味のなさそうな声だ。
明るい祖父を演じようとしているようだが、さすが元々寡黙な人だっただけあってその後の会話は続かなかった。そういうところは変わっていないのだと分かって嬉しく思った。
「…遊びに行って来ていいんだぞ?」
ただそのうち、沈黙に居たたまれなくなったのか、親父は俺を追い出しにかかった。だが、俺が立ち去ろうとすると親父は俺を呼び止めた。
「今度は一人で来なさい」
何をしたいのか分からないが、次は一人で、とのお達しだった。
俺は素直に頷いておいた。
昼になり、俺たちはそれぞれ食卓に向かった。
咲良は相変わらずの上機嫌だ。親父やお袋に話しかけ、笑いを生んでいた。咲良の明るさがお袋や親父、それに由利たちを救ったのかもしれないとふと思った。
大希も咲良ほどではないが楽しそうにしている。何をしていたのか結局分からなかったものの、大希なりに楽しんだようだ。
由利も楽しそうに笑っていた。何だろう、それこそ実家に帰って来たような顔をしている。
アジフライは懐かしい味で、たまらなく美味しかった。俺の写真の前にも置かれていた。写真立ては遺影のようで、遺影ではないような何とも言えないかのように置かれていた。
俺の分だし食べたいなと内心思ったが、四歳の胃には入りそうになかった。
そしてそのアジフライは猫に食べられるからとお袋が食べた。何となくアジフライの時はいつも用意しちゃうのよ、と笑うお袋を由利が悲しそうな笑みを浮かべながら聞いていたのが見えた。帰ってこればいいのにね、と言いながら、そのアジフライは無事お袋の少し肥え始めたおなかに入っていった。
夕暮れまで遊んだ後、家に帰った。