第37話 口論
※このエピソードには暴力表現を含めます。
俺は返ってくる答えを待った。自分としては、なかなかいいところを突いたと思っている。ここからまた、仕掛けていく番だ。
「支離破滅か? それは元は他人だった俺らだから、関係だって変わりうるだろう? 血のつながりのあるお前ら家族と違って、離れることなんて容易いことさ。ま、その父親ってやつはよくわからねえけど」
そいつは肩をすくめ、鼻で笑う。つまり親子などの家族の関係は永遠、友達や恋人の関係は永遠ではないと言いたいのだろう。確かにそうだ、一般的な問題ならば……。
「……ああ、そうだろうさ。だがな、妊娠というのは大問題なんだ。ほかの相談なんかと比べ物にならないほどのな。今まで咲良がしてきた相談は大したことないとは言えないが、お前には関係ないことは言えるだろう。だが妊娠というのは咲良だけじゃない、お前だって大いに関係あるんだぞ。それを分かって、そんなことを言っているのか?」
本当はそんな責任を簡単に放棄しようとするんじゃねぇ! とでも言ってやりたい。だがそれより先にこの事の重大さってやつをわからせてやらなければと思った。今回は同意の上だが、妊娠という行為は女は基本受け身だ。男は言い方は悪いが、植え付けるだけで終わりだ。
しかし女はさらにそこからお腹の中で育てていくことになって生活に負担がかかってくることが増えるし、常にどうすればいいか考えてしまうだろう。心も体も腹の子から離れられることができない。逃げたくて、おろすという行為を選んだとしても、きっと心からその行為を悔やむ気持ちは消えないだろう。
おろすということは、生まれてくるはずの命を殺すということ、人殺しをしたなんて自責の念が生まれかねない。
そんなわけで女はなかなか逃げられないが、男はそのまま逃げることができる。俺の子ではないと、俺は育てられないと、言ってしまえば。しかし、遺伝子を継ぐ子どもという存在である以上、今後も望めば男に責任追求などができる。このお腹の赤ん坊の存在が今後の咲良だけでなく男の人生を縛り付けうるということに、この馬鹿な男は気づいているだろうか。
「そんなこと言われなくたってわかってるよ、俺はその話を相談として聞いて、自分ごととしても考えて、答えを出した。その腹の子をおろせとな。おろせば、俺の人生を縛るもの……お互い人生を縛るものはなくなる。俺らの関係のように、生活が元通りに戻るだけだ。なかなかいい考えだろ? だが、今まで通り言うことを聞けばよかったのに、聞かずに頑固でいるんだ。悪いのは頑固でいる咲良だろう」
しかし、そんなことをその男は言って退ける。ふざけんな、どういう性根してやがる。怒りがさらに込み上げてくる。
「そういうことじゃねぇ!」
声を荒げたのは仕方のないことだ。それくらい怒っているのだ。まだこれでも抑えてる方だ。胸の奥で心臓が跳ね、手のひらに汗がにじんだ。背筋がぞくりと冷たくなる。まだこれでも抑えている方だ。
「咲良は、なぜおろさないか知ってるか? 子どもを産みたいからだ! その気持ちを尊重してやりたいとは思わないのか!」
「……あ? お前は、一方的に娘の意思を尊重しろってか? 子どもも生んだことのない女の? それだと俺の気持ちが尊重されてないじゃないか。責任を取らされることになるであろう俺の意思はどこに行った」
「あぁ? 何言ってんだお前、お前の過失だろうが。なんでお前は当人である母親、咲良の意思を尊重しないんだ」
その言葉で一瞬そいつの表情が固まった。その隙に俺は胸ぐらを掴みたい気持ちに襲われるが、必死に抑える。抑えてるのは犯罪としてこいつにアドバンテージをあげないためだ。決してこいつを傷つけないためではない。ややこしい時代になったものだ。
胸ぐらを掴みたいのを我慢している手が震えているのを、感じていた。
「……それは、ただ、こいつが夢見てるだけだろ、簡単に育てるなんて言ってよ、これからの人生を容易く決めやがって、夢見ることなんか、簡単なんだよ」
「何お前、他人事のように言ってんだよ。お前が失敗したんだろうが、だからここまでの問題になっている。お前はすでにその責任がある。それがわからないのか?」
「だからわかってるって言ってるだろうが」
「その中でお前はお前の意思だけを突き通そうとするのか」
「そうだ、俺はこれが総合的に考えて正解だと思ったからだ。赤ん坊だって望まれない生まれよりはいない方がいい。なのに、そんな中でお前さんの娘の意見だけを聞くのは、おかしいだろう?」
「そういうことを言ってるんじゃない、もう少し話し合えと言ったんだ。お互いの最
善解はおろすほかにもあるだろう?」
「そんなの無駄だ。咲良はどうせ悩むんだ、だから俺が話し合いじゃなくていつも通り相談で、正しい答えを出してやればいいんだよ。現にその時も相談してきたんだから」
そういうことではない、こいつはただ言い訳をしているだけだ。今まで奉仕してきたことを完全に仇として言い訳しているだけだ。それがわかっていても、なぜそう言っているのかわからない。
それに、咲良はきっとその時だけは相談のために話したわけではないはずだ。きっと、こんなやつでも父親になってほしいと願ったのだろう。お腹の中の子にとっては血の繋がった唯一の父親であるから。
「俺はっ……お前を許さない……っ。どんなわけがあっても、お前を許さねぇ。俺は、親として、お前を見過ごせない……」
そいつはありえないと言わんばかりの、泳いだ目でこちらを見ていた。その顔が余計に腹が立つ。腹立ちを止められない。
「お前は、子どもを妊娠したってことがどれだけ大変かわからないだろうな! とんでもなく世界を知らないからな! 俺は知ってる! ずっと見てきたからな! お前なんかかが咲良の旦那なんてこちらから願い下げだ! 馬鹿野郎! お前なんか、お前なんか……!」
言うべきではない、先ほどからそう大希が、仁が警告していたのを知っていた。だけど、噴き出した感情は止められなかった。これだけは言っておかなくては気が済まない。我慢していたそれが口から飛び出そうになるその時。
「仁くん!!」
由利の大声がした。
思わずそちらに向き直る。そこには案の定、由利の姿があった。
一瞬で背筋が冷えるような感覚がした。
終わった。
俺の頭は真っ白になって、たちまち身動きすら、呼吸すらできなくなってしまったのだった。
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