まだ思い出さないの?
『今はお昼ご飯中ー?オレにも一口ちょうだい』
「え?今日は慧の好きなちーずウィンナー持ってきてないよー」
『えー?何でー?昨日は作ってきてくれたじゃん』
傍目から聞いていれば付き合って間もないカップルの他愛ない会話でとても微笑ましい現場だと思うのだが、そこに直面している私は千代子と姿の無い相手とのやり取りをポカンと見ていた。
昼休み、中庭でパックのオレンジジュースを一気に口の中に含み喉元をごくんと動かした千代子の目線の先にいるのは、彼氏とか言う世間一般の血の通ったものではなく、今の世の中ほとんどの人が常に離さず所持しているものの、無機質で本来操作する者がいなければただ何もできない機械。
そう、スマホである。
千代子はスマホ画面に写っている彼設定の慧くんの体をパシパシとタッチする度に、予め用意されている言葉に返事をして、会話を成り立たせているに過ぎないのだ。
予め用意されている言葉…、いや、分かってる分かっているのに推しからの言葉と言うだけでテンションが上がるらしい。
朝は朝らしく昼は昼らしく、夜は夜らしく言葉が分けられていてよくできている。
1日疲れて家に帰ってきた時に、
『お疲れ様、今日も1日頑張ったね』
なんて推しから言われた日には気力も体力も回復してしまう。
そして、更に好感度が上がっていくとレアな言葉が出てきて、その言葉が聞きたいためにゲームを開いてしまう。
とは言え、千代子も私もソシャゲと現実世界の線引きは決めている無課金ユーザーではあるが。
それでも…。
この千代子のはまりようはやばい気がする。
「見てみて、慧くんが私のプレゼントした洋服喜んでくれてる!」
画面の向こう側で、白地に黒の縦ラインの入ったブラウスを着た慧くんが頬を赤らめて、『ありがとう』と言っていた。
「ねぇ、千代子、それって…」
「ん?」
まさかと思っていた現実がそこまできていた。
「まさか、千代子…、課金した?」
「うん!」
即答かよ。
「えーーーー!!!課金したのー?」
まさかの課金ユーザーに変わってしまった。
「ねー、さっきからうるさいんだけどぉ」
木陰で陽を避けて昼寝をしていた純が、むくっと起き上がり、目を擦りながら迷惑そうに言ってきた。
「あ、ごめん、ごめん」
「よくそんな訳の分からないゲームにキャーキャー言えるね、どんだけ暇なの?」
「心の癒し癒し、あ、もう少しで昼休み終わっちゃう、トイレ行きたいから先に教室戻ってるね」
スカートの裾を気にしながら立ち上がると千代子はさっさと行ってしまった。
「お前もまだそのゲーム続けてるの?」
「まぁ…私の場合ゲームになってないけど…」
「そ…」
純は腰を屈め私の目線に目を合わせすーっと息を吸った。
意外にも長い睫毛が瞬きをする度に揺れている。
こんな近くで純を見る事無かったから、少しドキドキしてしまう。
「早く戻らないと…授業始まる…」
向きを変えようとした私の肩をぎゅっと掴み、
「で、まだ何も思い出さないの?」
予想もしなかった純の言葉とチャイムの音が重なった。




