6 最後の準備
いよいよ本番が目前に迫る
悔いはないか
満足のいくまで努力をしたか
――――勝負は明日のステージで
文化祭前日。
学園長であるレイはその思い切りのよさで全ての授業を休校にした。
おかげでいつもなら授業中で静まっている午前中のこの時間も、学園中のあちこちで生徒達の騒がしい声が聞こえている。
祭りとは違い、祭りの準備ならではの賑やかさが学園に広がる。
それは、まあ、悪くはない雰囲気だった。
「……皆、頑張って青春しているわねぇ…」
しみじみと。
思わずそんな風に言葉を零した私に対して、速攻でツッコミが入る。
「ちょっと、ユキ。年寄り染みたこと言ってないでくれる?」
「いいじゃない。実際に年寄りなんだから少しくらい気遣ってくれてもいいと思うけれど?」
「…まあ、確かに年寄りなのは否定しないけど、一応外見年齢は若いんだから、それ相応の態度ってのもあるだろ」
「まあまあ、リイチ…」
窓辺に椅子を置いて、窓から忙しなく学園内を駆け巡る少年達を見下ろしていた私。
そんな私に呆れた口調で毒を吐いたハリバット少年を、後ろからシーバス少年が宥めた。
宥められたハリバット少年は疲れたように溜息を零す。
どうやら毒を吐くのをやめたらしく、普通の口調で――とはいえハリバット少年の普通の口調事態も毒吐きと大差はない――改めて口を開いた。
「――で、今暇なんだろ?」
「そうね。皆と違って受け持ちのクラスがないからやる事はないわね」
生徒である少年達だけが忙しいわけではない。
学園では教師達も同じように忙しなく動き回っている。
特に担当の専門教科のクラスだけでなく、一学年と二学年のクラスも同時に受け持っている教師はそれこそ本当に忙しそうだった。
教師ではない用務員のおやっさんも、明日のご馳走のためにと今日は下ごしらえに励んでいると聞いた。深夜から早朝にかけてが一番忙しくなるそうなので、誰の邪魔も入らせないように結界をはるとか聞いた時は、おやっさんの本気モードに、あらまあ、と思ったものである。
………ん?
すると今暇なのは、もしかしなくても私だけなのだろうか。
ふとそんなことを考えるが、下手に面倒事を押し付けられるのも嫌なので敢えて気にしないことにした。
「それじゃ最後の仕上げとして俺達に付き合ってくれるよね?」
「そうね。一応担当教官として君達の出来栄えを知っておく必要があるものね」
「当たり前だろ」
「それで…何処に行けばいい? 私はここでも構わないけど、やっぱり今まで使っていた場所に行くの?」
「こんな汚い場所、俺はごめんだよ。シュリンが待ってるからあっちに移動するよ」
ばっさりとハリバット少年に汚いと称された私の研究室。
それは無理もない話で。
先日のお茶会以降、忙しいからか真田少年がなかなか遊びに来ないので、私の研究室は見事なほどに散らかっていた。
たかが数日と侮るなかれ。
最近は訪れる少年達もいないのをいいことにして自分の研究に没頭していたため、それに使った資料をぽいぽいと無造作にあちこちに置いたままの状態になっている。別に私は自分で何を何処に置いたかは記憶しているので困ることはない。――が。
……今度マッカレル少年が来た時にまた怒られるのは確実だろう。
私はハリバット少年の言葉に頷くと、少年達の後ろに続いて研究室を後にする。
向う先は小講堂の一つ。
彼らが文化祭の練習のためにと借りている部屋である。
別に普通の教室を借りても良かったのだが、講堂ということもあって防音が効いていることと、滅多に使われていない人の来ない場所だという理由から好都合だと考え、そこを使い続けていたらしい。
当然ながら私は何も関わっていない。部屋を借りる面倒な手続きをしたのはハリバット少年達であり、私は学園長のレイから事後報告を受けただけだ。
小講堂までの道程で他の少年達とすれ違う。
私に何故か興味を持ってしまった一部の少年達を除けば、女看守のような〈ミス・眼鏡〉な私を好いている生徒はいなく、すれ違う前にあからさまに避けるように距離をとってくる。その後で私と一緒に歩いている奇特な少年達に信じられないという眼差しを向けるのも、いつもの光景といえた。
それに気づき、傍を歩くシーバス少年が苦笑した。
「相変わらず、ですね」
「そうね。でもあれが普通の反応でしょう?」
「……まあ、確かにそうかもしれませんが…」
再び苦笑するシーバス少年。
私は何気に向けられていた好奇の視線の一つへとこちらからも視線を向ける。
びくり、と身体を震わせた少年は、脱兎の如く走り去った。
……うーん、何だか奇怪な生き物か何かになったかのようだわ。
私の横暴な態度と授業方式からこれでもかというくらいに嫌う生徒は後をたたない。
同時に、あの事件以来人を悪魔か何かのように恐怖の対象と見る生徒もちらほらといるようで。
「いっそのこと鞭も装備しておくべきかしら」
人によっては冗談ととらえるかもしれない。
けれど私は別に冗談でもなんでもなく、いたって普通にさらりと告げる。
「………いや…、それは……どうかと…」
シーバス少年はぎこちなさを更に上乗せして苦笑した。
「あら、残念」
「……ははは…は…」
乾いた笑いがこぼれる。
話している間にどうやらハリバット少年との距離が離れていたらしい。
「ちょっと! 何ちんたら歩いてるんだよ!!」
少し離れた前方からハリバット少年が怒鳴る。
「すまない、リイチ」
シーバス少年は申し訳なさそうに謝罪し、歩く足を速めた。
それとは対照的に、
「君の歩きが速いの間違いでしょ」
私は何を、とばかりに反論してみせた。ただし、シーバス少年に合わせるように歩く足を速めて。
そして、前方にいるハリバット少年の秀麗な眉がぴくりと動くのを私は見逃さなかった。
明日のための予行練習。
三人の少年達による合奏を聞き終えた私は、第一声よりもまず先に。
ぱちぱちぱち。
と、ささやか過ぎる拍手を送った。
私としては素直に褒めたつもりだったのだが、少年達は三人三様の反応をみせる。
「………おい、馬鹿にしてんのかよ、ユキ」
頬を少し引きつらせて低い声を出したのはヘリング少年。
どうやら怒りを堪えているらしい。
「………ちょっと、何? そのわざとらしい拍手は」
眉を吊り上げて鮮やかすぎる笑顔を浮かべるハリバット少年。
笑顔なのに笑顔でないのは気のせいではあるまい。
「ありがとう、ユキさん」
素直に拍手を受け止めたのはシーバス少年。
嬉しそうに素直に微笑むその姿は歳相応の少年のもので、可愛らしい。たとえ見かけが大人びて見えても。
「別に馬鹿にしてなんかないわよ? 素直に褒めているもの」
「…いーや、俺には馬鹿にしているように聞こえたな」
「同感」
「失礼ね、二人とも」
どうやら私の反応がお気に召さなかった少年二人が悪態をつく。
拍手がだめだったのだろうか。
私としては、淡々と感想を述べられるよりは――自負しているように、私は感情を表にあまり出さない人間なので――こちらの方がいいだろうと考えてのことだったのだけど、その考えは間違いだったらしい。
怒らせてしまったようだと思ったが、別に気にするほどのことでもないかと結論づけることにした。
そのまま言葉を続ける。
「よくそれだけ弾けるようになったわね、短期間で」
私の記憶が確かならば、少年達が練習を始めてから一月と経っていない。
ここだけの話、一月ばかりじゃ音を出すのも無理かもしれないという考えもあったのが事実。
挑戦的に言葉を受け止めたハリバット少年が鼻で笑った。
「ふん。俺達を誰だと思ってるわけ? できないわけないだろ」
「そうね。随分と努力したみたいだものね」
ちらりと私が部屋中を一瞥する。
それに気づき、ハリバット少年達が言葉を飲み込んでばつの悪そうな表情を浮かべた。
――努力。
まさにそれを表すかのように。
小講堂内は一体何が起こったのか不思議なくらいの惨状と化していた。
小講堂そのものに結界を施していたために、部屋の外までその被害は届くことはない。
しかし部屋の中ではあちこちの壁は破れ、置かれていた椅子はあちこちに壊れた状態で吹き飛ばされ、床も本当に床かと疑いたくなるようにぼこぼこの地面となり足場が悪い。
ハリバット少年達としてもこの現状を見られるのは耐え難いことだったに違いない。
けれど、この場所で私に聴かせる為に演奏することを決めたことに対して。そして文句を言わずにばつの悪そうにするだけで何も言わないことに対して。
年頃の少年としては素晴らしいともいえるその潔さに、私は少し微笑んだ――とはいえ表情に出難いので表面的な変化は少ないだろうけれど――。
「…すみません、ユキさん。…ここをこんなに荒らしてしまって…」
シーバス少年が申し訳なさそうに謝る。
荒らす、というよりも破壊という言葉が似合いそうな惨状。
けれど、私は彼らを怒るつもりはさらさらなかった。
それに彼ら自身、自分で直せるつもりなら直していたことだろう。ただ、こういった修復は高等な魔法に値する。時空魔法に属する魔法は古代魔法、もしくは錬金術学に部類されるが、一人前の魔法使いでも上手く魔法を使いこなす者は少ない。
私は詠唱を唱え始める。
詠唱に従い、きらきらと輝く光の粒子が講堂内に広がる。
風が部屋に吹き付けたような感覚と同時にこの場所だけ時の流れに変化が生じる。
ぱちん、と小さく一回。
指をならすとともに、あっという間に小講堂内は元通りとなった。
……とはいえ、もともと古臭かったのかあちこちに蜘蛛の巣がはっているし、どことなくカビ臭い。
学園創立から二年半と真新しいこの学園には酷く不似合いといえる。
……レイってば、潰れた昔の魔法学園からかっぱらってきたわね…。
確証はないけれど、と思ったのは一時のことで。
私は天井にある大きな染みを見つけて、自分の考えが正しいことを理解した。
それは確かに、昔私が見た物と同じ染みだったのだから。
とりあえず元通りになったのを確認し、少年達へと視線を向ける。
「この調子なら明日の本番も大丈夫そうね」
「当然だろ。俺達を最初にしたことを後悔する他の奴らの顔が目に見えるようだな」
「だね。華々しくトップバッターを飾ってやろうじゃない」
にやりと笑う少年二人。
私は心の中で一度だけ謝罪した。
………ただし、目の前の少年達ではなくて他のクラスの少年達に対して。
この調子でいくと順番が次である一学年の出し物に、怖気づくとかそういった意味合いで影響がでるかもしれない。
何となく私はそう思った。
……まあ、今更順番なんて変えられないからどうしようもないけれど。
「それじゃあ最後に私からささやかなご褒美でもあげようかしら」
楽器の用意以外、何も手伝わなかったから。
これは頑張った彼らに対してのご褒美――兼、ささやかな協力。
「子ども扱いしないでくれる、ユキ?」
ハリバット少年が静かな怒りを燃やすのを、まあまあと宥めて。
私はスカートのポケットから数枚のそれを取り出す。
チャリ、と鳴った小さな音。
それに気づき、少年達の視線が私の手元へと集まった。
視線に好奇の色が含まれているのを感じ、私は彼らに気づかれないようにくすりと笑う。
そこにある物を少年達に見せるように私は手の平を開く。
「? ……コイン…?」
私に近づき、ヘリング少年が物体を確かめるように凝視する。
「そう、コインね」
ただし、ただのコインではない。
正確に言うならば――『精霊のコイン』。
精霊が作り出す源〈マナ〉の結晶であるコインは、その属性が強いほど金色に輝き、弱い物に至っては銀色に輝く。とはいえ弱いと侮るなかれ。〈マナ〉が結晶になっている時点で既に〈力〉の塊なのだから。
私はコインの正体については何も話さずに違う言葉を続ける。
「少年達のことだから、折角の発表だとしても着飾ったりしないんでしょう?」
「ったり前だろ。んな面倒なことわざわざするかよ」
「じゃあささやかな装飾と思ってくれればいいわ」
私は一番近くにいるヘリング少年の胸元へとコインを近づける。
ぽうっ、と少しだけ輝いたその後に、コインはその胸元を飾る装飾へと変化した。
呆気にとられてつけられた装飾を見るヘリング少年を後にして、私は残りの少年二人の胸元にも同じものを飾りつける。
「……ピンズ…ですか…?」
「そ。ブローチだと嫌がりそうだものね」
コインは一瞬にしてピンズへと早変りさせた。
三人の少年の胸元で、キラリと金色の輝きを放つ。
「襟章か何かのつもり?」
「そうね。別に何かを示す徽章のつもりはないけれど、そう捉えてもらって結構よ」
「ふぅん…。ま、一応もらっといてやるよ」
少しだけハリバット少年が嬉しそうに笑ったことに、私は気づかない振りをした。
いよいよ明日は本番、文化祭。
私は三人の少年の顔を順番に見る。
そこにある強い意思に、うん、と一度頷いて。
「健闘を祈るわ。明日は思う存分に頑張りなさい」
誠意を込めて、私は少年達にエールを送った。
ピンズに手を触れながら三人の少年が私を見る。
「誰にものを言ってんのさ?」「ったり前だろ」「ああ、任せてくれ」
三者三様の言葉を口にする少年達。
けれど三人とも、晴れ晴れとした表情であった。
「君達に精霊の加護があらんことを」
私のその言葉に、キラリと胸元のピンズが小さく輝いた。
夜も更けて世界が闇へと包まれる。
学園内は昼間の喧騒が嘘であるかのように静まり返っている。
生徒達の姿はない。もしかしたらまだ起きている少年達もいるかもしれないが、十一時以降は門限のために宿舎から外には出られないので起きていようが寝ていようが大した差はない。
私は学園の校舎である塔の前に佇んでいた。
傍には同僚であるソウジやマヒロ達の姿もある。
勿論、レイの姿も。
「さあ、みんな。図面は持ったわね?」
皆の手元にある図面を確認してレイが楽しそうに笑みを浮かべる。
「それじゃあ時間も限られているし、各自割り振られた場所に移動してちょうだい。早く終わった人はまだ終わっていない人を手伝うこと」
以上よ。
そう告げて手を叩いたのが合図。
楽しそうに―― 一部面倒くさそうだといわんばかりの態度の人もいたが、なんだかんだ言いながらも乗り気ではあるらしい――教師達は蜘蛛の子を散らすように散らばっていく。転移した者もいれば、ぱたぱた走っていく者まで様々だ。
その場所に最後まで残っていたのは私とレイ。
「………皆、楽しそうね…」
「あら。それじゃあユキも楽しまないとね」
「………ふぅ」
行きましょうか、とレイに言われて私もゆっくりとした足取りで歩き出す。
レイはメインであるホールの準備をすると張り切り、その途中で道を別れた。
私が担当するのは校舎の奥にある森と湖。
「………文化祭は発表でホールしか使わないのに、学園中を祭り色に染める必要があるのかしら?」
不意に浮かんだ疑問を口にする。
……まあ、気分ってことよね、結局は。
文化祭そのもののイベントは明日一日。
けれど土曜日ということもあり、次の日の日曜日は授業がない。そのため、レイは文化祭仕様の学園を日曜日もそのままにしておくと言っていた。
つまり、それは文化祭仕様にした学園で自由に遊ぶ時間があるということで。
「……レイらしいというか何というか…。まあ、仕方がないわよね」
苦笑が零れる。
私は手を前に差し出し、神名〈デヴァイン・ネーム〉を唱えた。
伸ばした手の中に〈力〉が収縮する。
生まれるように現れたのは私が愛用している杖。
片側に宝玉があるだけの古ぼけた大きな杖を手に馴染ませるように握り締める。
「協力、してあげようじゃないの」
宝玉が青色に輝く。
詠唱とともに広がる光。
そして森一帯は私の魔法によって包まれて、瞬く間に全く別物の空間であるかのように生まれ変わった。




