1 浮ついた学園の理由
秋といえば読書の秋
食欲の秋、運動の秋
…色々昔から謂れはあるけれど
とりあえず学校というもので考えるなら
それは―――イベントの秋、となるのかもしれない
そういえば、最近妙に学園内の様子がおかしかったなぁ…と。
浮かれている、とでも言うべきか。
今更ながらにそんな事を思ってしまったのは、差し出された一枚の紙を見た時だった。
「………何、この紙?」
差し出された以上は受け取らないわけにはいかないだろう。
そう思い、私はリイチ・ハリバット少年が差し出している紙を受け取る。
「見たまんまだけど」
「…見たまんま、ねぇ……」
私は受け取った紙を上からゆっくりと読み始める。
そして、一通り読み終わった後で再び目の前のハリバット少年へと視線を移した。
「………で、何?」
これがどうかしたのか。
とでも言うような口調で私は再度、尋ねる。
ぴきっと、ハリバット少年のこめかみが引きつったのは気のせいではあるまい。微かに口端が震えているのは怒りからだろうか。
「何…じゃないだろ、ユキ! あのねぇ、未だに決まってないのは俺達だけなんだよ? 分かってるわけ、あんた」
「何を分かってないといけないわけ?」
ぴきぴきっと。
今度はハリバット少年の頬が引きつった。
秀麗な眉がつり上がっていく。
……ああ、もしかしたらお馴染みのマシンガントークなるものが始まるのかもしれない。
などと頭の隅で思いつつ、それはそれで聞いていて面白いし、それくらいでへこたれるような私ではないので――寧ろ全く気にしないとでもいうべきか。右から左へと綺麗にスルーしていく。――それを待ち構える。
――が、
「まあまあ…。落ち着くんだ、リイチ」
飛び入り参加とばかりに口を挟んできたコウ・シーバス少年によって、マシンガントークは不発に終わった。
シーバス少年に宥められて、ハリバット少年は舌打ちをする。
わかっていた事だが、何とも可愛げのない態度をする少年である。
ちらりと視線を横にずらせば、シーバス少年の横にはシュリン・ヘリング少年がいて、何やら呆れたように肩を竦めているようだった。
ハリバット少年、シーバス少年、ヘリング少年の順に視線を向けて。
その後でもう一度、手渡された紙を見遣る。
「これがどうかしたの?」
私のその質問に、シーバス少年が苦笑する。
「その紙が何だか分かりますか?」
「分かるわよ。文化祭のお知らせでしょう?」
渡された紙。
そこには大きな文字で『文化祭』と書かれている。
後は細々と日付やら何やらが書かれているようだが、興味はないのでさらりと読み流しておいた。
とりあえず最近の浮かれた学園の雰囲気はこのせいだったのかと納得をした。
そういえば先日、教師の朝礼でレイがそんなようなことを言っていたかもしれないという事も一応思い出した。
……興味がないので右から左へと聞き流していたのだけれども。
「それで、これが何なの?」
「……下の方、見てみろ」
溜息混じりに、ヘリング少年が告げる。
……下?
私が読み流したあたりに何か大切なことでもあっただろうかと思い、改めて読み直す。
しかし、何か大切なことが書いてあるようには思えない。
首を傾げる私に、苛ついた状態でハリバット少年は言った。その口調は刺々しい。
「クラスごとの出し物ってあるだろ、そこに」
「ええ、あるわね」
説明事項の場所に、『クラスごとに催し事をする』をいう項目が混ざっている。一般的な文化祭であればそれは別におかしな事ではない。学校によってはクラスの団結力を高める為に、等と名目をもって取り組むところもあるだろう。
淡々と受け答えをする私に、今度はシーバス少年が言葉を続ける。
「文化祭ではクラスごとに何か一つずつ催し事をすると決まっているんですよ」
「そう書いてあるわね」
ああ、だからか、と。
私はもう一つのことを納得する。
いつもいつでも、必要以上に私の研究室に顔を出していた少年達が、ここのところあまり顔を見せなくなった。騒ぎがないのは歓迎すべきことなので、顔を見せないからといって全く気にしていなかったのだけど。
つまり、ここにいない少年達はその文化祭の出し物の為に、クラスに居残っているということなのだろう。
ここにいない二学年の少年達は、正式な私の受け持ちの担当クラスの生徒ではないのだから。
「二学年まではクラスごとなんですが、三学年からはそれぞれ専攻する科目によって分かれる事になるんです。つまり、基本クラスごとではなく、専攻ごとに催し事をするということになります」
「それで、俺達も何かしないといけないわけ」
「あら、そうなの」
面倒なことで。
と、続けようとした言葉は心の中でだけ呟いておいた。
言葉にしようものなら、ハリバット少年がますます眉をつりあげそうなので。
……私としては別に気にしないけれど、先程からハリバット少年を宥めているシーバス少年が少々哀れに見えて仕方がない。彼もまた苦労人の一人である。
とりあえず少年達が何を言いたいかという事は理解した。
ふむ、と私は一度頷いてみせる。
「それじゃあ何かやればいいじゃない」
何か催し事をやらなければならないとしても、それは生徒ではない私には関係ない。
……と思いきや、予想外の言葉をヘリング少年が口にした。
「言っとくけど、お前も無関係じゃねぇからな」
にやり、と意地の悪そうな笑みを浮かべる。
その笑みに、嫌な予感がビビッと走り抜ける。
その先の言葉を聞いたら、余計に面倒なことになりそうだと私は直感的に悟る。
聞かない方がいいと思ったものの、それは少々遅かった。
「クラスごとってのは、担当教官も含めて何かするってことになってんだよ」
「………」
……うわぁ、嫌な予感的中。
顔にはださないものの、心の中で毒づく私。
もう一度、今度こそしっかりと紙を読んでみる。
確かにそこには、こう書かれていた。
―――クラスごとの催し事には、担任、及び担当教官も協力するのが望ましい。
と。
望ましいと書かれているあたり、教師の参加は強制的ではない。
しかし何故だろう。
強制だと言わんばかりに、『望ましい』の部分が強調するように文字の色が変えられている。この紙の作成者の意図が否応なしに伝わるようだ。
加えて、『担当教官』のところにアンダーラインが引かれているところも、同様にその意図が伝わってくる。
……こんなことをするのは彼女しかいない。
というか、絶対にレイだわ。
ちらり、と紙の下方、最後の文字へと視線を向ける。
そこには見慣れたレイのサイン。
不敵に微笑む彼女の顔が頭に浮かび、私は溜息を零したい気分に陥る。
これだけ強調されているのは、間違いなく私に向けての言葉だからに違いない。
「ちなみに去年は催し物中心だったから、今年は出し物中心になってるからね」
「? どういう意味か聞いてもいいかしら?」
「いいけど、俺にもレイの考えていることなんて分からないからね」
それは嘘だろう。
そう思ったが面倒なのでつっこむことはせず、ハリバット少年の説明に耳を傾ける。
なんでも、今年は文化祭の『文化』を強調するために、全てのクラスがステージ場で順番に出し物をしていくことになっているらしい。
一年ごとに趣向をかえて、学園全部を使ってクラスごとに喫茶店やお化け屋敷などを催す年と、劇などの出し物をステージで発表していく年と交互に行っていくとのことになる。
今の世の中の学校では、何をクラスごとにやるかなどそのクラスが決めることであり、出し物にするか、催し物にするかは自由であるのが一般的のはずだ。これが魔法学校でない普通の学校ならば、クラブや部活ごとの出し物も加わると聞く。
「………」
手で顎を触れながら、私は少し考える。……までもなく。
「……去年、出し物をしたクラスはあったの?」
「一つ…もありませんでしたね。……まだこの学園が出来て二年目で、クラスも全部で四クラスしかありませんでしたから」
「……そう」
律儀に答えるシーバス少年。
予想を裏切らないその答えに、私は自分の考えに確信をもつ。
……まあ、確かにクラス数が少ないと、催し物をしたところで盛り上がりにかけるということは否定できないとは思うけれど。
「つまるところ、レイは出し物が一つもない文化祭がつまらなかったわけね」
呆れすぎて、溜息すら零せない。
私のその言葉に、シーバス少年は苦笑するだけで否定しなかった。
……自分でもそう思っているということね、それは。
ヘリング少年は、「めんどくさい」と一言言葉を漏らす。
……ああ、なんか君はこういうことに乗り気ってタイプじゃないからね。
そして最後の一人、ハリバット少年は―――
「まあ、レイだからね」
肯定の言葉を口にして、不敵な笑みを浮かべた。
さすがは従兄弟同士。
思考回路は同じで、考えることは似通っているということなのだろう。
――つまり、去年の文化祭はそれほど楽しくなかった、と。
一学年と二学年合わせて合計で四クラス。
そして今年は担当教官ごとのクラスが八クラス。
合計で十二クラスが出し物をするとなれば、これはレイ的には楽しみなことこの上ないことだろう。
彼女は昔からこういったイベントが大好きな人間なのだから。
……他に余計なことを言い出さなければいいのだけれど。
一抹の嫌な予感を覚えながら、私はその予感を意識的に忘れることにした。
とりあえず、今はクラスごとに何かをしなければならないということを考えるとして。
「……まあ、何でも好きなことをやったらいいんじゃないの?」
こういった楽しみは学生だけの特権である。
私的には勉強をすることも楽しみではあったけれど、今の少年達にとってはこういった付加的なイベントは大歓迎な楽しみに違いない。
というか、本音を言うならば私が学生の頃には文化祭というもの自体が存在しなかった。
あの頃はそんな余裕などなかったし。
……確か、レイ達が学生の頃からじゃなかっただろうか。
やれ文化祭だの、やれクリスマス会だのとイベントが取り上げられるようになったのは。
しみじみと昔日を思い出し、感慨にふける私。
きっとおやっさんなら私の気持ちを分かってくれることだろう。
年寄り同士――…いや、レイ達も十分それに分類されるのだろうけれど――、今度二人で酒を飲み交わすのもいいかもしれない。
徐々に横に逸れていく思考の中、そんなことを考える。
「……何でも好きなことを…と言っても、この人数ではできることも限られてしまいますよ」
困っています、という口調でシーバス君が言った。
「三人だものね、うちのクラスは」
「……ストップ。ユキ自身が人数に含まれてないんだけど、それだと?」
「当たり前じゃない。面倒なことを私がわざわざするわけないでしょう」
棘のあるハリバット少年の物言いに、私はさらりと答えてみせる。
ヘリング少年が今度はこめかみを引きつらせる番だった。
「ユキ、てめぇ……」
「まあ、でも協力くらいなら私だってしてあげなくもないわよ。ただし、あくまで協力だけの話だから」
担当教官に無関係ではないとはいえ、どこかに参加しろと書かれているわけではない。
書き方によるレイの意図は分かるものの、あくまで遠まわしな言葉なのだし、私が参加する義務はない。言葉を強調するような、色の違う文字やアンダーラインは私の頭の中で、綺麗にスルーすることに決められた。もうこれは決定事項だ。
「三人だからって何もできないわけじゃないでしょう?」
そもそも、こういったイベントを一番楽しみにしているのは生徒達。
ならば、そのイベントに向けて努力するべきなのも生徒達のはず。
自分が何かを楽しもうと思ったら、何かを成功させようと思ったら、そのための努力を惜しんではいけない。
人を頼りにするよりも、まずは自分の力だけで行動するのが当たり前だ。
これは、長寿故の古い考え方をもつ私の持論の一つだったりする。
「君達なら立派にやり遂げてくれると私は思っているんだけど?」
それは買いかぶりすぎだったかしら?
挑戦気味な意味合いを含めて、私は三人の少年を見遣る。
ハリバット少年が、ふっ、と鼻で笑う。
ヘリング少年が、眉を吊り上げながらぎらりと目を光らせる。
何故か二人の中央に位置していたシーバス少年が、「……あ」と声を漏らしたのが聞こえたような気がした。
ぱしんっと手を叩くように、私に渡した紙をハリバット少年が奪い取る。
そして、その紙を近場の机に大きな音を立てて叩き付けた。
「やってやろうじゃないか」
いつもの自信満々な口調でハリバット少年は言う。
私の挑戦に受けて立とうという意気込みが、ピリピリと伝わってくるようだった。
「協力だっていらねぇよ」
はっ、と鼻で笑ってヘリング少年も言葉を続ける。
意気高らかな二人の少年は、そのままズンズンという音が聞こえてきそうな勇ましい足取りで研究室を後にした。
部屋に残ったのは、私とシーバス少年の二人。
酷く疲れたようなシーバス少年に、半分同情の意味合いをこめて、その肩を軽く数回叩いてみせる。
あとの半分は激励の意味合いのつもりだ。
「頑張りなさい。君たちならきっとできる」
「……はぁ」
「それに彼らはああ言っているけど、協力くらいだったらしてあげるから」
自信をもちなさい。
言葉でそう告げる代わりに、今度は強めに背中を叩いてみせた。
疲れたような、それでいて困ったような表情を浮かべていたシーバス少年だったが、意を決したようにきりっと構えてみせる。
頑張ってみます。
いつもの朗らかな笑みを浮かべて、シーバス少年はそう告げて二人を追うように部屋から去っていった。
それなりに広い研究室に、私一人になる。
静けさが研究室におとずれる。
とりあえず面倒事に関わらずにすみそうだということに安堵して。
「………ん…?」
不意に、頭を過ぎった疑問を私は呟いていた。
「……そういえば、残りの少年達のクラスは何をやるのかしら…?」
先ほどの会話で、まだ出し物が決まっていないのはうちのクラスだけなのだとハリバット少年は言っていた。ならば他のクラスは全て決まっているということになる。
「……担任は確か…マヒロだったわね…」
彼もまた、お祭りごとが好きなタイプだったなぁと。
そんなことを思いながら、何だか文化祭当日が騒がしくなりそうだと思い、私は溜息まじりに苦笑を零した。




