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桜子さんの奥様劇場

葉浮かび、立ち葉昇りし桃色の花咲く

作者: 秋の桜子

 濃ければ濃い程良いらしい。それは床の泥。

 泥が濃ければ水は澱んで見えるのは、気のせいだろうか。水は海も川も湖も沼も池も井戸も、透明。底の色、空の色を移して染まっている。


 睡蓮。濃い泥と深い澱みの中で育まれる。葉は全て浮いている。水面に丸くまくそれぞれが、べったりと、はりついている。花も慎ましやかに、上に上にと背を伸ばさず、水近くに浮き咲く見える。


 蓮、濃い泥と深い澱みの中で育まれる、浮き葉が生まれ、やがてや天を求める様に、上に上にと、茎をすっくすっくと伸ばし葉を開く立ち葉、賑々しく、蓮華の花も空高く顔を魅せるように花をさかせる。


 その花、天を目指し伸びてきた葉は、水を弾く。ロータス効果と言うそうだ。雨にも朝露夜露にも濡れぬ葉、水は水晶の珠に変え、ころころコロコロと転がる。


 くるくると葉の上で踊り、中心へと向かい、茎と通じる穴から、蓮の体内へと吸い込まれる。清水は清らなままで、泥の底へと向かうのだろうか。水面に落ちた水は、塵芥と交じるのに。


 その性質を利用して、蓮酒なるものがある。葉の上に、少しばかり注いだ清酒を、茎に口当て強く吸うように飲む、夏の酒。



 その花、蕾開けば四日で終わる。一日目は硬い蕾を少しばかり口を、ほのぼのと白む空の時に開くのみ。御仏の花は一度にしどけなく開くことはない。昼には閉じる花。


 二日目に半開きとなり、慎ましくも見頃となる。昼には再びしっかりと閉じる。香り高い蓮の花、馥郁とした香りが広がる時。


 その性質を利用して、ほんの一握りの茶葉を、半開きの花の中に入れ置き、香りを移し味わう楽しみが出来るのは、二日目から、三日目にかけての事。


 なぜなら三日目には、満開となり大きく咲ききった花は昼には半開きで時を過ごすから。花の中の秘事は守られることは無い。甘やかな香りは虫を呼び集める。茶葉に混ざるやもしれない。


 そして四日目、最後は終日花開き……夕暮れと共に潔く、桃色の花弁を落として、花の時は終える。


 光差さぬ暗闇の、ぬるりとした泥の底から上がり、薄すみれ色の空、小鳥が朝の冴えずりを、ようようし始める頃開く花。太陽の光の下では口を閉じ、時終える時にしどけない姿を晒す花。池見草とも言う。



 蓮の話をひとつ。ふたつ。ばかり……。



 都に住むやんごとない身分の男は、仲間内では池見草(いけみくさ)と呼ばれていた。桃色のその花をたいそう愛していたからだ。


 女の元に通っても、花咲く季節には、いても立ってもいられず、他の男よりすこうしばかり早い闇の中、臥所から、ごうそごうそと這い出すと、中途半端な時に何を?怪訝に思う女の事など知らぬ顔で、バタバタと忙しげに懐紙を袂に突っ込み、烏帽子は、あれはどこだと闇がの中、身支度を整え別れをすます。


 余韻も情緒もへったくれも無い。既に女の心には紅蓮の焔が点火をし牙と角がちらちら見え隠れしている。背を向け知らぬ顔をする女に、気を使ってか、また来るよと一応、声をかける某。



 または無い、二度と来るなと思う女の背中。



 牛車を急がせ帰ると、そうそうに湯殿を使い、花の為に身なりを整え、庭に出て池に少しばかり植え込んだ、蓮が花開くのを池の畔ので立待ち、存分に愛でる。後朝の文の事など忘れ果ててる阿呆。


 心ゆくまで眺め、日が高く昇った頃、ようよう気が付き書き届ける頃には、女は既に般若に化していることを、彼は分かっていない……。



 そんな彼が、利便の良い住まいを引き払い、ある伝から手に入れた屋敷に引っ越しをした。市に遠く、暮らすのには少々不便なそこには、木々が生い茂る中に、大きな蓮池があったからだ。


 酔狂な落人気取りが住んでいたというその屋敷。以前は人魂が池の葉の上を、こうこうと飛び回っていたとかいないとか。



 嫌だと言う家令や女房、下人達の声を聞き入れず、荒れ果てていた庭を少しばかり手入れをし、住めるようにだけ、体裁を整え取り急ぎ移ったのは、立ち葉がのきのきと、青空に伸び上がっている初夏。


 深く濃い色の夏草が池の畔に、群れる様に伸びている。大振りな立ち葉、大小様々な浮き葉が茂る池。住み始めてから太い茎の蕾が、あちらこちらにすっくすっくと、伸びてきた時には、某は手を叩いて喜んだ。


 女の元にも行かず、管弦の誘いも断り、庭に近い部屋で夜がふけるのを、ジリジリとしつつ待つ。やがて闇が幾分薄らいで来た頃、たまらず庭へと降り蓮池へと向かう。


 開く時には音が聴こえるかの様な、大きな大きな蕾が幾つもあった。一日目はちろりと口を開く……。それだけ。だが彼は花開くのをただ独り、うきうきと弾みつつ、思う存分愛でている。


 振り売りが来ない外れの屋敷。買い出しに行くのも、ちょっとこれこれ買ってこいと、子供の使いができぬ場所。仕える者達は、花が終われば憎らしい蓮の根を、掘って食ってやろうかと、思っている。


 勿論、そんな事は許されない。


 蓮華のそれを殊の外大切に思う某は、池に塵を入れぬ様、手や物をそこで洗わぬ様、不浄を近づけるな、と下人達にきつく言い置いたのは当然な事。


 仕える主の命は、聞かねばならぬのが彼等の努め。


 落ち着いたところで庭の手入れが始まった。春夏は、周囲の草を刈れ、生い茂る庭木の落ち葉が池に入らぬようにしろ。


 畔に立つ見事な紅葉は、それを聴き肝を冷やしたに違いない。小さな赤や黄色を、はらはらと晩秋になると、間際の池に落としていたからだ。 


 案の定色づいた後、あの木は要らぬ、勝手に葉を落とすと文句を言い立て嫌った某。しかし切り倒すのにも銭がいる。些か手持ちが不如意だっ為、見事な枝ぶりの紅葉の命は永らえた。


 しかし、木の葉は底に溜まると水が汚れると、木枯らし吹く中、小船を出しそれをすくい集める事を指図をする。


 水を綺麗に保ち、汚れなき場を作り上げて行く。蓮が眠る冬場には、蓮の根を傷めぬ様にと、注文をつけた上に塵芥を浚う様、下人に命じる某。


「池掃除等冬場には…、蓮のそれを痛めてしまうやもしれませぬ、泥の中で眠っておるのですから、せめて春先にするのがよろしいかと」


 家令が見兼ねて主に進言する始末。そういう事が繰り返し年月は過ぎる。


 年々水は澄んで行く。

 年々蓮は小さくなる。

 男は阿呆と言われてる。


「なぜだろう、何か良くない憑き物が池にあるのか」


 やんごとない身分のお考えは、簡単にそこに行き着く。


 坊主と陰陽師がそれぞれに呼ばれた。護摩を焚き、卦をだすそれぞれ。二人の言う事はこうだ。


「池の底に不穏な物が沈んでおりまする」


 そこで、丁度水ぬるむ頃だったこともあり、水を全て抜き、大掛かりな池浚いを執り行った。泥臭いかと思えばそれほどでもない。植え替えるのだから丁重に、次々に蓮根が掘られ集められた。


「あれ、これなに?へんなかたち……何これ気持ち悪い。蓮根こんなのもあるの?よい……せっ!……う!うわあぁぁぁ!」


 どぶりと泥の中に手を肩まで突っ込み、根を探していた男の子共が、掴み取り出したそれをずっぽっ!と音立て引き抜く様に外に出すと、悲鳴を上げた。


 男の子供の手には、朽ちてかけているが、髑髏のそれがあった。



 濃ければ濃い程良いらしい。それは床の泥。



 その花、蕾開けば四日で終わる。一日目は硬い蕾を少しばかり口を、ほのぼのと白む空の時に開くのみ。御仏の花は一度にしどけなく開くことはない。昼には閉じる花。


 騒然となった。これが花が絶えた元凶なのか、某は供養する様にと家令に申しつけた。



 蓮、濃い泥と深い澱みの中で育まれる、浮き葉が生まれ、やがてや天を求める様に、上に上にと、茎をすっくすっくと伸ばし葉を開く立ち葉、賑々しく、蓮華の花も空高く顔を魅せるように花をさかせる。


 今年の花は……、いや、この先も、もう、見られぬのかもしれない。某は供養の為に寺へと向かう帰りに、境内の小さなまだ浮きばかりの池の側で、深い溜息をついていた。


「どうされたのですか」


 涼しげで甘い声がかかった。見ればいつの間にか、桃色い袿を掲げ、顔を隠した女がいる。濡れた様な黒髪が豊かに背に流れている。緑を重ねた小袿からは、甘やかな香りが立ち上っている。たった今、目の前の蓮池から、精霊が人の(なり)で出てきたと言われても、頷き納得する危うい気配。


「愛する花が……」


 某が話そうとした時。ザワザワと境内の木々を揺らす風。湿気を含み重い。晴れていた空はいつの間にか、黒い綿を重ねた様な重苦しい姿に変わりつつある。


 雨が振りそうですわね、手狭ですがわたくしの屋敷が直ぐそこに……紅が誘う。ここのところ女と切れていた某。くらくらとする。


 いや、おかしい。身なりも良い女が、供も連れずこの様なところで、仮にも寺の境内で、男を誘うのか……。


 理性が常識を話してくる。それに従う、いえ供を待たしております故、と断り去ろうとした時。


 ドォン!雷の一発が鳴り響く。きゃっと女が青ざめ、ふらりと倒れそうになる。


「危ない!」


 某が男としての行動に出たのは当然なること。

 某が男の本能で女に落ちたのは当然なること。


 女は溜息をつく某を見つけて、捉え様としていた。

 女は某のその熱持つ腕の中で、ほくそ笑んでいた。





「どうして溜息等おつきに?」


 声まで芳しい。某はそろりと火照った身体を離すと、問いかける女に話す。


「あ?ああ、屋敷の花が……咲かぬかもしれない」


 忘れかけていた事に驚きつつ、身を寄せてくる女に始終を話した。


「屋敷に来ないか」


 話し終えると口説いていた。初めての事だった。


「花の咲かぬ池がある屋敷等、行きとう御座いませんわ」


 言葉で突き放し、身体は某にやわやわと寄り添う。


「蓮の花が好きなのか?池は整地をさせてある、何とかすれば、また美しく花咲くやもしれん」


 その花、蕾開けば四日で終わる。一日目は硬い蕾を少しばかり口を、ほのぼのと白む空の時に開くのみ。御仏の花は一度にしどけなく開くことはない。昼には閉じる花。


 濃ければ濃い程良いらしい。それは床の泥。


「お綺麗にしすぎたからかもしれませんわね、ほら……蓮の花は穢れた泥の中で育ち、天上に向かい伸びていき、美しく穢のない花を開かすといいますでしょう……、その可愛そうな骸は……糧だったのかもしれませんわね」


 ほほほ、と笑う女。


「花が咲く頃、見に行きますわ、そして……」


 今は遊び、次は……、鴛鴦比翼の契を致しましょう、としどけない姿で話す紅の口。


 二日目に半開きとなり、慎ましくも見頃となる。昼には再びしっかりと閉じる。香り高い蓮の花、馥郁とした香りが広がる。


 三日目には、満開となり大きく咲ききった花は昼には半開きで時を過ごす。花の中の秘事は、守られることは無くなる。


 四日目に満開となり、日中咲き乱れて散る……。





 髑髏を掴んだ男の子供が、こんな所は嫌だ恐いと、泣いて叫んでいた。誰もが扱いに困り果てている。子の親は居ない。以前の住まいの折、門の前に捨てられていた子供だった。


 ……全く、ろくでもない拾いものしてから……、主をよく思わない家令が出ていけ!と声を上げたその時、


 某が救いの手を差し伸べた。


 優しく落ち着く様にと子供に話す。それから家令に、この子は知り合いの屋敷へと連れて行く、心配ない。そう言うと自ら馬に鞍掛け、子を前に乗せると、供を連れずに、ぽくぽくと出かけて行った。



 酔狂な世捨て人気取りが住んでいた屋敷。時折池近くを、こうこうと人魂が飛んでいたとか、いないとか。


 こうこうと、こうこうと……。


 今は某がその屋敷に住んでいる。蓮根を埋め戻し、池の水をはり、しばらくすると。事もあろうに。


 こうこうと、こうこうと……


「アレが供養の、礼を述べに来てくれてるのだろうよ、蛍の大きなのと思えば可愛い」


 飛び交うそれを、某は動じず眺めている。主がガタガタ震えれば屋敷内も恐怖に震えるのだが、おっとり話すので、そんなものかと思う内に、何時しか見えなくなっていった。


 池の手入れは?と聞けば放っておけばいい、と気楽に話す某。仕事が減った事に素直に喜ぶ下人達。


 やがて……夏が過ぎ、紅葉が色づき葉を落とし、雪に覆われ、草が芽吹き伸びていき……繰り返す。池は静かに蓮を養っている。そして……


 再びかつての姿にようようなった頃、某は美しい蓮池がある屋形に、その池から精霊が自ら、プツリと泥に繋がる茎を切り、姿を変え這い出て来たような、艶やかな北の方を迎えたという話。


 ひとつ 終り。


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― 新着の感想 ―
[一言] 平安、ロマン、通人(変人かもしれませんが)、そして、怪奇。 淡々とした文章にきれいに溶け込んいる感があります。
[一言] ふわあ、これまた世界観が美しいですね! ちょっとダークな感じが堪りません!
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