第32話 もう一人の親父
船が出る間も、出てからも、俺は早くつかないかと船をせかしてやりたい気持ちになった。これでも、いつもより速いはずなのに。
「おっちゃん、ちょっと急ぎなんだ。姉ちゃんがピンチでさ」
そう言うとおっちゃんはわかった、とだけ言って少し速度を上げてくれている。法的速度ぎりぎりで、できるだけ速く。
「向かう先は大阪でいいんだな」
「そう、姉ちゃんがいるのは大阪だから」
このままだと、集合時間より早くつくだろう。だけど、俺は不安だった。
この間になんかあったりしないだろうか、などといった不安が押し寄せてきて、止まらなかった。
「おい、ボウズ……いや、慎二よ。落ち着け。ちゃんと早く安全に届けてやっからよ」
だから、そう言うおっちゃんの言葉に思わず驚いて勢いよくおっちゃんの方を見た。
「な……」
「驚くことはねぇ。さっきの会話はすでに聞いてんだ、慎二」
しかしおっちゃんはいつもと変わらず前を見てどんと構えていた。おっちゃんは海でのもう一人の父だっただけある、よく俺のことを知っていた。
「いい親になったもんだな。おやっさんだって喜ぶだろう」
「……俺なんか、まだまださ。こいつにもちゃんとしたこと教えられなかったんだ」
俺は諦めて慎二の体で返す。おっちゃんは一瞬俺の方を見てにやりと笑う。
「馬鹿言うなっちゅうんだ。ここでこんな時間に出るなんて、相当急いで出てきたに違いねえ。ダイヤ変更になってても気づかず待ち続けたお前さんには感服するばかりだ」
……ダイヤ変更?俺は耳を疑う。
「知らなかったのかお前。やっぱ相当焦ってたんだな」
そしてその感情はすぐにおっちゃんに読み取られてしまう。
「俺は嫌いじゃあねえ。昔から変わんねえ、家庭のためにがむしゃらに何も考えず駆けつけるお前がな。そのボウズの方も嫌いじゃあないだろ、一緒にいる父ちゃんのこと」
「……いつの話してんだよ」
「そうですね、僕はとても好きです。こんな素敵なお父さんと一緒にいれて幸せです」
突然主導権を奪われ、とんでもなく恥ずかしいことを言われる。
「っはあ。おもしれえなほんと」
おっちゃんは驚いた様子だがびっくりしているというよりは面白いものをみたといった感じである。
「…………」
すぐに主導権を奪い返すが、何を言ったらいいかわからなかった。
「知らねえボウズには教えておいてやるよ。父さんは息子も娘も産まれる時そわそわして手がつかねえって言うもんで、仕事休んだんだ。そっからしばらくお休みいただきます~ってもうべったりさ。忙しい時期だったが、そんなの見てたら俺らは有給休暇ってやつをあげざるを得ないだろ?」
「今は俺なんだが」
俺はこれ以上言われるのも恥ずかしい気がして、話を遮ろうとする。
「どうせ聞こえてんだろう? 話したって問題ないじゃないか。それでな……」
おっちゃんはそれでも話をやめようとしない。
「遠くに漁に出る度に写真を見てはにやにやしたり、海に連れてきてはにこにこ見てる大希君をもうそれは幸せそうに見たりな……」
「おっちゃん、そこまでに……」
「わあ、やっぱ父さんはいい父さんだったんですね」
「おぅ、そうだ」
油断するとすぐにまた主導権を奪われる。恥ずかしくて仕方ない。穴に入ってしまいたい。今は海の上なので逃げられないのが悔やまれる。
「だからな、ボウズ、全部終わったら父さんにはとびっきりいい景色を見せてやれ。こいつは海しか見たことねえ、街なんかほとんど知らねえのさ。港くらいしか行ったことがないからな」
「うん」
もう俺は諦めた。どうにでもなれと思うことにした。でもとりあえず主導権は奪っておく。
「ところで、向かった先には大希君がいんのか」
おっちゃんはからかいに満足したか、話を変えてくれた。
「ああ、ちょうど向こうに大希がいたからな。迎えに来てもらってる」
「大希君も大きくなってなあ。立派に大学で働いてるそうじゃねえか」
「ああ……」
おっちゃんも大希の成長した姿を知っている。すぐに漁師にならず大学に通うと決めたときも、漁師ではなく大学で研究などをすると決めた時も、大希はおっちゃんに欠かさず報告していた。
「ほんと、いい息子たちだな」
「咲良もいい子だぞ」
「そりゃあそうだ。咲良ちゃんはとんでもねえいい子だ。まだ旦那が決まっとらんなら紹介してやりてえくらいだ」
おっちゃんは何も知らない。だからこそ、そう明るく言ってくれる。
「……ああ。もし必要なら、頼んでいいか」
俺も極めて明るくそう返す。
「任せとけ。とんでもねえほどいいやつを用意してやる。たとえどんな状況でもな」
おっちゃんはそう言うとたばこをふかせる。その口ぶりからして、もしかして先ほどの電話ですべてを把握しているのかもしれなかった。
俺はしばらく黙る。
「大希君だって嫁探してやらんでもないが、あいつは向こうに住むんだろうな」
おっちゃんは俺を一瞥してから、そう言った。
「かもしれねえな」
確かにそれも大事な話だ。ついでに聞いておかないこともない。
「まあ、最終的には本人が決めることだから、俺らは口を挟むべきじゃねえことなんだが」
そう言ったおっちゃんはまたこちらを見て笑う。
「仁君はお前の妹の娘の緋夏ちゃんだろうな」
えっ、どうしてなんて仁が驚いている。
「だろうな」
それを無視して俺はそう返す。先ほどのお返しだ。
「にしても、すげえ偶然だな」
「ほんとな。まさか妹の娘とはな」
仁は中で暴れている。それを俺は笑いながら抑え込んでいた。




