第24話 日進月歩
俺の話を聞いた仁がどう思ったかは知らない。多分、仁にとって何の役にも立たない、そんな話だっただろう。
人それぞれ状況も全く異なる、恋愛の形など一つではないのだから。
仁はあれから黙ったきり、眠ってしまった。だから俺はただ見守るしかできない。
俺はこれからどう進むのか、全く知らない。人生というものは元からそういうものだが。
だが、なんとなく気になっている自分がいた。
なぜかはわからないが。
「……緋夏ちゃん……?緋夏……?」
そう小さく呟いた仁の前に緋夏はいない。どうやらどう呼ぼうか悩んでいるらしい。あまりにもなれなれしくないと苗字はやめたのだろうか。
そんなわけで早速仁は話しかけようと動き出した。
卒業まで、残り僅か。
高校までに二人の距離は離れかねない。
要するに、卒業までに少しでも距離を縮めなければならないのだった。
せめて話してみろ、と俺は言った。
これは助言、自分のポリシーから反してしまう行為だが、これくらいいいだろう。
俺は全力で応援することにした。
「……緋夏ちゃん……緋夏……」
だが、なかなか一歩が進めない。
そんな時に大チャンスがやってきているのに、密かに俺は気づいていた。
「やっほ」
少し照れくさそうに現れた緋夏は、仁のシャーペンを持っていた。
仁の心拍数が高くなり、緊張しだしたのがわかる。
「これ、仁……のでしょ。さっき落としてたみたいよ」
「あ、ありがとう」
そしてまだ離れずにいる緋夏、そしてもじもじしている仁。
『なんだなんだと友人たちが群がってくる前に、何か話しておけよ』
思わずそう話しかけてしまっていた。これ以上助言しないと決めていたのに。
『……うん』
それでもやはり話すべき内容が決まらないらしい。多分、今は助言が欲しいと小鹿のような眼をしているに違いない。その姿を見ることはできないが。
仁の手元の問題集を見る。
『……ほら、勉強について聞いてみたらいいんじゃないか』
『勉強について聞いたら暗い話題になっちゃうよ』
『……そうか』
確かに思った以上に会話は難しい。当時自分も迷ったに違いない。
「緋夏ぁ、どこにいるの?」
そんなときに少し遠くにいた緋夏の友人が緋夏を呼ぶ。
「はあい」
しまった……そう思っていると、緋夏がこっちを見て、
「……じゃあ、勉強頑張って」
不意打ちの言葉を言った。
「う、うん」
仁の気持ちが高上がりしているのがわかった。それだけで天に舞い上がってしまいそうだ。
俺は少し呆れながらも、よかったな、と声をかけた。
ちなみに、一部始終を見ていたらしい友人にあとでどうだったんだよ、とつつかれたのはあとの話である。
そして、緋夏も同じようにつつかれていたのも、またまた別の話である。
それをきっかけに近づいて行った2人。
緋夏も仁も次第に2人きりになればという条件がつくものの親しげに話しかけるようになり、卒業式には普通の友人関係を築いているように周りからは見えるようになった。
だが、緋夏の秘めているものまではわからなかったようだ。
「ねぇ、仁」
卒業式、2人きりになった教室で、窓から外を見ていた緋夏が話しかけてきた。仁の鼓動が少し早まる。
「な、なに?」
ただ、話は仁の期待しているようなものではなかった。
「みっちゃん……長尾さん、知ってるよね」
長尾さん……といえば、この学年で早くも自殺で命を落とした女子のことだ。俺、というか仁はあまり関わっていないが仁はクラスメイトをよく覚えていた。
「うん」
多分、ここで話を出してくる以上、彼女に緋夏はある思いを持っているということだろう。仁は何も知らない。だけど、緋夏はおそらく話のなにかを、もしくは全てを知っている。
緋夏は悲しげな目をしていた。
「知ってた?長尾さんって、身体は女だけど、心は男で……そのことでずっと悩んでたんだって」
自己と身体の不一致。今の世の中でも話しづらいし、話したところで偏見を向けられることもある。
——仁だって、他人に理解されにくい生き方をしている。
そう思った瞬間、俺はなんと言ったらいいかわからなくなった。他人事のようで他人事ではないのだった。
「知らなかったよね。わたし、それ知ったのは……みっちゃんが亡くなった後だった。生きてるうちに気づけなかった」
涙声の緋夏は、その後悔を何度も胸にしまってきたに違いない。
俺は胸の奥が少しざわつくのを感じた。
——もし仁も、俺と一緒に抱えている秘密を誰にも話さなかったら、きっとこうやって悔やむことになるのだろう。
「ねぇ、仁くん。君は何も隠してないよね。……私の前からいなくならないよね」
答えは胸の中で絡まり、言葉にならなかった。
だけど。
「大丈夫だよ。僕は君の前から消えたりしない」
そう言ったのだった。力強い声だった。
「だから、僕を信じて」
安心させるような笑顔を浮かべているのだろう。緋夏は涙で目を濡らしながらも笑った。その言葉は強くて暖かかった。――だけど、その言葉を胸に刻んだ瞬間、仁の胸の奥で何かが静かに締め付けられるような気配があった。まだ何かは分からない。けれど、いつかこの“消えない約束”が彼自身を縛る鎖になるのかもしれない、という薄い予感があった。
「そっか」
絶妙な距離感の中、抱き合うこともなく二人は空を見上げた。
命を絶ったものたちが救われる世界があったなら、この二人はこんなふうにして距離を縮められただろうか。信じ合えるために話をしただろうか。
まだまだ話はしないけれど、もし話す時が来たら受け入れてもらえたらいいなと思う。
そんな日が来るかなんて、俺にも知りようがないが。
二人の先に、これからも幸あれ。
そして、その時俺は……。




