5 初、生徒の来訪
さあ、先生らしく教えを請う生徒を大切に扱わなきゃ
……等と私が思うはずがなく
今期初めての生徒の来訪がやってきたのでありました
「ほらほら早く出て行って」
しっしっ、と野良犬でも追い払うようにして私の研究室からお邪魔虫であるマヒロを入り口で追い払っている時、少年達がやって来た。
何て示し合わせたようなタイミング。
私の研究室なのだから私がいるのはいいとして、何故か遊びに来たマヒロと――本人曰く、何か食べ物をせがみに来たらしい。私は君の母親でもなければ飼い主でもないのだが――、少年二人が鉢合わせてしまうという状況ができあがっていた。
マヒロは陽気な態度で「よう」などと挨拶をする。
少年二人はマヒロがここにいたことに少なからず驚いたようで、それを表情に出していた。小柄なリク・アルフォンシーノ少年の大きな目が更に大きく見開かれている。
………ん、二人…?
はたっと思い、私はやって来た少年、達を見た。
私に何か聞きたいことがあると言ってきたのはアルフォンシーノ少年の方だったはずなのに、そこにはオプションとばかりにもう一人の少年の存在があった。
オプションという表現はよろしくない。この少年二人が並ぶとどちらかというとアルフォンシーノ少年の方がオプション的存在に見えてしまうからだ。――そう、やって来たもう一人の少年は、容姿性格全てにおいて色々な意味で目立っているリイチ・ハリバット少年だった。
人の名前を覚えるのは勿論のこと記憶力が良いと自負している私じゃなくても彼の名前と顔は学校中の人が知っているに違いない。
「はいはい、それじゃまた今度顔を洗って来なさい」
もう一度、しっしっと手でマヒロを追い払う。
マヒロは「犬扱いしないで下さいよ~」と言いながらも邪魔をしてはいけないと思ったようで、渋々とこの場から去って行った。
そのマヒロの手に、何故か私の研究室に置いてあったスフレの包みがあったような気がしたが、敢えて黙認することにした。……まあ、情けということで。
私は少年二人に向き直ると、少々ずり落ちた眼鏡を鼻の上へとおしやるようにして直し、歓迎の挨拶を口にした。
「いらっしゃい、少年達」
にこりとも笑わずに。
研究室は教師一人一人に一部屋与えられている。
広さでいけば教室と同じくらいかもしれないが、ごちゃごちゃと物がいっぱい置かれているので教室に比べれば随分と狭苦しく思えるだろう。とはいえ教師によっては整理整頓がされている部屋もあるのだろうから全てがそうだとは言い切れないのだろうけど。
少なくとも私の研究室はその典型的なパターンだった。
多くある棚には入りきらない物が床から机までとありとあらゆる場所へと散らかっている。別に綺麗な場所でないと生息できないわけではないので、私は好き勝手に散らかしていた。――よって、かなり汚い。もしかしたら一番汚い研究室かもしれないとはここだけの話である。
この部屋に入ってきた少年二人は、足を踏み入れるなりぎょっとしたようだった。
思わず二人の足が止まったのを私はしっかりと見ていた。我ながら目敏いことこの上ない。
「適当な場所に座ってちょうだい」
とは言ったものの、適当な場所があっただろうか?
ふと思い、私は研究室中を見回した。
あっちを見ても、こっちを見ても変わらない散乱さ。足場が辛うじてあるかないかで、座るような場所は見渡す限りない。
「……一体何処を見て適当な場所と言うのかが知りたいところだよね」
嫌味をこめて、ハリバット少年は言った。
その横でアルフォンシーノ少年がおろおろとしている。彼にはハリバット少年のようにずばりと言ってのける神経は持ち合わせてはいないらしい。
「確かにそれもそうね。……ふむ」
今からちょっと片付けるべきか。
……否。面倒なのでそれは頭の中で即却下された。
そうなると残る手段は二つ。
一つは何処かの空き教室を使うこと。
しかしこちらの場合、鍵を取りに行かなければいけないという面倒な手続きが待っている。鍵がかかっていない教室の場合、他の生徒が残っている確率があるのでそれはだめだろう。
考えるまでもなく、結論は一つだった。
小さく溜息を零す。
「……仕方ないから私の私室でも構わない?」
そう言った瞬間、二人の反応は見て面白いものだった。
ハリバット少年はげっそりとした顔を。
アルフォンシーノ少年は顔を真っ赤に染めたのだ。
性格の差がこのあたりにとてつもなく大きく現れているといってもよい。
「あんた、生物学的に見て女なんだから私室はまずいとは思わないわけ?」
「あら、どうして?」
「どうしてって……」
ハリバット少年が言葉に詰まる。
私はけろりと言ってのけた。
「だって君達に何かされるほど私は馬鹿じゃないもの」
ぴきっ、と。
ハリバット少年の眉が少しだけ釣りあがった気がしたが、見なかったことにした。
「さ、行こうか」
言って、私は部屋の中にある入り口以外のもう一つの扉の場所へと移動する。
少年達も大人しく私に着いてきたが、その顔には「何故?」という感情が浮かんでいるようだった。誰だって、私室――つまりは宿舎の方に行こうと言われたのに部屋から出ようとしなければ不思議に思うものだろう。
私室は確かに宿舎にある。私の場合は教師用の宿舎内にその部屋があるわけだ。
研究室――この部屋がある場所は塔の中。
歩いていけば早くても十分くらいは軽くかかってしまう。……そう、歩いていけば。
そもそもそんな面倒なことを私がするはずがない。鍵を取りに行くのも面倒だと思う奴なのだ、私は。
がちゃり、とノブを回して扉を開ける。
少年達が息を飲んだ。
その、扉の向こうには
「ようこそ、私の私室へ」
――私の私室が広がっていた。
種明かしをすれば簡単なことで。
行き来するのが面倒だと思った為に、少し空間をいじってこちらとあちらを扉一つでくっつけてしまったというわけである。我ながら良い考えだこと。
私は少年二人を促し、中央にあるソファへと座らせると自分は彼らに向かいあうように正面のソファ――勿論ふかふかの私専用のだ――に座った。
私室は私が生活する場所だけあってそこそこ綺麗な部屋になっている。
入り口あたりに酒瓶などのゴミが重ねてあるのは昨日の名残ということで気にしないでおこう。あれは一番騒いだリク大達に片付けさせるつもりだから。
それはさておき。
「――で、何を聞きたいわけ?」
早くしなさいとばかりに私は言う。
少しばかりぼーっとしていたアルフォンシーノ少年だったが、慌てて手に持っていた教科書類を開くとその中の一つを指で指しながら分からない場所を口にした。
「ここの所なんですが……」
「どれどれ…」
教科書を見て、この範囲か、と別段問題ない場所だが確かに分かり難い場所かもしれないと思うと、私は少年に説明するべく口を開いた。
私が説明をし、アルフォンシーノ少年が真剣にそれを聞く。
そして私達の様子を、ハリバット少年が目を細めて何かを考えるようにして見続けていた。
ハリバット少年が見続けていたのは、他でもない私で。
私室に目を向けることなくじっとまっすぐに見続ける。
その視線に少々居心地の悪さは感じたものの別に気にするほどでもないだろうと判断し、私がハリバット少年へと視線を向けることはなかった。
……暇人だな、彼は。
などと、そんなことだけを思っていたのは私だけの秘密である。
アルフォンシーノ少年における全ての質問に答え終わったのは、始めてからおよそ一時間経ってからのことだった。
……疲れた。
そう思いつつも、理解できて嬉しそうな顔をしているアルフォンシーノ少年を見るとそれを顔に出すのは憚れて私はこっそりと溜息を零しただけだった。
昨日の夜のこともそうだけど、どうやらアルフォンシーノ少年は大層な努力家らしい。
それが身にもって分かった感じだ。
人との関わりを敢えて必要以上に取らないようにしている私だが、勉強は嫌いではない。寧ろ知識を頭に詰め込むのは好きで、そして一生懸命に勉強をする人は嫌いではない。
たまには人に真剣に教えるのもよいだろうと思うことにして、疲れを忘れることにした。
「ありがとうございます、マーリン先生!」
本当に嬉しそうな笑顔を浮かべてアルフォンシーノ少年は頭を下げる。
「良かったわね、理解できて」
適当に受け答えをし、私は椅子から立ち上がってお茶の用意を始めた。どんな理由であれ私室に招いたのは自分自身だ。ちょっとの心配りはして然るべきことだろう。何よりハリバット少年が先程から何をするわけでもなく私を見ているのが気に掛かる。
……そんなに私は珍しい生物か?
まさかそんな言葉を口にするわけにもいかなかったが。
お茶とちょっとしたお菓子を差し出すと、アルフォンシーノ少年は少し躊躇いながらもそれを受け取った。
こくん、とお茶を飲み一服つく。
頭を使ったあとの安らぐ瞬間はなかなかに気持ちがいいもので、アルフォンシーノ少年は嬉しそうに微笑んだ。
「おいしいです、このお茶」
「そう、それは良かったわ」
ちらりと横目で見てみるとハリバット少年も私が出したお茶を口に運んでいる。
何となくだが、彼がずっと口を閉ざしているのは何かの前触れのような気がすると思ったその時、彼がこの部屋に入ってきて初めての言葉を発した。
「あんたさ、授業やってる時と雰囲気違うけどなんで?」
前置きもなくずばりと聞いてきたハリバット少年。
直行過ぎてかえって気持ちがいいくらいの潔さだ。
「なんでって、そんなの公私混同したくないからよ」
対する私もずばりと答えた。
我ながら気持ちがいいかもしれない。
教師を務める時は教師として、それ以外では私はただの平凡な魔法使いにすぎない。ただ、それだけのこと。……まあ、若干教師の時に下手なことに巻き込まれたくないという思いもあったりもするけれど。ちなみにこの場合、前者と後者の割合は二対八くらいで後者の方が強かったりする。
「ってことはこっちのが本性ってわけだね」
「本性って失礼な言い方じゃない? 仮にも教師を前にして生徒としての発言としては」
「別にいいだろ? あんたの言い方じゃ、今は公私の内の私にはいるんだろうし」
「そうね。でも年上は敬うものでしょう?」
「ああ、それは悪かったね。……それじゃあマーリン先生」
先生、という部分に意味ありげなアクセントをおいて。
ハリバット少年は口端を吊り上げて笑った。
食えない笑みだ、と私は直感的に思う。
こういうタイプの人間は考えていることに一癖といわずに難癖かあるもので厄介なのだ。例えばレイのように。
レイの顔を思い浮かべて、前に一度聞いた言葉を思い出した。
――私の遠縁にあたる子がうちの学園の生徒にいるのよ、と。
学園に来る前に聞いたことがあったような気がした。
遠縁とはいえ、兄妹の子どもとかそういった近さではない。二人の間には数百年もの歳月がある為に、確か兄の子どもの子どもの……と果てしない程続いた先にいる子どもだとか。もはや知らない人でいいのではないかと思うくらいのレベルだが、一応血が繋がっているといえばいるのだから難しい親戚関係である。
……ってことはもしかしてこの少年?
名前を聞いて確認したわけではないが、何となくそう思った。
それを尋ねることはしない。尋ねたことで何やら墓穴を掘る気がしなくもなかったから。
「僕、いつもの授業をしているマーリン先生よりも今のマーリン先生の方が好きです」
ほのぼのとお茶タイムをとっていたアルフォンシーノ少年が、私とハリバット少年の間にある微妙な空気を物ともせずにのほほんと言ってのけた。
どうやら彼には微妙な空気に気付く鋭さは持ち合わせていないらしい。
羨ましいというか何というか。
何となく、アルフォンシーノ少年には今のままでいてほしいと少しだけ思ってしまった。人間、素朴で素直な時が花ってものである。
「どうして授業の時は今のようじゃないんですか?」
「あ、それは俺も聞きたいね」
便乗してくるハリバット少年。
便乗しなくてもいいよと思いながら、私は少しだけ悩む振りをした。振りというのは、そんな答えなど一つしかありえないから。
――生徒達に嫌われる為よ。
心の中で正直な告白をして。
しかしそんなことは億尾にも出さずに私はもう一度言った。
「公私混同をしたくないからよ」
と。
勿論、少年達が来てから今の今まで私は一度も表情を崩してはいない。目元の微妙な変化ははめている眼鏡がうまく隠してくれていることだろう。
だがハリバット少年はそんな言葉に騙されるほど甘い人間ではなかった。
意味ありげな笑みを零す。
「その格好とか、もしかしなくてもわざとだったりするんじゃない?」
――鋭い。
とは思いつつも私は淡々と答える。
「何のこと?」
「あんた、結構若そうだから」
外見が。
という言葉は言うまでもなかった。
「それにあんたって結構ズボラな感じで面倒なことは極力避けるタイプっぽいしね」
――あらあら大当たり。
とは思いつつも私は再び淡々と言った。
「ありがとう。褒め言葉として受け取っておくわ」
ズボラなどといわれて褒め言葉でも何でもないが、もう長年生きていると何を言われようが気にならなくなってくるものである。
ハリバット少年は、くすりと笑う。
私はそれを静かに見つめた。
「…さ、用事も済んだしそろそろ戻るぞ。リク」
「え、あ、そうですね。長々とお邪魔してすみませんでした」
ぺこりと礼儀正しくお辞儀をするアルフォンシーノ少年。
「気にしなくてもいいわ」
別に気にするほどのことでもないし。
私達は来た時と同じように扉を潜り抜けて研究室へと戻り、入り口の扉まで見送った。
もう一度頭を下げてアルフォンシーノ少年は部屋から出て行く。
ハリバット少年が、私を見つめた。
ゆっくりと開かれる口。
「あんた、何者?」
探るような眼差し。
瞳が、悪戯めいた光を宿す。
ハリバット少年は、まっすぐに私を見つめていた。
凄みを利かせるようなその言葉に。
「ただの一介の教師であり魔法使いよ」
私はそれを受け流すようにどこまでも真顔で答えた。
ハリバット少年が苦笑する。
「ちなみに昨日の夜、リクを見逃しただろ?」
「さあ、何のことか分からないけど?」
「肯定の返事として受け取っておくよ」
「それはそれは」
勝手なことで。ゴーイングマイウェイね、君は、と思いながら私は少しだけ肩を竦めてみせた。
「それじゃ、次の授業楽しみにしてるよ」
それだけを言い残してハリバット少年が身を翻して去っていく。その後ろをアルフォンシーノ少年がぱたぱたと小走りで追いかけて去って行った。
私は彼らの姿が見えなくなるよりも先に部屋の中へと入り、その扉を閉めた。
「………」
少しだけ考えこみ、その場で足を止める。
その後、再び私室へと繋がる扉を開くと共に、
「――――レイ」
淡々とした口調で呼びかけた。
「そんなに私が生徒と話しているのを陰から見ていて楽しいわけ?」
「……あら、気付いてたの?」
何処からか声が聞こえた。
楽しそうな声である。
「気付いてたも何もないでしょうが」
言いながらパチン、と一回指を鳴らすと窓際カーテンのすぐ傍に人影が現れた。私は眼鏡を外し、その人物を呆れた眼差しで見遣る。
「それなら声を掛けてくれればいいのに」
「誰がそんなことするもんですか。レイのことだから面白がって何かしそうだもの」
「酷い言われようね、私って。…でも折角リイチとお話できるかもと思ったのに、残念だわ」
「……やっぱり。あの少年がレイの遠縁にあたる子なわけね…」
通りで気質というか、性格というか、本質というものが似ていると思ったわ。
とは声には出さずに。
私はげっそりとしてみせた。
「どう、あの子達は?」
「それはどういった意味合いで?」
「あら、勿論貴方の受け持つ生徒としてに決まってるじゃない」
「却下」
ぴしゃりと言い放って、私は乱暴な態度でソファにどかっと座り込んだ。
レイは、ふふふっと笑みを零す。
「…………ハリバット少年だけど」
「リイチがどうかしたの?」
「………」
少しの間をおいて。
私はレイを見た。この時、私は酷く嫌そうな顔を浮かべていたことだろう。
「昔のレイと全く同じで嫌な感じだったわ」
と、私は言った。
その私の言葉を予期していたかのように、レイはもう一度笑う。
「だって私の遠縁に当たる子だもの」
さも当然だ、とばかりにレイは答える。
何となく、むかついて。
私はレイに向かって手元にあったクッションを投げつけたがそれは容易にかわされて、床にぽすんっと間抜けな音を立てて落ちただけだった。