7 日曜日。最後の情報?
素直な子にはご褒美を
やってくる明日の嵐を目前に
まったりゆったり過ごしましょう?
日曜日は休日。
色々とやらなければならないことがあるのかもしれないけれど、そんな事はお構いなしに私は学園内に広がる自然の中でゆっくりと寛いでいた。
天候は晴れ。
夏のせいで暑さはあるものの、幸い今日は涼しい風もある。
私は羽を休めるように、泉のほとりの木陰で木に凭れるように寝転がっていた。
「あー、この涼しい風が何とも……」
一度寝転がると起き上がるのが面倒になるという気持ちが湧いてくるもので。
今日は特にこれといった用事もないので、夕方までここで寛いでいようかと考える。
そんな昼下がり、私に声を掛ける人がいた。
「あれ? ユキ先生ですか…?」
「ん……?」
誰かと思い、閉じていた目をゆっくりと開く。
ぼんやりとした視界に入ってきたのは、三人の少年の姿。
私は三人が誰であるかに気づくと、とりあえず体を起こして軽く手を上げて挨拶をしてみせた。
「こんにちは。アルフォンシーノ少年、マッカレル少年、ポラック少年」
「こんにちは、ユキ先生」
アルフォンシーノ少年がぱたぱたと小走りで駆け寄る。別に名前を呼ばれたからといって急ぐ必要はないのだけど、ついつい急いでしまうのは彼の性分なのだろう。
その後ろからゆっくりとした足取りで残り二人の少年も私の方へと近づく。
「こんな所で何をしてるんですか?」
ポラック少年が周りを見回しながら尋ねる。
あるのは自然ばかりで他に何もないこの場所。寝転がるのには穴場であるものの、好んでこの場所に来る人は少ないだろう。学園内でもこの場所は森の中にある為、わざわざ森に入らなくても手前にある広場などで寛ぐ人がほとんどだからだ。
つまり、ここは穴場。
だからこそ私が寛ぐのに最適な場所の一つとなっている。
「君たちの見たままよ」
「…ってことは昼寝してるのかよ……」
呆気にとられたようにマッカレル少年が言う。
「気持ちいいわよ」
「…まあ、それはそうだと思うけど……」
「それで? 君達はどうしてこんな所にいるわけ?」
先ほど私が質問された言葉を同じように問い返す。
好んでこの場所に来る人は少ないと思われるのに、何故か三人はここに足を運んで通り過ぎようとした。意味もなくここを通るとは思えない。
私は三人の様子を観察するように視線を向けた。
三人の手には教科書類が数冊ずつ抱えられている。
このことより勉強をしていたのだろうということは考えられるが、何故に教科書を持ってこの場所にいるのかという理由が私には思いつかなかった。まさかこんな場所で勉強していたということはあるまい。森の中で陰っていることもあり、些か目にはよくない。
「ええと…、それはー……」
しどろもどろにアルフォンシーノ少年が言葉を濁した。
少年はどこか困ったような、恥ずかしそうな、複雑な表情を浮かべている。
そんなアルフォンシーノ少年を見て、ポラック少年とマッカレル少年が小さく笑い出す。
「……? どうかしたの?」
三人の様子を見ている限り、原因はアルフォンシーノ少年にあることは察することができた。
ふ、と。
私の視界に入ったのは、アルフォンシーノ少年が抱えている教科書からはみ出した一枚の紙。
それは若干くしゃっとなり、若干汚れている。
「ああ、なるほど」
ぽんっと、納得して私は手を鳴らした。
「え? 何がなるほどなんですか?」
「つまり、アルフォンシーノ少年はその紙をこんな所まで飛ばしてしまったわけね」
今日は涼しい風が吹いていること。
こちら側に向かって図書室の窓があること。
そして、風向きがちょうどこの森の方になっている。そこから私が推測した答えはそれだった。
こんな場所まで飛ばされることになるなど滅多にあることではないだろうけれど、現に彼らがここにいるということはそういうことなのだろう。
「えええええっ! な、なんで分かるんですか…っ!?」
恥ずかしそうに顔を赤らめるアルフォンシーノ少年。
……あらまあ、とても可愛い反応だこと。
などと心の中で思ってしまったが口には出さない。この年頃の少年は気難しくて可愛いといわれても嬉しくないような気がしたからだ。……まあ、アルフォンシーノ少年だったら怒りはしないだろうけど。
アルフォンシーノ少年と私のやりとりを見て、再び、残りの少年二人が声を上げて笑った。
「試験勉強ははかどっているの?」
再びごろりとその場所に転がって、何気なく私は尋ねてみた。
「ええと…、自分なりに頑張ってます。リイチさん達みたいに頭が良くないから頑張らないといけないし…」
「頑張ろうと努力することはいいことだと思うわ」
「あ、ありがとうございます…っ!」
本当に嬉しそうに破顔するアルフォンシーノ少年。
レイ達とは違い、裏のない素直な性格が好ましい。
「明日から試験よね。満足のいく結果が出せるといいわね」
「は、はい! 頑張ります、僕…!」
素直な反応。
アルフォンシーノ少年ほどではないが、マッカレル少年とポラック少年も私の研究室に通う少年達の中では、くえない存在でない分、心絆されるものがある存在である。話していて気疲れする事や面倒だと思うことが少ない。
「それじゃあ、僕達勉強しなきゃいけないんで戻りますね」
そう言ってくるりと踵を返す三人に、
「―――私の受け持つ教科だけど」
と、私は言葉を切り出す。
少年達にとっては唐突な私の言葉に、歩こうとしていた足を止めて、はっとするように私の方を振り返ったのが気配で分かった。
私は少年達の方を見ることなく、寝転がったまま言葉を続ける。
「単位をとるのは簡単よ」
それを口にしたのに特に理由はない。
敢えて理由をあげるとするならば、アルフォンシーノ少年の純粋さに心が絆されたとしておくべきか。
「え…? それって……」
ポラック少年が問い返す。
「多分、他の教科よりも何よりも一番、ね」
「ユキ…先生……?」
「高望みをするかしないか、それは君達が決めること」
言いたい事を言い終えて、私はそっと目を閉じる。
少年達は当然ながら私の言葉を理解することができず、困惑しているようだった。
「……どうしてそんな事教えてくれるんだ?」
恐る恐る尋ねたのはマッカレル少年。
「君達は詮索とかせずに頑張っているからご褒美、ってとこかしら」
「ユキ先生…」
「残念だけど、これ以上はご褒美あげられないわ」
これ以上何かを言うつもりはない。
それを示すように、私は少年達へと視線を向けていない。彼らとの会話はここで終わったのだから。
少年達も私がこれ以上何も言わないだろうことを察したのだろう。
「ありがとうございます」
と、三人で声を揃えて。
おそらく、頭を下げて――見ていないが、気配でそんな素振りをしたのがわかった――。
私の邪魔にならないように静かにその場を去って行った。
私は三人の気配が遠ざかるのを感じとりながら、完全に気配が消えたところで閉じていた目をゆっくりと開いた。
「――で、聞いているんでしょ、レイ?」
誰もいない空間に向かって声を掛ける。
沈黙は一瞬のこと。
少しの間をおいて私の耳に届いたのは、くすっと声を忍ばせるような笑い声だった。
「一瞬、ユキがあの子達に情けをかけるのかと思ってびっくりしたわ」
ここには私以外はいない。
しかし――先ほどから感じ取れるのは人の気配。いや、思念といった方が正しいだろう。
少年達と会話を始めてから少しして、空間が微妙に揺れるのを私はしっかりと感じていた。それは、他でもない魔法の発動によるもの。誰かがこの空間に対して何らかの魔法を発動させ、この空間を監視するように、そして声のやりとりができるように繋げたという事はすぐにわかった。高度な魔法故に少年達は感じ取ることができなかったようだけど。
返された声はこの場で魔法を発動させた人物――レイのもの。
「まさか。あの子達だけ特別扱いするわけにはいかないでしょ?」
「あら。でもあの子達、素直で私達とは違う綺麗な存在だもの。もしかすると、ということは考えられるでしょう?」
「そうね。レイ、貴方のように食わせ者ではないことは確かね」
「それは、私もあの子達みたいだったらご褒美がもらえていたってことかしら?」
「今更、でしょ。それにレイがあの少年達のようだったらなんて恐くて考えたくないわよ、私」
レイがもし素直だったら。
そう考えると、それはもはや私が知っているレイとは別の生き物になってしまう。想像するのが恐ろしいと思ってしまうのは失礼だろうか。いや、失礼ではあるまい。
「私にだって可愛いと思える時代はあったのよ、ユキ?」
「そうね。出会った頃の貴方は可愛かったわ、とても」
「それじゃあ今の私にしたのはユキが原因ね」
「…それは……違うと思いたいけど…」
完全に否定できないのは、その可愛かった頃のレイの存在を知っているから。
……ああ、だとしたら私にも原因があるのかしら、やっぱり…。
別に彼女を育てたわけではないのに、育て方を誤ったかと考えてしまうのはある意味親心のようなものかもしれない。
と、別のことをぶつぶつと考え始めてしまった私の意識を元に戻したのはレイだった。
「……と、今はそんなことを話すために場を繋げたんじゃないのよ」
ふわっと、私を中心に一陣の風が生まれる。
そしてその後で、何かが寝転がっている私の顔の上にハラハラと落ちてきた。
その何かを顔でキャッチし、手でそれを掴む。
「………ああ、そういえば」
その何か―― 一枚の白紙を見て私は先日レイに言われていたことを思い出した。
「提出、今日の昼までだったかしら、これ」
「そうよ。あと提出していないのはユキだけなの。だから早く書いてくれないかしら? 明日までに複製しておかなきゃいけないから」
「悪かったわ。今書くからちょっと待って」
言って、私はくるりと指を回す。
小さな魔法を発動させ、私の手に一筆のペンが現れる。
空中を机か何かのようにして紙を固定させ、私はその紙の上にサラサラとペンを滑らせた。
書いた言葉は一文。
紙のほんの上の一部分でしかない。
書き終えたのを自分で見直し、私はもう一度ペンを持つ手をくるりと回す。そこに既にペンはない。
「はい、これでよろしく」
「ええ。…ふふっ、本当に変わらないわね、この文も」
「そう思うなら昔に書いたのを使ってくれてもいいのよ?」
「それじゃつまらないじゃない。ユキのずぼらさの手助けをしているみたいで」
「はいはい。それじゃ、確かに書いたからね」
「受け取っておくわ」
再び風が巻き起こり、風が消えるとともに私が手に持っていた紙も消える。
「明日が楽しみね」
ふふっと聞こえる笑い声。
その後で、ざわりと肌に感じ取ったのは魔力の波動。
それを最後に魔法は消え去り、レイの声も聞こえなくなる。
残ったのは私と、そして何の変哲もない自然が広がるこの場所のみ。
魔力で作られた風ではなく、自然の風がふわりと吹き、私の髪を小さく靡かせる。
「………本当にいい性格してるわよね、レイは」
やれやれ、と溜息と共に零れた言葉は呆れた口調であっても仕方がないというものだろう。
…本当に私は呆れていたのだから。
晴れ渡る青空を見上げる。
夏なのでまだ日が暮れることはないが、少しばかり風が冷たさを含んできている。徐々に夕方が近づいてきているということだろう。
「……さってと、そろそろ戻りますか」
勢いをつけて立ち上がり、私はゆっくりとした足取りで宿舎の方へと向かった。




