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レイの思い出 《A girl knows her truth and achieves encounter of fate.》

 私にとって彼女は奇跡

 生涯で最も感謝すべき奇跡

 だからこそ

 私は彼女のためには何をすることも厭わないだろう






「………やっぱりクラム教授の黒魔術が妥当…よねぇ」

 顔の前で一枚の紙をもてあそびながら、レイは一人呟いた。

 手元にあるのは担当教官希望書。

 少女――名はレイ・シュリンプ。

 レイは現在魔法学校に通う三学年の生徒である。

 魔法学校では三学年で担当教官を選び、専門とする魔法の分野を選ぶことになる。彼女もまたそれに漏れず、現在選択期間の真っ只中だった。

 もともとレイは黒魔術との相性が良く、自分自身も黒魔術に一番興味をもっているので現在考えている選択でほぼ決定といってもいい。

 選択期間はまだ今月いっぱいで猶予はあるとはいえ、決まっているのならば早くこの紙を提出してしまえばいい。教官の許可が下りれば即決定となり、ほんの数日とはいえ早くその担当教官に教えを請うことができる。それは勉強熱心なレイには願ってもみないことで、本人もそうしようと思っていた。

 ―――そう。

 希望しようと思っている、クラムと話をするまでは。

 事の発端は一週間前の会話。

 授業後、クラムに教えを請いに彼の研究室に足を運んだ時のことだった。

 クラムとは当学校において黒魔術を専門に受け持っている教師の男性。

 少女は齢十三という年齢であったが、人を見る目に長けていた。

 教師にも色んな人がいる。レイからしてみればそれこそ、なぜこんな人が教師として努めていられるんだ、と思えるような人もいた。

 そんな中、クラムは数少ないレイの目に適っていた教師で。

 だからこそ選択期間に入って即行で希望所を提出しようと思っていたのだが―――


「期間もまだあることだし、ゆっくりと考えてみてはどうかな?」


 と。

 当の本人であるクラムに言われてしまった。

 ―――断られた?

 瞬時にしてそう思ったレイは顔を青褪めた。

 しかし聞こえてきた苦笑に、はっと我に返る。

「………カンチ先生…」

「やあ、シュリンプ君。お話中なのに部屋に入ってしまって悪いな」

「…いえ……」

 部屋の入り口に、自分達以外の人物がいた。

 ソウジ・カンチ教授。当学校において錬金術学を専門に受け持っている教師の男性。

 彼もまたレイの目に適っている教師であり、クラムと同年に学を修めたこともあって二人はとても仲が良かった。故に、レイがカンチと関わる回数も多い。

「…カンチ。普通は部屋の主である俺に断りを入れるものじゃないのか?」

「まあまあ、気にすることじゃあないだろう。それよりおもしろそうな話をしているようだな?」

「? おもしろいってどういうことですか?」

 レイは眉を寄せる。

 少なからず、カンチに対して苛立ちを感じたとしてもレイに非はないだろう。

 彼女にとってはこの専門の選択によって、今後の人生が左右されるといっても過言ではないのだから。

 そんなレイの様子に気づき、カンチはやはり苦笑をしたままで「悪い、悪い」と謝罪の言葉を口にした。

 さすがに教師に謝られてしまえば責めることもできず、レイは少しだけ頬を膨らませてそれ以上の追求をやめる。レイは才女と噂される生徒であったが、まだ小さな子供に過ぎない。カンチらからしてみればまだまだ純粋な少女で、才女とは名ばかりの極々普通の年頃の女の子である。

……余談だが、後にカンチらも歯向かうことを躊躇い、苦笑せざるをえないような立派な女性になるということとは、この時は全くもって想像もしていなかったりするのはここだけの話だ。

 カンチはゆっくりとした足取りで部屋の中へと入り、レイ達の近くにあった椅子に適当に座る。

 いつの間に用意したのか、クラムがカンチにコーヒーを差し出した。

 カンチはゆっくりとそのコーヒーを口にした後で、懐から取り出した煙草に火をつけていっぷくする。

「………で、クラム。君は彼女を押すわけだな?」

「ああ。彼女は優秀だ。そして俺が思うに、きっと彼女との相性はいい」

「なるほど…」

「シュリンプ君はきっと、俺達の『仲間』になれる」

「………ふむ」

 目の前で交わされる会話。

 それに口を挟むことはできず、レイは秀麗な眉を寄せる。

(…彼女? 仲間? ……一体何のこと?)

 二人が何を話しているのか、レイにはさっぱり分からない。

 ただ静かに、カンチが来るよりも先に差し出されている、既に冷め気味の紅茶を飲むことしかできない。

「……しかし彼女は嫌な顔をしそうだな…」

「まあ、それが彼女だからな。大方、面倒だと言う…だろうな」

「大方じゃなくて確実の間違いだろう?」

「確かに…。しかも俺達がけしかけたとばれたら何と言われるか…」

「いや、別に怒ったり何かを言ったりはしないだろうが……………あの無表情で一瞥されるだろうな」

「…ああ、そうか。その線が強いか」

 二人の会話はまだまだ続く。

 レイは知らず知らずのうちに、紅茶のカップを持つ手に力をこめていた。

 同じ場所に居るのに、自分を除け者にして目の前で会話が繰り広げられて気分がいいはずがない。しかももともとは自分の大切な話をするはずだったとなれば、更に気分が悪くなるというものであろう。

 ――イライラする。

 子どもらしく感情の起伏が激しいレイは、その時自分の中で何かが切れる音を聞いた。

「………クラム先生、カンチ先生」

 我慢がならず、レイは二人の名前を呼ぶ。

 そこでようやく、二人は今思いだしたとばかりにレイへと視線を向けた。

「…悪かった、シュリンプ君」

「……いえ…。でも何の話をしているんですか?」

「ああ、実は……」

 と、言いかけて。

 カンチは口を閉ざし、クラムへと視線を向けた。

 アイコンタクトをするように視線を合わせた二人は、同時に苦笑し始める。

(…………?)

 またも不審げに眉を寄せるレイ。

 もう一度謝罪の言葉を口にしたカンチが、改めて言葉の続きを口にし始めた。……どこか、悪戯めいた笑顔を潜めながら。


「シュリンプ君は古代魔法学をどう思う?」


 そう尋ねられて。

 レイの頭に真っ先に浮かんできたのは、〈ミス・眼鏡〉と名高い女教師の姿だった。

 思わず顔がしかめっ面になる。

「………古代魔法学…ですか…?」

「そう。君は、興味はないか?」

「…興味がない……わけじゃないですけれど…、黒魔術ほどの興味はない…です」

 興味がない、わけではなかった。

 現時点で黒魔術に一番興味をもっているとはいえ、魔法学校に入学した当初、レイが最も関心があったのは古代魔法学だったのである。

 ――古代魔法学。

 言葉通りに遙か昔の古の魔法。

 それがどういった魔法であるのかをレイは知らなかったが、幼い頃に父の部屋でみた古い文献に書かれていた言葉によれば『全ての魔法の基礎となるもの』ということだった。

 その文献を見た時、レイはひどく感動めいたものを感じずにはいられなかった。

 自分もそんな魔法を使えたらどれだけ素敵だろうか、と。

 幼心に夢をみた記憶もまだ新しい。

 ―――しかし。

 魔法学校で古代魔法学の授業を受けた途端、レイは絶望を覚えた。

 板所、板所、板所の嵐。

 担当教官である〈ミス・眼鏡〉は授業中、延々と黒板にこれでもかというくらいの文字を書き込み、一切の説明をしなかったのである。

 しかもその内容は魔法史学と被るもので。

 レイは瞬時にして古代魔法学に抱いていた夢を打ち砕かれた。

 同時に担当教官を好きにはなれなかった。

 しかめっ面のまま口を閉ざすレイに、カンチとクラムは顔を見合わせて苦笑する。

「…本当は、これはルール違反なんだけれどね」

「?」

「君達には俺達の口から少し、話してもいいかと思って」

「君達……ですか?」

「そう。実はシュリンプ君以外にもう一人、見込みのある生徒を勧誘している」

「はあ……」

 誰のことか気になったが、クラムらの表情を見る限りでは聞いても教えてくれそうにないと判断し、レイは尋ねることをしなかった。

「本当は入学してからの二年間の内に、シュリンプ君ら自身から彼女に興味をもってくれると思っていたんだが……どうにも彼女がうまく逃げていたみたいでね」

「そうそう。だから俺達は最終手段をとろうと思ったわけだ」

「逃げ……て…?」

「ああ。どうも彼女は君達に、俺達と同類という空気を感じ取ったらしくこの二年間、必要以上関わることがないようにうまく立ち回っていたからなぁ」

「はあ……」

(同類? 立ち回る? ……意味が分からないわ、全然)

「本当ならルール違反だが、彼女がそういう手でくるのなら俺達もこうする以外にないと思ったわけだ」

 レイは今までの会話の内容を整理するために、考え込んだ。

 どうやら目の前の教師二人は自分に古代魔法学を専門にとることを勧めているらしい。

 ルールだとか逃げるとかの他の意味はさっぱり分からなかったが、それだけは何とか理解することができた。

 しかしここで浮かんでくるのは新しい疑問なわけで。

「……失礼ですが、どうして先生方は私に古代魔法学を勧めるんですか?」

 それほどまでにクラムらが勧める気持ちが、レイにはさっぱり分からなかった。

 何といってもレイの中では、古代魔法学の教師の印象は最悪でしかなかったのだから。

 目の前の教師二人は生徒達には断然人気がある。はっきりいって〈ミス・眼鏡〉とは対照的な存在といっていい。

 そこにある繋がりが、レイには見えなかった。

「それは君が俺達の『仲間』になれると思ったからだよ」

 クラムが微笑みながら答える。

 カンチも同じような笑みを浮かべていた。

「……先生方と、マーリン先生とはどういう関係なんですか?」

「それはまだ言えない。言える時があるとしたらそれは、君が俺達の『仲間』になった時だけだ」

「………それじゃあ、マーリン先生は先生方が強くおすほどの凄い人なんですか?」

「それも言えない。それも答えれるとしたら、君が俺達の『仲間』になった時だけだ」

「………」

「中途半端で悪いとは思う。けれどこれは君にとってきっかけに過ぎないと思ってくれて構わない」

「きっかけ…ですか……?」

「そう、きっかけだ。シュリンプ君が関係ないと思ったならば忘れてくれればいい。そう思ったならば、俺は一も二もなく君を俺の受け持ちの生徒として承諾しよう」

 クラムが先程、レイに手渡された希望書をそっと返しながら言う。

「君は優秀だからね。俺の受け持ちの生徒になるのに何の依存もない。寧ろ大歓迎だ」

「だったら……っ」

「――でも、だ。できれば君には俺達の『仲間』になってほしい」

 クラムはまだ微笑んでいる。

 しかし、その瞳は真剣そのものといってよい。

「………どうしてそれほどまでに『仲間』を増やそうとするんですか…?」

 レイには『仲間』がどういったものであるのか分からない。

 けれど、クラムらがその『仲間』を一人でも多くしようと願っていることだけはひしひしと伝わってくる。

「それは………」


「―――――――彼女が孤独だからだよ」


 クラムの言葉を遮るように言葉を発したのはカンチ。

 彼の瞳もまた真剣そのものだった。

 レイは思わずごくりと唾を飲み込む。

 そんなレイに気づいているのかいないのか、カンチはゆっくりとした口調で言葉を続ける。

「……彼女は常に一人だ。俺やクラムら、そして今は彼もいるから孤独ではないと言いたい……が、それでもその立場を考えれば彼女は永遠に孤独だ。言ってしまえば『異端者』。異端者は忌み嫌われる。そう遠くない未来、馬鹿な奴らが彼女を陥れようとするだろう。…その時、『仲間』は一人でも多い方がいい」

 ――圧倒。

 レイは何も言えなかった。

 ただのきっかけと言いながらも真剣な二人の教師に、レイはそれ以上何かを言うこともできずに。

 結局クラムに提出しようと思っていた希望書を片手に、その研究室を後にするより他になかった。

 そしてその日より既に一週間が経ち、今に至る。

「………どうしろっていうのよ、もう…っ」

 紙をクラムにさっさと提出してしまえばいい。

 しかしそうすることができないのは、引っ掛かりを覚えてしまったから。

 ただならぬ教師二人の様子が気になったというのも理由の一つ。

 同時に。

「…………よくよく考えれば私、彼女のことよく知らないのよね…」

 よく知らない。

 だからこそ、第一印象のままに嫌いな教師だと思い続けてきた。

 今になって考え直してみれば、物事をよく考えるレイにしては珍しい判断の仕方といえる。

 クラムらの話もあることから、レイは彼女のことを知ろうと思い立った。

 ――が。

 思い立ったのはいいが、既に一週間が経っているというのに何の成果もなかった。

 クラムらの話を聞いた今だからこそ分かる。

 確かにレイは授業外で〈ミス・眼鏡〉と遭遇する機会が全くなかった。全く、なかったのである。これにはどうして今まで不思議に思わなかったのかを疑問に思ったくらいで。

 現時点の成果といえば間接的な情報のみ。

 〈ミス・眼鏡〉は生徒達全員に嫌われているということ。

 〈ミス・眼鏡〉は一部の教師を除いて教師軍にも苦手とされているということ、

 くらいなものでしかない。

 その見事な嫌われよう振りに、思わず頭の中で拍手すらしてしまったほどだ。

(……これだけ徹底してると、逆にわざとそうしむけているように思えなくもないのよね)

 レイ自身、自分では気にしていなかったが、既にこの時点で彼女に対しての好奇心が小さく芽生えていた。

「……ああっ、もう…っ!!」

 がしがしと頭を掻きむしりたい衝動に駆られるのを堪え、レイはそのまま紙を握り締めて机に突っ伏した。

 そのまま突っ伏し続けること数分間。

 ふと感じた視線に、レイは俯いていた頭を上げた。

「………?」

 不自然でない程度に周りを見回す。

 しかしこれといって自分に向けられている視線はなかった。向けられている視線があるとしたら、いつもの男子からの好奇の視線と女子からの嫉妬めいた視線だけでしかない。

(………気のせいみたいね)

 そう思った時、机を挟んだ向こう側に一人の男子生徒の姿を見つけた。

 仲が良いわけではない。

 けれどレイはその男子生徒のことを噂程度には知っていた。

 何故ならば、その男子生徒は才女と称されるレイには適わないものの、成績ではレイの次点を常にキープしている優秀な生徒だったからだ。

 その男子生徒は何かを考え込むように、一人で云々と唸り続けている。それこそ周りが見えていないかのように。

 目敏いレイは彼が手に持っている紙が何であるかに気づいた。

 ―――担当教官希望書。

 レイが今持っているものと、全く同じ物。

(? 確か彼は白魔法が得意だったと思ったけど…)

 レイが黒魔法を得意とするように、彼――ネイト・ラブワームという男子生徒は逆に白魔法を得意としていた。噂話が正しければ、の話だが。

 何を悩む必要があるのだろう。

 疑問が頭を過ぎる。

 ちょうどその時。

「あ……」

「………!」

 レイとネイトの視線がバチッと重なった。

 少し驚いたレイだったが、どうやら驚きは相手の方が大きかったらしい。

 ネイトは瞬時にして顔を赤らめると、あわあわと妙な動きをし始めたのである。

 レイからしてみれば変な人だ、と思うしかなかったりするが、ネイトからしてみればそういう問題ではない。そもそも今まで自分は周りが見えずに云々と唸り続けていたというだけでも恥ずかしいのに、それを見られたのが学園でも有名な才女にして美少女なのである。顔を赤らめずにしてどうしろというのか。

 ……余談だが、まだまだ子どものネイトもまた、純粋な少年だったのである。―――この時は、まだ。

 レイはそのまま無視しても良かったのだが、少し考えた後に軽く会釈をして微笑んでおくことにした。

 社交辞令的な行為。しかしレイ自身気づいていない深いところでは、ネイトに同志のような何かを感じとっていたのかもしれない。

 これといって話をすることもないので、会釈だけをしてレイは椅子から立ち上がり、その場所から立ち去る。

 だからレイは知らない。

 そんなレイの背中をネイトが意味ありげに見つめていたということを。

「………シュリンプさんはどうしてまだ希望書を提出していないんだろう…?」

 全く同じ疑問をネイトも抱いていたということを、レイが知る由もなかった。





 そこにレイが足を運んだのは偶然か、必然か。

 特に何か考えがあってそこに向かったわけではなかった。

 あるとすれば、少し頭を冷やそうと思って静かな所に行きたかったというくらいで。

 向かった場所は学園の外れにある森。

 そしてそこで――――レイは彼女と遭遇した。

(な………っ!?)

 足が止まる。

 視力がいいレイは、かなり先に見覚えのある姿を発見した。

 ―――〈ミス・眼鏡〉。

 中々授業外で見かけないと思っていた女教師の姿がそこにあった。

 一番大きな木に凭れかかるように寝そべって、うつらうつらと船を漕いでいる。

 動揺が走る。

 レイは知らず知らずの間に自分の気配を消した。

(……チャンス…といえばチャンス…よね…?)

 彼女を捕まえるチャンスだと思った。

 声をかければいいのだと思った。

 しかし気がついたら気配を消してしまった手前、このまま普通に話しかけることができない。

「…………」

 束の間の思案の後、レイは意を決したように彼女の傍へとこっそりと近づいていった。

 本当に眠っているのか、いないのか。レイには判断がつかない。だが少なくともレイへと視線を向ける気配はなかった。そのことにほっと胸を撫で下ろす。

 そしてかなり近づいたところで、

(―――――ッ!?)

 レイは更なる動揺を体中に走らせた。

(き…、気づかなかった………)

 ちょうど先程までの位置からは死角になる木の向こう側に、彼女以外にもう一人の姿を見つけたからだ。

 その人物もレイに気づいていないのか、こちらに視線を向ける素振りはない。

 一人ならまだしも二人。

 レイは急に自分がいけないことをしているような気分になり、うろたえた。

(どうしよう…。でも今更気配を現すのも怪しすぎだし……)

 距離が近づいたからか、うろたえるレイの耳に彼女らの会話が聞こえるようになる。

「…………うるさいから静かにしてくれない?」

「俺は何もしてないってば」

「してるじゃない」

「何を?」

「『それ』、呼んでいるでしょうが」

 無表情だと思っていた女教師にしては珍しく、不機嫌に眉を寄せているのが分かった。それにどことなく声色も機嫌が悪そうである。

「……ああ。でもこれはユキが呼んでるんだろ?」

「呼んでないわよ」

「いいや、呼んでるね。っていうか、ユキっていう存在自体が『みんな』が集まるもとじゃないか」

「別にそんなこと望んでないわよ」

「そもそもユキが望まないからこそ、『みんな』が余計に君の周りをうろうろするんじゃないか」

「何よ。私が悪いっていうわけ?」

「そう聞こえたんならそうなんじゃないのか?」

「………失礼だわ」

「俺にとっては『みんな』に同情したい気分だよ」

「………」

 沈黙により、嫌な気配が辺りにざわめく。

(……相当機嫌悪いわね、これは…)

 隠れているので完全に彼女のことを伺うことはできないが、それでもそれを感じ取ることはできた。

 どうもタイミングが悪い時に来てしまったらしい。

 レイはそう判断し、困惑する。

 再び言い争いが続くと思われた……のだが。

「……………はぁっ」

 次に零されたのは、大きな溜息一つ。

 そのため息を零したのは―――他でもない彼女。

 面倒くさそうな表情をしながら、彼女はもう一度溜息をついた。

「…分かったわよ。相手してあげればいいんでしょう。…ったく…」

 面倒だわ。

 面倒以外の何ものでもないわ。

 っていうかどうして私が言い包められないといけないのよ。

 と、ぶつぶつと呟く声が聞こえる。

 ――同時に。

 レイが感じ取ったのは、魔力の発動。

 その魔力は桁違いの大きいものというわけではない。

 しかし桁違いだといえば桁違いなのだと納得してしまえるようなもので。

 ――言ってしまえば、異質。

 レイ自身には持ち合わせていない、強大な《力》。

 くるくるくる、と。

 彼女は指を回す。

 詠唱と思われる何かを囁いていると分かったが、声の小ささからそれはレイには聞こえなかった。

 レイが聞こえたのは、次に発せられた言葉。


「――――来たければ来なさい」


 横暴な物言い。

 誰も歯向かうことのできないような、偉い雰囲気を匂わせる口調。

 そして、雰囲気。

「――――ッ!!?」

 息を、飲む。

 レイは今まで嘗てないほどにその瞳を大きく見開いた。

 胸に広がったのは、喩えようもないくらいの高揚感。

 ドキドキした。

 知らず知らずのうちに頬が紅潮し、馬鹿みたいに口を開いていた。

 それは、レイの知らない世界。

 それは、年頃の少女ならば誰でも一度は夢見るような不思議な世界。

 それは、魔法使いならば誰でも目を見張るような光景。

 小人に妖精、精霊に聖獣など。

 たった今までそこにいなかったはずの生き物たちがそこにいた。

 キラキラと輝く。

 それは魔力による輝き。はっきりと見てとれるほどのその輝きの魔力は想像もできないくらいの大きなものだろう。

 目を奪われる。

 いや、目だけではなくてそこに広がる光景にレイは全ての意識を奪われた。

 レイが幼い頃に憧れた光景が目の前にある。

(…すご…い…………っ!)

 言葉すらでないほどに、レイは感動を覚えた。

 ――この景色をけして忘れないだろう。

 惹かれ、停止している頭の中でそれだけを強く思った。

 幸せな時間。

 けれどその時間はそれほど長くは続かなかった。


「…………それで、そこにいる少女は何をしているわけ?」


 突如掛けられた声。

「…ッ!?」

 レイは心臓が一瞬止まるかと思った。

 その後でばくばくと大きな音を立て始める。

 つつぅ…っと冷や汗が流れた時、再度声を掛けられる。

「気配を消しているつもりかもしれないけど、ばればれよ? 諦めて出てきた方がいいわ」

 その言葉に、レイはびくっと体を奮わせた。

(……気づかれてたわけ…?)

 知らされた事実にレイは渋々と観念して気配を消すのをやめ、彼女の前に姿を現した。

「……あれ?」

 身構えたのも一時のことで、レイはすぐに呆気にとられるように瞬き、目を擦る。

 さっきまでそこは不思議な空間であったはずなのに。

 ほんの少し、目を逸らしただけだったのに。

 改めて向き直ったその場所は、何の変哲もない森の一風景に過ぎなかった。

 さっきまで見ていたのは夢か、幻か。

 そう思い、レイは何度も瞬きをする。

「………え…、でもさっきまでは……」

「もう見ることは無理よ、シュリンプ少女」

「え……」

「さっきまでは魔力の放出が激しかったから魔力の低いあなたにも見えていたかもしれないけど、もう普通に抑えているから見えるはずないわ」

 その言葉に少なからずショックを受ける。

 しかし反面では、先ほどの光景が夢でも幻でもないという事実を喜んだ。

 はっと我に返る。

 目の前に、〈ミス・眼鏡〉と称される女教師。

 さっきまで傍にいたはずのもう一人の人物はいつの間にかそこからいなくなっていた。

 二人きり。

 レイは緊張に、体を強張らせる。

「…それで、あなたはそこで何をしていたわけ?」

「それ…は………」

 理由を言うのが躊躇われ、レイは口ごもる。

 女教師はそんなレイを少しの間じっと見つめていたが、ややあって。

「……まあいいわ。用がないなら早く戻った方がいいわよ。こんな所に来るなんて物好きもいいところだもの」

 彼女は無表情のまま淡々と告げると、初めにそうしていたように瞳を閉じる。

 何か言われると身構えたレイは呆気にとられた。

(……何、この人…)

 ――変な人だ。

 レイははっきりとそう思った。

 だが彼女の寝息が聞こえ始めたところで、はっと我に返って声をあげる。

「あ…、あの……っ」

 この時、レイの中で彼女に対する嫌な印象は既になくなっていた。

 芽生えていた好奇心が膨らみ、自分自身でも分かるくらいにそれが胸の中に広がる。

 声を掛けたのは、このまま無視されたくなかったから。

 話をしてみたい、と。

 レイはそう思ったのだ。

 そしてその思考は、どうやらレイに突拍子もない言葉に走らせたらしい。

 何かを言わなければ。

 しかし何を言えばいいのか分からない。

 言うことがないのか、ありすぎて分からないのかはレイ自身よく分からなかったが。

 眠りを邪魔されたからか、少しだけ眉間に皺を寄せるようにしてゆっくりと開かれる彼女の瞳。

 それを見計らうように、レイは言葉を続けた。


「私の担当教官になって…っ!!」


 そして言葉を発してすぐに、レイははっとした。

(……い、今、私…、何て言った……?)

 その言葉を口にしたレイ自身が一番驚いた。まさか自分で自分がいきなりそう言うとは思いもしなかった。

 驚き。そして緊張からレイの鼓動がうるさく音を立て始める。

 彼女の視線とレイの視線が重なる。

 ゆっくりと、彼女の口が開かれた緊張の一瞬―――その後で。


「面倒だから却下」


 彼女はあくまで無表情で、淡々とした口調で言い切った。

 これにはさすがのレイも唖然とするより他になく、馬鹿みたいに口を開けて硬直する。

 だがそこはレイの性格と人の質というものか。すぐに復活して反論し始めた。

「な…。ど、どうしてよ…っ!」

「面倒だからって言っているじゃない」

「そ…、そんな理由で……」

「それにどうせソウジ達あたりにそそのかされたんでしょう? 彼らのしそうなことくらい、見当がついているわよ」

「う……」

「それに貴方の得意なのは黒魔法でしょう? どうせ古代魔法なんて使えるわけないんだからやめた方がいいわ」

「な……っ」

「っていうか、私が面倒だからやめてちょうだい」

 開いた口が塞がらないとはこのことなのかもしれない。

 レイは生まれて初めてそういった状況があることを知った。

 言いたいことを言い切ったのか、彼女は再び目を閉じる。傍にいるレイを知らん振りするように、すぐに寝息を立て始めた。

 わなわなと体が奮える。

 レイの中に湧いてきたのは―――対抗心。

 ふつふつと煮え滾る熱いものをレイは自分の中に感じ取った。

 レイは燃えていた。

 それはもう、誰が見てもわかるくらいに感情を高ぶらせていた。

「マーリン先生!!」

 叫ぶ。

 ビシッと指を指す。

 人を指差してはいけません、と親に幼い頃から言われていたが今はそんなことは関係なかった。

 燃え滾る気持ちそのままに、レイはここに宣言した。


「私、絶対に貴方の教え子になってみせるんだから…っ!!」


 声高らかに言い切る。

 負けない。

 認めさせてみせる。

 そう言い切って、レイはズンズンと足音を立てて勇ましい足取りでその場を後にした。

 レイの立ち去る気配を感じて、ユキはゆっくりと瞳を開く。

 その表情はげっそりという表現が相応しいものだった。

「…………だからあの子と関わりたくなかったのよ…」

 いっそのこと、記憶置換なり何なりすれば良かったわ。

 大きな溜息とともにそう呟いて、疲れたような表情を浮かべる。

「………ソウジたち…、覚えてなさいよ」

 ここにいない人物を頭に思い描き、ユキはほんの少しだけ剣呑な色を瞳に浮かべたことを、カンチ達はおろか、レイが知る由もなかった―――――





「シュリンプ先生、シュリンプ先生。……寝ているんですか…?」

「……ん…。あら、カンチ先生。………私、寝てました?」

「ええ。とてもぐっすりと」

「………そう」

 声を掛けられてレイは目を覚ました。

 周りを見回すまでもなく、周りの空気や雰囲気でここがユキの研究室であると知る。

 徐々にはっきりと戻ってくる記憶。

 レイは自分がユキとお茶をするためにここに訪れていたことを思い出した。

 窓の外を見れば既に夕焼けが広がっている。レイがここに来た時はまだ昼中だったことを考えれば、結構な時間眠っていたことになる。ユキとお茶をした記憶はあるものの、その後の記憶が一切ない。ということは、その後ずっと眠っていたということだろう。

「……ユキは?」

「私室に物を取りに行ってるよ。ちょうどすれ違いで俺がここに来たんだ」

「…そうなんですか」

 レイは軽く背伸びをする。

 するとタオルケットが小さな音をたてて床へと落ちた。おそらく寝ている自分に掛けられていたのだろう。

 落ちたそれを拾い上げ、丁寧に畳む。

「飲みますか?」

「ええ、頂きますわ」

 寝起きに、と差し出された紅茶をレイは受け取り、一口飲む。

 体の中を伝わる紅茶に、さらに思考がクリアになった。自分では目覚めているつもりだったが、まだ幾分かは寝ぼけていたらしい。

 見れば、カンチが柔らかい笑みを浮かべている。

「良い夢でも見られたんですか? やけにさっぱりした顔してますよ、シュリンプ先生」

 言われて、レイは自分の頬を軽く触れてみた。

 確かに頬が緩んでいる気がしないでもない。

 夢の内容を思い出し、レイはふわりと笑みを浮かべた。幼かったあの頃、夢の中の少女を思わせるような笑みである。

「ええ。とても良い夢でしたわ。昔の……ユキと出会った頃の夢でした」

「ほう…。それは………懐かしいですね」

「ええ。カンチ先生方には感謝してるんです、私」

「ははっ。そんな大層なことはしてませんよ」

「いいえ。私がユキと本当の意味で出会うことができたのは、貴方方のおかげですから」

 ありがとうございます。

 綺麗に微笑みながらお礼の言葉を口にするレイ。

 カンチは柔らかい笑みでもってそれに応えた。

 かたん、と扉が開く音がする。

 気配でそれが、ユキが戻ってきた音だと分かる。

 二人は扉へと視線を向けた。

 予想通りの人物が扉から部屋の中へと入って来て、起きているレイを見て一度瞬きをする。

「あら、起きたのね。レイ」

「ええ。おかげさまでぐっすり眠れたわ。ありがとう、ユキ」

 レイはユキに向かって微笑みながら、ふと思った。

(…せっかく昔の夢を見たんだもの)

 今日はこのままユキとカンチと、昔の思い出話に花を咲かせるのも悪くない。

 そう思い、レイはユキに向かって話し掛けた。

「ねえ、ユキ。私達が初めて出会った時のことを覚えてる?」―――と。


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