8 厄介な後片付け
たとえば何かをするにして
どんな事であれ予想もしない状態に陥らせてしまう
そんな人が極稀にいるもので
―――このマジカルガーデンにもそういった人物が存在していた
バタバタと五月蝿い足音が響き渡る。
今は授業の真っ只中。
そんな音はあってはいけないはずなのに、私を含めて教室中にいる生徒達も間の抜けた顔で「何事!?」とばかりに廊下に繋がる扉を見つめていた。
五月蝿い足音はどんどんと大きくなっていく。
それはつまり、こちらの方へと近付いているということ。
……ああ、何だか嫌な予感がひしひしするのは気のせいか。
気のせいだと思いたかった私だが、どうやらそうは問屋が卸さなかったようで。
バタバタと慌しい足音とともに教室に飛び込んで来たその人は、
バ――――ンッ!
と、派手に扉をぶち開けるなり、手に何やら奇怪な色の薬品が入った丸底フラスコを掴んだまま真顔で叫んだ。
「ユキさん!! どーにかして下さいーっ!!」
顔は真顔だったが声には泣きが入っている。
私は大きな溜息を零し、
「………とりあえずその薬品はどこかにおくべきなんじゃないかしら、バーナクル先生…?」
と、呆れ眼で言葉をかけた。
名前で呼ぶんじゃないわよ、と言おうかと思ったがここで訂正するのも生徒達に怪しまれる確率が大だと思い、心の中で「後でシメる…」とつぶやくだけにしておいた。
「はっ、それもそうですね…」
はたっと。言われて初めて気付いたとばかりにキヨ・バーナクルは手に持っている丸底フラスコへと視線を向ける。
その液体の色や仄かに香ってくる臭いから察するに、たった今調合していた薬――毒系等の物だと私は判断した。そんな物を間違ってどこかに零したりしたら大変なことになってしまう。
丸底フラスコというのは名前の通り底が丸い。
しっかりとした安定した場所に置かなければ何処かに置いておくというのは無理というもので、今この教室にはフラスコを立てられるような道具などあるはずがなかった。ここは実験系の授業を行う部屋ではないのだ。
あたふたと慌てるキヨは、見ていてとてもおもしろかった。
かなり焦っている。何度か手を持ち替えてはどうにかしなければという焦りが、彼に変な動作をとらせ続けている。このまま経過観察してもいいかもしれない。
…という場合ではなく、私は適当に立てられるような物を手近にあったもので組み立てるとそれに置くようにとキヨに勧めた。
「……で、何かあったわけ?」
唖然としている生徒達に聞こえないように、キヨの耳元で尋ねる。
「はっ、そうなんです。こんな事をしてる場合じゃないんですよ…っ! 実はシェル先生が……」
「………いい、その先は言わなくっても…」
何となく、その名前が出た時点で何が起こったのかは察しがつく。
しかし察しがつくものの、納得はできなかった。
教師の一人であるカリン・シェルが受け持っている専門は天文学。はっきりいって何か問題を起こすような学問ではない。天文学は星の動きを調べて予測をしたり、占いについてのいろはを学ぶのが中心である。
はっきり言って、魔法史学の次に危険性がない学問のはずであろう。
反対に危険性があるのは調合する薬草学や錬金術学。魔法の暴走と意味合いを含めれば黒魔法あたりが挙げられる。
その、天文学で。
一体カリンは何をしでかしたというのか。
いや、何をしでかせるというのか。全くもって謎でしかない。
私は溜息を零すと、手に持っていた教科書をキヨに押し付けるように手渡した。
「バーナクル先生、あとはお願いします。このページから後六ページ分の板所で結構ですから」
「え、あ、はい…。あ、場所が何処かは……」
「それは心配しなくても大丈夫ですから。ではお願いしますね」
言葉口調は丁寧に、しかし問答無用でキヨに今日の残りの授業を押し付けて、私は教室を後にした。
面倒ごとを引き受けてあげるのだから、これくらいはしてもらわないと性に合わないというものだろう。
廊下を足音を立てないように走り、走りながら転移魔法を使おうとした私の耳にキヨの「六ページ分!!?」という悲痛な叫び声が聞こえたが、教室に引き返すことはしなかった。
シュンッ、と空間をきる。
そして向かったその場所は塔の最上階一歩手前の教室だった。
天文学なので最上階に教室を設けて空が見えるようにしたり、天井を高くドーム型にするのが望ましいのだが、最上階にはちょっとした部屋が設置されているらしく仕方なしに一階下に設けられたらしい。
その扉の入り口外に、少年達がわらわらと集まっていた。
皆、げんなりという表情をしている。
私はとりあえず、手近な場所にいた背の高くて人の良さそうな少年に話し掛けた。
「……これは何事ですか?」
私に話し掛けられてその少年は私の存在に気付くと、はっと表情を少しだけ強張らせて言葉を濁すように口を開いた。
「………それが、シェル先生が占いの最中に水晶に変なものを映し出しらしくて…」
「変なもの?」
「よく…分からないのですが、それが映った途端にいきなり水晶が爆発して……」
「……それでこの現状なのね…」
「……はい…」
……ホントに何をしてるのよ、カリンは…。
私は酷く呆れた。
昔からカリンはそうだった。何をするにしても失敗が多く、どこをどうしたらそうなるのか分からないような失敗ばかりするから対処する方も手間がかかることこの上ない。
「説明ありがとう、…シーバス少年」
「あ、いえ……。え、名前知っていらっしゃるんですか?」
しっかりと少年――コウ・シーバス少年の名前を呼んだことで、彼は驚いたようだった。
まあ、それもそうだろう。生徒数が少ないとはいえ、何か関わりがあるわけでもなければ担任を受け持っているわけでもない生徒の名前など好き好んで覚えたりはしない。
「暗記は得意なの。一度聞いたこと、見たことは忘れないわ」
興味のないことは覚えないけれど。
こっそりと言葉を続けたが、それはシーバス少年には聞こえていなかったらしい。
私は少年達を押しのけるようにずんずんと教室へと近付く。
「マーリン先生、何でここにいるわけ?」
扉の一番近くを陣取っていたリイチ・ハリバット少年が私に声を掛けた。
ハリバット少年の周りには他二名――確かソウル少年とトロウト少年という名前だったはずだ――がいたが、彼らの顔が教室を見て青褪めているのに対して、ハリバット少年の顔はけろりとしていた。げんなりというのとも違う。どこか、この展開を楽しんでいるようなそんな感じに見えなくもない。
「シュリンプ先生が今日は本部に行っていていないから代理で来るはめになったのよ」
そう、悔しいことに今この学園に責任者であるレイはいなかった。だからこそ私にこんな面倒なことが回されるハメになったのだ。
今考えるとレイがいなかったのには何か裏がありそうだと思えてしまうあたり、私は彼女を疑い過ぎているのだが、今までの彼女との付き合いを考えればそれも致し方ないことだろう。
ちなみに本部というのは、魔法協会のことである。
世の中の全ての魔法学園を管理するとともに、魔法使いの全てを管理しているお偉い場所。世間一般のもので喩えるならば、政治の大御所あたりになる。どれだけお偉くて大変な場所であるかは知っているけれど、私にとっては腐った連中のいる場所という認識でしかないのはここだけの話だ。
ハリバット少年の瞳が細められ、うっすらと笑みが浮かぶ。まるで獲物を見つけた猫のような鋭い色合いが瞳に見受けられる。
「へぇ…、じゃあこの惨状の後片付けするんだ」
「そうなるわね」
「ご苦労様だね、ホントに」
「全くよね。……ところでハリバット少年、仮にも私は教師なのだから敬うべきじゃないかしら?」
「あんただって取り繕わずに地が出てるからお互い様だろ」
「それはお互い様とは言わないわ。……まあ、君には何を言っても無理そうだけどね…」
「分かってるなら言わない方がいいんじゃないの?」
ああ言えばこう言う状態。
なんてレイに似ていて嫌な性格をしているのかと思わずにはいられない。
しかしこれ以上の口論は意味がないし、何より私とハリバット少年のやりとりを聞いている生徒達が呆然と、それでいて奇怪なものでも見るような眼差しを向けているのが気になったので話は打ち切ることにした。……こんなところでボロを出すわけにはいかない。
「さ、ちょっとあっち行っててちょうだい」
私はハリバット少年を押しのけて、教室の中へと足を踏み入れた。
ぐるり、と部屋中を見回す。
「…………」
……まあ、何と言うべきなのか。
教室に入って真っ先に思った私の感想を述べるならば、
―――おいおい…っ。
というものだった。
とても素晴らしい惨状に思わず拍手を贈りたくなる。
教室の中は見るも無残な状態になっていた。
もくもくと上がる煙が教室中に充満する。
焦げ臭い臭いと、鼻につんとくるような嫌な臭いが混ざっている。ただの爆発ではなかったのかもしれない。
室内にあったはずの机や椅子等は、見る影もなくなっていた。影どころか物そのものがない。少しだけ散らばっている破片みたいなものが残骸といえる。
言うなれば、ここだけに爆弾が投下されたような焼け野原といったところか。
それにプラスして何やら奇妙な物体が所々に見え隠れしている。何かの生き物か、それとも燃えないゴミの危険物か何かかは定かではないが。
部屋の突き当たり、黒板があった場所の手前にカリンが座り込んでいた。
全身煤だらけ。
彼女自身にも奇妙な物体が付着している。
カリンは珍しいことにパニックしていなかった。――いや、パニックする手前の、混乱して意識が何処か遠くに吹き飛んでいる状態というのが正しい。
カリンの場合、パニックすると余計に酷い惨状を引き起こす恐れがあるので、呆然としている今はまだマシと言えたのかもしれない。二次被害はさらに面倒でしかない。
となれば、彼女の意識がはっきり戻る前に片付けをするべきか。
私は目の前で動かなくなっているカリンを見て、再度溜息を零した。
……ホントに一体何をどうしたらこんな状況になるのよ…。
分からない。
本当に分からない、理解できない。
昔彼女の言動の一部始終を暇に任せて観察していたことがあったが、それでもカリンの起こすことは私にはほとんどといっていいほど予測不可能でしかなかった。
私は、すうっと大きく息を吸うと、目を閉じて惨状前の教室の状態を頭の中に浮かべた。
詠唱を唱え始める。
詠唱に従うように、教室中を包み込むようにきらきらと輝かしい光の粒子を纏う風が発生した。
この教室の中だけ、一瞬時の流れが変わる。
その一瞬の感覚を感じ取り、私は詠唱を終えて一息つくように大きく息を吐き出した。
教室を見回す。
何の変哲もないただの教室。
変わった物はなにもない。至って普通の机と椅子が並んでいる。
惨状が起こる前の、ただの教室へと戻っていた。
「カリン、ほら起きなさいって」
膝をつくように座り、ぺちぺちと彼女の頬を叩く。
が、カリンはまだ呆然としているようだった。
カリンの頬を叩いた私の手が少々汚れたことで、私は彼女の今の状態に気がついた。
……ああ、教室をだけを元通りにしてカリンのこと忘れていた。
そう思い、私は短い詠唱を口にする。
「きゃ…っ!!?」
カリンを水のヴェールが包む。その、一瞬のひんやりとした感覚でカリンははっと我に返った。
その彼女の目の前に、私の顔。
「ユキ先生……ッ!!?」
ずざざざざっと後ろに身を引こうとし、壁が真後ろにあった為にそうすることが叶わず、カリンは黒板のチョーク入れの部分で見事に頭をゴンッ、とぶつけた。
角があたったのか、目に涙を浮かべてカリンが頭を抑えて蹲る。
「……相変らずドジね、カリンって…」
呆れながら私は言うと、用事は終ったとばかりに立ち上がってスカートの埃を軽く払い落とした。
「え…、え…、なんでユキ先生がここに……? っていうか私、何してたの…?」
現状が理解できてないらしく、カリンは打った頭を抑えながらパニックし始めた。
説明するのも面倒に思え、私は「気をつけなさいよ」と警告するだけしてすたすたと扉の方に向かって歩き出した。
私が教室から廊下に出たことで、廊下に待機していた生徒達が入れ替わりになるようにして教室へと入る。
「うお…っ、なんで!?」
「教室元通りじゃん…っ!!」
五月蝿く騒ぐ声が誰の声とは言わずに私の耳に届く。
役目は終えたし、このまま自室にでも戻ろうかとそう思って歩き出したその私の後ろ姿に向かって声が掛けられた。
「あの……っ」
とりあえず足を止めて振り返ってみたら、そこに先程のシーバス少年の姿があった。
「何の用かしら?」
「授業中だったのに、わざわざすみませんでした」
ぺこり、と大きな体を曲げてお辞儀をする少年。
とても律儀だと内心感心する。
でもこの場合、その言葉はちょっと違うだろうと思ったのも確かで。
「シーバス少年、頭を上げなさい」
言われて頭を上げるシーバス少年に向かって、私は淡々と告げた。
「こういう場合は謝罪の言葉でなくお礼の言葉を言うべきでしょう」
と。
「あ…」とシーバス少年が私の言いたいことに気付き、小さな声を漏らす。
「それでは、私は失礼させてもらいます」
くるりと身を翻し、私は今度こそ本当に歩き出した。
指摘されて気付いたのは良かったが、お礼の言葉を言うタイミングを逃してしまったコウは少しだけばつの悪そうな顔をして苦笑を零した。
「コウ、お前何してんの?」
「シュリンか。…いや、何でもない」
扉から顔だけを覗かせて声を掛けてきたシュリン・ヘリングに、コウは軽く受け答えをすると、もう既に見えなくなってしまった教師の姿を探すようにして消えていった方を一瞥した。
その後で教室へと入る。
教室内では教師であるカリン・シェルがパニックしていて、一部の生徒が宥めているようだった。
「それにしても、どうやったんだろーな、この教室」
「ああ、そうだな。……その前と少しの違いもなく元通りになっている…」
教室を元通りにしただけではない。
机に広げてあった教科書なども、きっちりと開いていたページそのままで元通りになっていたのだ。
あの、ほんの数分の間で。
まだ学生であるコウ達にとってみれば高等な魔法が使われたというくらいの大よその見当しかできない。
「時間の流れを戻したりしたんだろうね」
ひょっこりと会話に加わってきたのはリイチ・ハリバット。
「…リイチか。……確かに言葉にしてみればそれまでだが、簡単な魔法ではないだろうな…」
「……だろうな」
コウの言葉にシュリンも納得する。
「……あの女教師って何者なんだ?」
「そんなこと俺が知るわけないだろう、シュリン」
「いや、お前なら何か知ってそうだし聞いてみただけだって」
「……シュリン、俺のことをどういう目で見てるんだ…?」
「んなのこういう目に決まってんだろ」
シュリンは自分の目を指さしてみせる。
いや、そういう事を聞いているわけではないのだとばかりに、コウは額に手を当てて顔を下に向けてシュリンから視線を逸らした。
「……聞いた俺がいけなかったな。すまない…」
「………おい、お前ら。何ばかなやりとりしてるわけ?」
二人のやりとりを聞いていたリイチが呆れる。
呆れるリイチに、コウは笑って誤魔化して、シュリンは「け…っ」とやさぐれた態度をとった。
「そうそう、さっきのお前の言葉だけどね」
「あん? 俺の言葉って……何者か…って話かよ?」
話を唐突に戻されて、シュリンの眉が不機嫌そうに寄せられる。
睨みつけられるようになったリイチだが、そんな事で怯むような性格ではない為、淡々と言葉を続けた。
「それしかないだろ。――で、前に将とあいつの研究室行った時に聞いたんだよね、俺」
「それは本当か、リイチ?」
「ああ。こんなの嘘ついて何の特があるっていうんだよ。そんな馬鹿なこと俺がするわけないだろ」
確かに――と、コウとシュリンは言葉にせずに納得する。
同学年として共に学んできた年月の中で、リイチが無駄を極端に嫌うことを知っている。……とはいえ、無駄であってもリイチが面白いと判断すれば大いに無駄も歓迎しているので、本当にいい性格をしているといえよう。
「で、何て答えが返ってきたんだ?」
「『一介の教師であり魔法使い』なんだってさ」
「なんだそりゃ。なわけねーだろーが。学園長の代わりで来ること自体がおかしいっつーの」
「だろ? やっぱお前もそう思うよな」
「当然」
「……まあ、確かにただの教師とういわけではなさそうだな…」
ぽんぽんと言葉のキャッチボールを続けるシュリンとリイチの会話に加わったコウが顎に手を当てて考え込むと、リイチ達も頷くことでそれに同意した。
―――あいつには何かある。
それは、確信。
「気になるね、あいつ」
瞳に悪戯な瞳を宿して。
口に笑みを浮かべてリイチは言い切った。
……余談だが、その間ずっと、傍でリイチとよくペアやグループを組むことが多いトロウトとソウルがリイチのことを呼び続けていたのだが、リイチはコウ達と話し続けていた為に可哀想だが相手にされることはなかった。