7 生徒からのあだ名
どの世の中でも
生徒達というものは勝手に先生に呼び名をつけるものである
そして例外なく、私にもあだ名がつけられていた
授業と授業の合間の休み時間、私はうとうとと木の上で居眠りをしていた。
先程授業を終えたばかりで、これから始まる授業の予定はなく、私はフリーという時間帯。
折角の自由時間を誰か――というまでもなくレイと断言してもいいかもしれないけど――に邪魔されるのが嫌で、気配を消して木の上に寝転がっているというわけである。
本日のお天気は快晴。
ぽかぽかとした温かさ。
ちょうどいい感じに日差しが遮断される。
木の自然の香り、息吹を感じられて心地よい。
私は不謹慎だと思いながらも次の時間の間はずっとこの場所で寝ていようかと考えていた。
が、どうやらそうはいかないらしい。
私の心地よい眠りを妨げるようにして聞こえてくる何人かの声。
聞き覚えがあるそれは二学年の内の一クラス、昨日私が四限目に授業を受け持ったクラスの生徒達の声だった。
……なんで授業中なのに声が聞こえるわけ?
疑問に思い、私は視線をこそっと下へと向ける。
そのクラスの生徒全員の姿がそこにあり、そして集まっている生徒達と向かい合うようにしてキヨ・バーナクルの姿があった。
キヨの専門は薬草学。
ということはあれか。薬草探しか何かってことかしら。
学園の周りには様々な種類の薬草が生えている。一番種類が豊富な場所は森だったりするけれど、塔の周りにもそれなりに揃っているわけで、ちょっとした入り用だったら森に行かなくても十分というわけだ。
私の考えが外れることなく、どうやら本日の授業は薬草採取だったらしい。
生徒達一人一人――もしくは何人かのグループごと――の手に太い辞書が抱えられている。題名を確認するまでもなく、あれは薬草辞典なのだろう。
「それじゃ、各々五種類の薬草を採取し、それが何であるかを調べてそれらを調合して何かの薬を作り、レポートにまとめること」
ただの採取や調べ学習は一学年のレベル。二学年はさすがにそこで終ることなく、一歩難しい場所まで進んでいるということか。
薬草の調合は楽しいけど、苦手な人には本当に苦手な類である。
生徒達も好きそうな人と苦手そうな人とに別れているようで、反応はまちまちのようだった。
キヨの声で、生徒達は一斉に四方へと散る。
私は既に五月蝿くなってしまった為に寝る事ができず、暇つぶしに生徒達を観察することにした。なかなかに人の観察というのは面白い発見があるものだというのは、長年生きている私の感想だったりする。
運が良いのか悪いのか、私の寝転がっている木の真下辺りに生徒達の一部がやって来た。
座り込んで、あれやこれやと辞書と格闘しながら見比べているようである。
……おーおー、頑張ってるわねー。
せいぜい頑張りなさいな、とちょっとだけ応援した時、その会話は始まった。
こういった野外学習の場合、先生の見張りがなければ無駄口はつきものというもので。
「こういう授業の方がやっぱ楽しいよな」
「それはエイジが机に座っているのが嫌いだからでしょ」
「そうそう。お前ってじっとしてるのって苦手だしな」
「なにをー、カズキだって俺と同じじゃんか」
「カズキはエイジと違ってやる時はやってるけどね」
「うぐ…」
オレンジ色の柔らかい髪をした少年――エイジ・モーレイ少年が、クールな黒混じりの緑髪の少年――ルイ・フラウンダー少年に言いくるめられて撃沈させられている。もう一人のつり目の青混じりの黒髪の少年――確かカズキ・マッカレル少年という名前だったような気がする――は「ほらみろ」とばかりに笑っている。
その後も気安い会話は続いていることから、どうやら彼らは仲良し三人組みらしいと知れる。
レポートも三人でまとめて提出するつもりなのだろう。
上から見ていると、仕事ぶりがフラウンダー少年、モーレイ少年、マッカレル少年で五対二対三くらいの割合になっているような気がしなくもないが、グループでの提出となればそういう割合もあるものだろう。苦手分野を補い合うのは別に悪い事ではない。
「あー、そーいやこの授業の後って〈女帝サマ〉の授業じゃん」
モーレイ少年が少しだけウンザリとした表情をする。
……〈女帝サマ〉?
誰ですかそれは?
私は首を傾げた。
「エイジってちょっと苦手意識があるからね。でも結構興味深いと思うけどね、俺は」
「えー、だってよー。何か裏があって読めないっつーか、からかえないっつーか…」
「教師をからかってどうすんだよ…」
おいおい、とマッカレル少年が呆れる。
フラウンダー少年の表情は読み取り難いが、彼ももしかしたら呆れているのかもしれない。
「楽しいからいいだろー」
「……よくないって」
「なんだと、バカズキのくせに生意気だぞ!」
「バカズキって言うな!!」
「……やれやれ。ほら、二人ともくだらない喧嘩はやめなよ」
「だってルイ…!」「ルイ、こいつが……っ!」
綺麗にモーレイ少年とマッカレル少年の言葉が同時に発せられ、二人して言葉を途中で飲み込んで沈黙した。フラウンダー少年は何も言っていないが、表情だけで黙らせたのか。
それはさておき、次の授業という単語と教師という言葉から判断するに〈女帝サマ〉というのは誰かの先生のあだ名らしい。
……誰かって考えるまでもなかったわね…。
確認するまでもなく、〈女帝サマ〉とはレイのことだろう。
とてもぴったりな気がする。本人が知ったらどういう態度をみせることか。………考えるのは止めておこう。
しかしあだ名か。
少しだけ懐かしいものを覚えて、遠くを見つめて目を細める私。
自分が学生だった頃、そして前に教師をやっていた頃の昔を思い出すと酷く懐かしい気になる。
ふと思った。
私は何というあだ名がつけられているのだろうか、と。
昔に呼ばれていたあだ名と同じようなのだろうというのは察しがつくけれど。
「教師っていえば〈ミス・眼鏡〉だけどさー」
タイミングを計ったように新しいあだ名が発せられる。
これもまた確認するまでもない。
私のことだろう。
「何なに、もしかして〈嫁かず後家〉のことについて話してんの?」
にょきっとどこからともなく現れたナルミ・カッド少年が会話に加わる。表情は上からはわからないが、声色が面白がっているそれになっている。
「……ナルミ、そういうあだ名呼びは失礼だろ」
そして、ベージュ色の髪の少年――レン・ポラック少年がカッド少年を諌めようと現れた。
「なんだよ、レン。お前だって時々言ってるじゃん」
「それは……」
口篭るポラック少年。どうやら諌めるものの彼も同罪らしい。
まあ、この年代の少年達に上の存在を常に敬えというのは難しくても仕方がない。本人の前でなければ彼らの自由ともいえる。
「なんやなんやー? 何のことについて話してんのや?」
「キョウさん! ちゃんと薬草探ししましょうよ…っ!」
つられるようにやってきた鮮やかな金髪の少年――キョウ・チャー少年を必死で引きとめようと、アルフォンシーノ少年がチャー少年のローブを引っ張っているものの、体格の差も含めて力負けしているのが何とも哀れで仕方がない。……余談だが、チャー少年は何やら癖のある口調で話す少年であることに気が付く。イントネーションが他の少年と違うというか、どこかの地方独特の方言だったような気がしなくもないが、果たしてどこだっただろうか。
関係ないことに私が思考を飛ばしている間にも、後方、少し離れた位置にボニート少年と垂れ目なさらさら髪の麗しい少年――ユヅキ・サーディン少年が呆れた顔をしている。…ボニート少年の表情は常時運転で無表情なのだろう。彼は人形か何かのようにあまり顔の表情が動かない。
「で、何の話なんや?」
「〈ミス・眼鏡〉についての話」
「ああ、〈オールドミス〉はんの話かいな」
わいのわいのと生徒達がどんどんと集まり、騒ぎが大きくなっていく。
話題はもっぱら私のことで、生徒達にいかに不評であるかというのが窺えるのが何やら楽しいと思ってしまうのは不謹慎なのか。
こっそりと聞いていて何だけど、こうして改めて聞いていると私のあだ名は、色々とつけられているのだということがよく分かる。
あだ名は人によって様々で、好き勝手各々で呼んでいるようだった。
色々あるのにそれがどの教師を指すのかが分かるというのは、生徒達の中で共通に思っているイメージがあるからに他ならない。
「あんな〈暴力女〉なんかの話するなよな! 胸くそわりーぜ」
ビシッ、と言ってのけたのはユイト・ローチ少年。
どうやら昨日私にこらしめられたのが酷く気に障っているらしい。まあ、あんな事をやられて懐かれたらたまったものじゃないけれど。嫌ってくれた方がせいせいするってものだろう。それが本望だし、いっそのこと生徒全員にやったら全員に嫌われるかと考えたが、そんなことをしたらレイに何を言われるか分かったものじゃないのでその考えは却下した。
「それはお前が悪いんだろ」
マッカレル少年がぼそりと言うと、それを聞き敏くローチ少年は聞き取っていた。
「なんだって、カズキ。てめー何か言ったかよ、今?」
「別に、何も言ってねーよ」
「嘘言うんじゃねー!」
マッカレル少年に突っ掛かろうとするローチ少年。
腹の居所でも悪いのか、それともこれがローチ少年の常日頃の態度なのかは分からないが、迷惑であるのは言うまでもない。
「まあ、マーリン先生にこっぴどくやられたのはお前だけだしね」
と、フラウンダー少年がさらりと言う。
初めて私の本当の名前が出されたような気がするのは気のせいではあるまい。
「そーそ。お前っていっつもそんな役割だよな」
「ローチ、お前って実はこっぴどくやられるのが好きなんじゃねーの?」
「んなわけあるか!!」
モーレイ少年とカッド少年に、げらげらと笑われて、ローチ少年が怒りに顔を赤らめて反抗する。真っ赤になって反論するあたりが、それを事実だと告げているようにしかみえない。
どっと笑いが起こった。
私もこっそりと呆れたように無音で笑ってみせる。
と、その時。木の上にいる私は誰よりも早く彼らに近付く存在に気付いた。
その存在はどんどんと少年達に近付いていくのだが、少年達が気付く気配がない。というよりも気配を消して近付いているというのが正しいのかもしれないけれど。
そーっと、そーっと近付く。
そして、
「楽しそーだな、俺も混ぜてくれないか?」
彼は少年達に向かって声を掛けた。
その声を聞いてすぐに気付いたのはほんの一握りの少年達だけ。その少年達の体がぎくりと震える。
「お、いいぜいいぜ」
それ以外の少年達は、陽気な声でくるりと声の方を振り返り、「げぇっ!?」と奇妙な声を上げた。
それもそのはず。
少年達に近付いてきたのは、他ならぬ教師であるキヨその人だったのだ。
生徒達に〈苦労人〉だとか〈貧乏神〉だとか言われようとも教師であることに代わりはない。その立場は絶対だ。
「バーナクル先生…。いや、その何でもないっス…ッ!!」
カッド少年が慌てたものの、けろりとした食えない顔でキヨは言った。
「――で、もしかしなくても〈オールドミス〉とかってのはマーリン先生のことなのか?」
それは少年達にとっては予想もしなかった言葉。
まさか言葉通り、会話に加わるとは思わなかったらしい。まあ、普通の感性の教師であれば、普通は参加しないのだろうが。
「は…?」
半数以上の生徒が唖然とした表情を浮かべる。
そんな様子には気付いていないようで、キヨは懐かしいと言いながら苦笑を零した。
ようやく生徒達のその様子に気付いたキヨは「何でもない、気にしないでくれ」と誤魔化すと、生徒達が再び授業に戻るように促した為、この話題は有耶無耶のまま終わりとなった。
再び散り散りに移動する少年達。
キヨはその少年達を見守って、再度苦笑を零した。
先程までの賑わいが嘘のような静けさに辺り一帯が包まれる。
「………」
一部始終を見守っていた私。
上を見たり声を掛けてこないことから、どうやらキヨは私の存在に気付いていないらしい。まあ気配等を一切消しているわけだし、何といってもキヨとは年季が違うので気づかないのも仕方ない。
どうしようかと考える。
このままいない振りをして授業が終えるなり去っていくのもあり。
今この場で空間転移をつかって去るのもあり。魔法を使ったからといってキヨにばれないようにするのは何でもないことだし。
……もしくはこの場で声をかけるか。
「……しかし懐かしいあだ名がいっぱいあったな…」
何故か感慨深く呟くキヨ。
この時、私の考えがまとまった。
「……さすがにあのあだ名はなかったみたいだけど…」
「あるわけないじゃない」
「え?」
どこか安心したように呟いたキヨの声に繋げるように、私は言った。
はっと気付いたキヨは慌てて上を見上げて、そこで私と今回初めて視線が合わさる。その瞳が大きく見開かれた。
「や、お元気してる?」
「お元気って……!!? ま、まさか今の会話全て聞いてたんじゃ……」
「まさかも何も聞いていたに決まってるじゃない。あれで聞こえなかったら耳がおかしいでしょ」
「えええっ!! いや、別に生徒達はユキさんの悪口を言ってるわけじゃなくって、その…、なんていうか……」
「何でキヨが焦ってるわけ? 別に焦る必要ないじゃない」
「いや…、それはそうなんですけどそうじゃなくって……」
しどろもどろと言葉を濁すキヨ。
相変らずのこういった性格が周りの人に苦労症だとか思われる原因になっているのだろう。昔からキヨは他人の苦労まで背負ってしまう、背負わされてしまう貧乏くじを引く節があったのだから。ちなみに彼に一番迷惑をかけているのは、間違いなく同期のマヒロ以外にありえない。
今だって別にキヨが反省することはない。言葉にしたのは生徒達であり、キヨではないのだ。
言われている私が何も堪えていないのだから構わないというのに。
「今も昔もあだ名なんて変わらないものね」
「あははは…」
「懐かしくって昔をちょっとだけ思い出したわよ。本当に色々あって、思わず少年達のそれを考える頭に敬意を評したいくらい」
「でも昔、ユキさんも教師にあだ名をつけてたって言ってませんでしたっけ?」
「言ってたわよ。〈ハゲおやじ〉とか〈姑〉とか色々ね」
そう私が呼んだ教師はもう会うことも叶わないのだけど。
あまり顔も思い出せないのに、何故かあだ名だけは思い出せるというのはどういうことか。
……どういうもこういうもなく、ただ私がそうとしか教師を認識してなかっただけでしかないのだろう。今と違って学園自体が大層なものじゃなかったから、いい思い出という思い出もない気がする。
「生徒なんてそんなもんですよ」
「そうね、そんなものよね」
二人で妙に納得しあう。
「それじゃ、あと数分しかないけど私は寝ることにするから邪魔しないでね」
一応釘だけをさしておいて。
私は静かに瞼を閉じた。
キヨは苦笑しながら肯定の返事をし、木に凭れかかるようにして座り込み、手に持っていた書類を広げて見始めた。
この木の下にキヨが陣取っている限り、少年達がこの場所に来て私の睡眠の邪魔をすることはないだろう。始めからキヨだけ呼び寄せてこの場所に居座らせておけばよかったのかもしれないと後悔しても後の祭でしかないけれど。
……ああ、ようやくゆっくり寝れる…。
ちょっとした幸せを噛み締めて。
私は心地よい眠りへと誘われていった。




