生きてるからこそ
ランドール様は私の全てだった。
生きていれば必ず別れがくる。
出会うと言う事は同時に別れを意味していて、出会ってしまったからには必ず別れはやってくるから。
どんな別れにしろそれは必然的にやってくる。
だから。
ランドールさまの死を受け入れなくちゃいけない。
だけど、私の心とは裏腹に深夜になるとランドール様と初めて会話した厨房に向いてしまう。
保存庫から材料を取り出し料理を始める。
私はいつまでこうやってここにいるだろう?
前を向かなきゃ。
昼間サンティエさまに言われた言葉を思い出した。
サンティエさまにあんな言葉を言わせてしまったのは自分にも原因があるのかもしれない。
コツンコツン、暗闇に足音が響く。
きっとサンティエさまだろう。
食器棚のガラスに映るシルバーグレイの影は私と目が合うと少しバツが悪そうに視線をずらした。
「何かお夜食作りましょうか?」
そう聞くと眉を潜め、耳をすまさないと聞こえないほどの小さな答えが聞こえた。
「……頼む」
「畏まりました」
作る物は決まってる。サンティエさまが一番好きな卵料理…。
卵を取ろうと伸ばした手にサンティエさまの手が重なった。
「今夜は違うのにして欲しい」
「何をご所望ですか?」
「………リゾットを作ってもらいたい」
「え?」
「そんなに驚くなよ、オレがリゾットを食べたいってそんなに可笑しいか?」
クスっと微笑うサンティエさまの空気が柔らかい事に気が付いた。
ああ、離宮にいたあの頃のサンティエさまの笑顔だ。
「いえ、ただ少し驚いただけです、すぐに作りますね」
ランドールさまとの思い出のリゾット。
何回こうして作った事だろう。
もっとたくさん食べて欲しかった。
「どうぞ」
器に盛ったリゾットをサンティエさま目の前に置くと、サンティエさまはカトラリーを手に取り一口啜った。
「美味い」
零れ落ちそうな笑顔はあの時のランドールさまの笑顔と瓜二つで、記憶が戻ってゆく。
「リリアはよく泣くなー」
「申し訳ありません」
霞んだ視線の先にはパクパクとリゾットを頬張るサンティエさまがいる。
そうか…ランドールさまは亡くなったんだ。
こんな風にリゾットを召し上がっていただく事は金輪際無いのだ。
「美味かった…ありがとう、ごちそうさま」
ナプキンで口元を拭き取り立ち上がると、食器を洗い場へと運び、私を見た。
「…昼間は悪かった。言い過ぎた」
「あ…いえ、私の方こそ…」
ポリポリと形のいい顎をかきながら続けた。
気まずい空気は一瞬で消える。
そうだ、サンティエさまは不器用だけど、いつも優しかった。
「ずっと食べたかったんだ、リリアの作ったリゾットを」
「…?」
「深夜の厨房に兄上と二人っきりのところを誰にも見られていないと思ってた?」
「え……」
「鈍感だなー、リリアは。オレはずっと前からリリアの事が好きだった。そうだ、ランドールより先にお前の事が好きだった」
言葉が出てこない。この方はいつも自分に正直で真っ直ぐに自分をぶつけてくる。
「…」
「そして、今でもお前の事が大好きだ」
今でも…。
ズルいな、そのワード。
今でもって言えるのは生きてるからこそ。
「あ…。だからと言ってもう無理強いはしない。ただ側にいて欲しい、これから先もずっと」
そして、今の私が言える事は。
「…私には他に行くところなんてありませんよ、サンティエさま」
ここに来るのは今日を最後にしよう。
立ち上がる時軽い目眩を感じよろめいた。
前にも感じた事のある既視感。
頭が痛い。
月明かりに反射したグラスに自分の姿が映る。
違う、私じゃない。
私によく似ているが全くの別人。
淡い紺色の瞳が諭すように私を見て、何か言っている。
『う…し…ろ』
そう言っている!
振り返ると窓の外で動く人影が見えた。
私と目が合うと不適な笑みを見せた。
何の感情も無い冷たい笑顔に背筋がぞくぞくしてきた。
深い緑色の瞳が一瞬知らない人間に見えた。
彼のこんな顔初めて見た。
僅かな月明かりの中、遠ざかって行く見覚えのある人影。
ディーノが何でこんなところに…?
あれは…何で…、こんなところに?
いや、こんな時間にここにいるなんて…。
酷くなる頭の痛みと小さく芽生えた猜疑心の中私は意識を失った。




