名前
『何だー、今の奴?普通初対面の人間にあんな事聞くか?』
今の時間を生きていないランドールさまでもあの質問は無かったんだと思うとちょっと面白かった。
「何だったんだろうね?不思議な人だった」
でも、前に一度どこかで見た事がある気がする。
余り人の顔を覚えるのが得意じゃない上にメガネにマスクをしてる相手じゃ、どこかで見たぐらいの記憶を探ろうとしても無理だと分かってはいるが。
「あ…」
ベンチの横に始めは無かったはずの茶色のパスケースが落ちていた。
「きっとあの人のだ!間に合うかな?」
それを拾い上げ、あの人の歩いて行った先へ走った。
何だか今日は走ってばかりだな。
あ、いた!良かった間に合った!
駅中に入ろうとしていた彼の服の裾を引っ張ると、きょとんと驚いたように私の事を見下ろした。
「えっ?どうしたんですか?」
「あ、あの、落とし物です!」
「あ、ああ、気付かず落としてしまいました、ありがとうございます!これが無いと電車乗れませんでしたね」
良かったーと手を胸に当て、清々しい笑顔を見せてくれた。
その笑顔に私はキュンとなってしまった。
あ…、この人いい人だ。
笑顔が素敵な人に悪い人はいないと言うのが私の持論。
「すみません、私のせいでこんなに汗をかかせてしまい…もしお時間があればそこでお茶を奢らせていただけませんか?」
「え?え?そんな事大丈夫ですよ!お気になさらずに」
明らかに狼狽した私に、彼は片手を口元に当てクスッと微笑み続けた。
「実は電車を乗り過ごしてしまい、次の電車まで大分時間が開いてしまったので、話し相手になっていただけると嬉しいのですが…、ご迷惑でしたね…」
しゅんと下を俯く所作が遊ぶのを拒否された仔犬のようで。
ずるい、そんな表情されたら…。
「全然迷惑じゃないです!むしろ嬉しいです!」
断り切れる訳ないじゃない。
「良かった。ありがとうございます!」
何この会話?お礼を言うのは私の方の筈なのに。
私より確実に年上だとは思うがあどけない表情のせいで気を負わずに話す事ができた。
「え?すごい、ゲーム会社で働いてるんですか?」
駅の中にあるコーヒーショップのカウンター席に座り、他愛ない会話をして後、彼の仕事の話を聞いて、つい声を張り上げてしまった。
「はい。そんな大したことじゃないですよ、ただ自分の発想を具現化してるだけで…」
「大したことなくないです!すごい、どんなゲーム作ってるんですか?」
「うーん、そうですね、主に若いコが喜びそうなゲームに力を入れてますよー」
「え?すごい、もしかしたら私も遊んだ事のあるゲームも…えっと…まだお名前聞いて無かった…」
「ボク?」
彼は小首を傾けてから、んーと眉を潜めた。
「あ!そうですよね、情報漏洩とか言われたらたまったモノじゃないですよね!私は絶対に言いませんが、初対面の人間の言う事なんて信じられないですよね」
とは言え、初対面の人に『貴方』とか言うのも違う気がするし、まして『キミ』だなんて失礼極まりない。
「うーん」
何か特徴は無いだろうか?
「ん?何だろう?この香り?」
「え?」
「すんすん…」
彼から漂う爽やかで優しい香り…。よく、うちの入浴剤に使う…。
「…ラベンダー…これラベンダーの香りだ!」
「あ、ああ、きっとボクの柔軟剤の香りですね」
「ラベンダーさんだ」
「え?」
「あ…ごめんなさい、調子にのりました」
恥ずかしくなり赤くなった頬を手で冷ましてると、
「そうですね、ラベンダー、ボク大好きです」
彼はまたあの邪気の無い笑顔を見せた。




