5 金曜日。噂話に尾ひれあり
人という生き物は噂話が好きな生き物である
そして加えるならば
勝手にその噂話に尾ひれをつける事も好きな生き物であるといえよう
私はその日、キヨの相談を受けて彼の研究室にいた。
どうやら数日前、新種の薬草が発見されたということで私にも見せようと思ったらしい。
そのキヨの心遣いは嬉しく、私は喜んで彼の誘いを受けた。
「……へぇ…、これは本当に新種ね…」
手で触れないように魔法のバリアをシャボン玉のようにして薬草に纏わせて、ふわふわと手元で浮かばせながら私はその薬草を凝視する。
何年も生きているだけあって、更に言うならばこの世に生きるものの中で最も長寿と思われる私は博識である。記憶力も良い為、ある意味頭の中は図書館のようになっている。ただし、気にならないことは全く記録されない自由すぎる図書館ではあるが。
その私が知らないとなると新種の植物に他ならない。
時々環境要因などが原因でこういった新種の植物が発見されたりするが、今回もそういった経緯で生まれた薬草だったらしい。
本来ならば新種はしっかりとした研究機関でその効能を確認されてから他に出回るものだが、キヨにもそれなりの伝手があるとのことで一束譲ってもらったという事だった。
「でしょう。似ているものがあるのでそれと似たような効能じゃないかと研究機関では言われてるらしいんですが、ユキさんはどう見ますか?」
「そうね…、確かにその確率は高いけれど見掛けで判断できるものじゃないしね…」
植物なんて素人から見たら似たり寄ったりでしかない。ここに特徴があると図鑑等に記載されてはいるものの、素人一人で図鑑片手に採取に出かけようものなら、その半数は過った植物を採取してしまうくらいには、難しい。
見た目で勝手に似ているからと判断することは恐ろしいことでしかない。実は毒草でした、というオチはよくある事なのだから。
私はキヨと午後の間ずっと、日が暮れ始める頃までその新種の薬草について語り合っていた。
多分、来訪者がいなければ夜遅くまで語り合っていたのではないかと思われる。……魔法使いとは、ある意味オタク的生き物である。
来訪者――生徒が来なければ。
「すみません、あの……バーナクル先生はいらっしゃいますか?」
遠慮がちに扉向こうから掛けられる声。
私とキヨはその気を感じ取ることすら忘れていたことに苦笑を浮かべあいながらも、とりあえず新種の薬草を丁寧に片付けて――まだ発表されていないものの為、人目にさらすわけにはいかないからである。――、来訪者を迎えようととりあえず扉を開いた。
聞き覚えのある声で誰が来訪者か分かっていた為、開けてすぐにその名を口にする。
「どうかしたの、アルフォンシーノ少年?」
「え…、あ、ユキ先生!? え、どうしてここに……?」
私がいるとは思わなかったらしく、かなり驚いた様子のアルフォンシーノ少年。
その慌て振りに苦笑しながらキヨがそれに答えた。
「ちょっと相談したいことがあって呼んでいたんだよ」
「そうなんですか…」
「それで? アルフォンシーノは何か用があるのか?」
「あ…、は、はい…っ。実はちょっと今回の試験範囲で分からない所があって質問させてもらいたくて来たんですが……」
見ればアルフォンシーノ少年の手には薬草学の教科書がある。
彼はよく私にも質問するし、勉強熱心なことだと改めて少し感心してしまった。わからない事を素直に聞くことができる事は、彼の長所といえるだろう。
「そうか。じゃあとりあえず中に入ってくれ」
「え…、でもお邪魔じゃないんです…か……?」
私との会話がまだ途中だと思ったのだろう。
アルフォンシーノ少年は申し訳ないような表情をしながら、私とキヨの顔を交互に見遣った。
「大丈夫よ。もうすっかり長居してしまったから君が来てくれたのはちょうどいいタイミングだったわ」
「確かに…。アルフォンシーノが来てくれなかったら時間なんて忘れてただろうしなぁ…」
さ、だから遠慮せずに入って。
そう促してアルフォンシーノ少年を研究室内に誘ったが、彼は足を動かそうとしない。どうやらそれ以外にも、彼にはまだ何か躊躇いがあるようだった。
どうしたというのか。
そう思った私とキヨは互いに首を傾げた。
「どうかしたの、アルフォンシーノ少年?」
「えっと…、その……」
「?」
どうしても入ろうとしないアルフォンシーノ少年のその理由を先に察知したのはキヨの方だった。
キヨは苦笑しながら言った。
「気にしなくてもいいって、アルフォンシーノ。どうせ研究室の中にはお前に見られて困る物は今置いてないからな」
「でも…、一応校則で決まってるんですが……」
「それをいうならユキさんの所はどうなるんだ?」
「あ……」
「俺が良いって言ってるんだから気にしなくてもいいからな。校則っていっても例外だってあって然るべきだろ?」
「それじゃあ……」
ようやく研究室内に足を踏み入れたアルフォンシーノ少年に笑いかけるキヨ。
その会話をずっと聞いていたが、私にはさっぱり何のことか分からなかった。
「ねえ、何のことかしら?」
「ああ、大したことじゃないですよ」
「でも自分一人だけ分かってないのはあまり面白いものじゃないわ」
大人気ないとか、子どもじみているとか。
そういった問題とは違うと思う。
自分に関係がないことなら気にもとめないが、自分の名前がでてきた以上私に無関係というわけではないわけで。
それなのに自分一人が蚊帳の外というのは気分のいいものではない。
「本当に大した事じゃないんですよ。ほら、今ってテスト期間じゃないですか」
「そうね」
「一応校則でテスト期間とテスト前一週間は、生徒が立ち入り禁止になる場所があるってことですよ」
「……ああ、そういえば」
――納得。
「そんなものもあったわね、確か」
淡々と答えて納得する私に、キヨは苦笑を零す。
「ほら、全然大した事じゃないでしょう?」
「本当ね。大した事じゃなかったわ」
生徒が立ち入り禁止になる場所。
それは教師の私室、研究室は勿論のこと職員室などもそれに含まれる。
理由はいたって単純。
試験前に生徒に問題内容が漏れてしまうのを防ぐため。
何処の学校でもその校則はあるものだろう。
――が、しかし。
「ユキさんはそんなこと気にしてないですしね」
「だって気にする必要ないもの」
その言葉通り、私は今まで一度としてそんな校則を気にしたことなどなかった。
現に今日とて私の研究室には受け持ちの少年達――プラスアルファも含む――が入り浸っているはずである。私が禁止としていないからこそ、少年達はたとえ校則でそうなっていても叱られることはない。
私が気にしない理由を知っているキヨは私の言葉に再度苦笑を零して。
反対に、理由を知らないアルフォンシーノ少年は首を傾げた。
「ま、そのうち分かるさ」
ぽんぽんっとアルフォンシーノ少年の背を軽く叩くキヨ。
そうして三人揃ってキヨの研究室に入り、その扉を閉めた。
その扉の外側には、他の研究室同様に『テスト終了まで生徒の立ち入りを禁ず』と書かれた紙が貼られていたことに、私は今更ながらに気づいたのはここだけの話である。
「………そういえば今更だけど、だから今、ここに少年達の姿が見られなかったのね」
おかしいと少しは思った。
教師の研究室には、受け持ちの生徒の姿が普通ならあるはずである。
しかし私が訪れた時から誰一人の姿として見られなかった。
その理由もそれだったのか、と。
今更ながらに納得する私。
「…ユキさん、今頃気付いたんですか」
「ええ」
「何というか、ユキさんらしいといえばユキさんらしんですけどね」
やはり苦笑するキヨ。
苦笑したまま笑いを止めようとしないキヨを軽く叩く私を、アルフォンシーノ少年は不思議そうに見つめていた。
アルフォンシーノ少年の質問に答え、そろそろ夕食の時間なのでと少年を見送ろうとしたその時、ふと思い出したように少年は私に向かって尋ねた。
「そういえばユキ先生」
「何? アルフォンシーノ少年」
「えっと…、その、あの事って本当なんですか…?」
「? あの事?」
何のことだろうか。
具体的な言葉ではなく、指示語で言われてもさっぱり何を指しているのかわからない。
そう思って頭の中を巡らす。
真っ先に頭の中に浮かんだのは、昨日のレイの問題発言だった。
――私の受け持つ教科で可よりも上の成績をとった者は、もれなく夏休み私の家で休暇をとれる。
というのがその問題発言の内容。
レイがご褒美と言っていた時点で、その前に先手をうつなり何なりとしなかった私のミスだとはいえ、ああも大っぴらに宣言してしまえば今更私が少年達に訂正しようというのは無理な話でしかない。
レイを問い詰めて文句を言ったものの、結局その問題発言はそのまま有効状態となっているのが現状である。
してやったり、してやられたり。
ということはまさにこういった状況のことをいうのだろう。残念ながら私はやられてしまった方になってしまうのだけど。
「褒美についてのことかしら?」
「あ、はい。その褒美についてなんですが…」
ちらり、ちらりと私の顔を伺うようにしてアルフォンシーノ少年は少し躊躇いがちに言葉を続ける。
「?」
「昨日、シュリンプ先生から直に聞いた内容は、ユキ先生の家で夏休みを過ごせるということだったんですが」
……が…?
アルフォンシーノ少年の言葉の最後にひっかかりを覚え、私は眉を少し顰める。
「今朝、リイチさん達から聞いた内容が、いつでもユキ先生の家に行くことができる特権を手にいれられる、というものに代わっていたので、本当なのかなぁ…と思って」
と、アルフォンシーノ少年が言葉を言い終えた瞬間、
「………何、それは…?」
思わず私は少年に向かって問い返していた。
知らない。
そんな事はレイからだって一言も聞いていない。
一体いつの間にそんなことに代わってしまっているのか。
「………」
無言で顔を顰める私の隣りで、キヨが軽く笑いながら言う。
「ああ、そういえば俺もそれ、生徒達が話してるのを聞きましたよ」
「……何、どういうこと?」
「多分、噂なんて広がれば広がるほど尾ひれがつくものだから、そういった経緯からそう代わったんだろうとは思うんですけど…」
本当に尾ひれがついてしまっていますよね。
そう言って苦笑するキヨ。
確かに噂なんて広がれば広がるほど内容が変わっていってしまうものである。
人は噂が好きだと言われるだけあって、広がるのも速ければ、内容が変わるのもいつものことといえばいつものことである。
「……これはまた、勝手な話ね…」
怒る気力もなく、私はただただ呆れるより他になかった。
よくもまあ、こんな改変に辿り着いたものだとある種の感心までしてしまう。
しかし、頭の隅で考える。
アルフォンシーノ少年はハリバット少年から聞いたと言っていた。
もしかすると、ハリバット少年達が故意に内容を変えた確率も否定できないのではないか――と。
何といってもハリバット少年はあのレイの血縁者。
その確率はけして否定できない。彼らならばやりかねない。
「……ほんと、物好きが多いわよね」
「ユキさん?」
「っていうか、私の家になんか来て何がおもしろいのかしら?」
はっきり言って、私にはさっぱり分からない。
辺境の地にあるだけあって、特にこれといって観光できるような場所があるわけでもなければ、行楽地として遊べる場所があるわけでもない。精霊達の訪れはあるから特別といえば特別だが、彼らの姿を見ることが出来る者は限られている。見えない人達からしてみれば、その特別感を味わうことはできない為、本当にただの一軒家でしかない。……まあ、趣味の庭や畑等はあるとはいえ、それが面白いかと問われれば、答えは否である。
呆れて肩を竦める私。
そんな私を見て、その後でキヨとアルフォンシーノ少年は互いに視線を合わせる。
「………」
「………」
視線だけで何かを語り合ったのか、何故かタイミングを合わせたように大きな溜息を零した。
「………ユキさん、本当に分かってませんよね…」
「………僕も…そう思います…」
最後にもう一度、互いに視線を合わせて、首を左右に振ってみせる二人。
そんな二人に対して私は「何のこと?」と問いかけるものの、何でもないの一言を返されるだけでしかなく、私の納得のいく答えは返ってこなかった。




